FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

サントリーホールでの名演からの帰途思ったこと 富の再配分と心の分かち合い

f:id:FujiYama:20210925215911j:plain東京交響楽団定期演奏会。指揮は円熟のスダーン。コンマスはロシア出身。フランス系音楽のプログラム。
私は経済学をさらった経歴上、どうしてもお金のことばかりに目がいく好ましくない習性がある。
そうはいっても芸大桐朋留学組のオケメンバーたちが、割合的に裕福なのは確かで、一般人に縁がない世界で終わる。
生活費ばかり考えていると音楽のお勉強なんてできないという人が圧倒的に多いのが日本人。欧米の生活費までみる支給奨学金システムとかけ離れた個人の拝金主義の蔓延。
音楽への税投入の規模が違う。
地域の共有財産として尊敬されるかどうか。
欧米は心、魂が第一にあり、日本はカネ、先立つものは金の文化に見える。
欧州の貧乏だった作曲家たちは名曲名作を遺している。

さて、一流日本人奏者や指揮者の大半が命から歌えない。
音楽の呼吸と魂と空気感が違う。
音楽の妖精と戯れる経験を全身で積んだ人と、アタマと技術で測量的に音楽演奏を身に付けた人とでは、天地雲泥。
作曲家の魂を表現するための演奏技術。
音楽表現は半身ではできない。
繊細、豊潤、鮮烈、華、陰影、透明感、軽快、調和、奇妙、絶妙、趣向などあらゆる感覚や感情の表現を楽しむ本腰が必要。
高価でなくても良い楽器が必要。
音で表現する日本人と空気を呼吸して形にする欧米人たちの違いがある。

国内で一般人に分かち合いの感覚がないと感じることが多い。目を血走らせてお金を追いかける。経営者は収益と株価。奪い合いの政党政治。批判の応酬。国民虐待の三党合意。
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これだけ感覚が違うと、議論は噛み合わない。
音楽を愛する立場なので富の蓄積は必要だという立場だが、それはみんなで地域の歓びをうたえることと表裏一体でなければならないと思う。上下万民、貴賤、老若男女を選ばず、分かち合える心が必要です。
神道のお祭り、既成政治ではまったく不可能です。偏見と差別排除の伝統は世界人類史の流れに反します。障がい者がわれわれの衛生や文化を破壊するという旧態依然の思想的間違いを堅持する改憲主義はもはや不要です。
国や地方、公的に音楽文化を育むのが例外的な現状では、みんなで幸福や音楽を分かち合うことはできず、差別排除の姿勢を改めるつもりがないことがよくわかります。共生は綺麗事です。わざわざ偏見をもって苦しむのは愚かな不健康です。
本来の仏教、正しい法華経の信心は、どんな人にも歓びの歌、唱題を許します。
よいコンサートを楽しむことが難しい地方の日本人には日蓮正宗という深い楽しみがあります。
法華経の化城喩品には、真実の悟り、本当の歓びに到達するための仮のお城が出てきますが、たくさんの名曲はその城の中のごちそうにあたります。
おやつで勉強させる子育てみたいな話で真実に到達するための教えはすべて譬喩です。
真実(人間としての幸福)の実体そのものを得ることが目的なのを忘れてしまわないようにしなければなりません。
欧米と同じく心の分かち合いを優先してまず幸福になってからごちそうや名曲を楽しむことが本来の順番なのです。コンサートなんか行かないけど私は幸福だということがあるのは、順番が合っていて、ごちそうはあとからいくらでも楽しめるからです。
いや収益が先だの富の再配分が先だのという堂々巡りはある意味時間の無駄にしかならないのです。政党に任せるしかありません。
心こそ大切なれ。(日蓮)
花と香りを愛でる人は、その根っこを健康にして、末長く花を楽しむのが賢明です。
なんとなく楽しい華やかなものに気を取られて気が付いたら花は咲かなくなるというのがありふれた人生ですから。
根っこの健康は日蓮正宗でしか実現しません。
なかなか見えづらくわかりづらいものです。
心の温泉を無尽蔵に湧かせる人生がよいか、年齢とともに枯れていく人生がよいか、二択です。無限、永遠の希望を堪能する人生をおすすめします。f:id:FujiYama:20210926093224j:plain