FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

あわれなさむいストラディバリウス

f:id:FujiYama:20210926152019j:plain弾き比べ動画をみつけて、見てみるとやっぱりストラディバリウスは特別良い楽器ではない。
日本の音楽家はかなりストラディバリウスを特別だというブランドイメージで見ているから、良い音に聞こえると言うだけなのだ。
特にメンテナンス状態で、修理の仕方が悪いものは、本来の音響がしない。
四台弾き比べて、ストラディバリウスとモダンイタリー二台と初心者用の区別はほとんどできなかった。現役の音楽家たちがわからないのである。
修理状態の悪いストラディバリウスは、修理をしていない健康な凡作と大差ない。
以前失敗作か偽作だと思われるストラディバリウスを弾いてみて、とても幻滅した。
せっかくストラディバリがよく作った音の響く名器なのだが、手を加えて不健康になるとどうでもよい楽器です。
本当に特別なストラディバリウスはやはりそれほど多くなく、修理の内容が完璧でなければ、それは維持できないものです。
結局、個体差と管理の軌跡が重要です。
名器の値段が単に名声によるもので、性能によるものでないという真実にあなたはどう向き合いますか?
ヒラリーハーンはよい演奏家ですけど、同じ作者の楽器が急にもてはやされ、急騰する。
それでも高価な楽器が欲しいという感覚や心にはもはや合理性はなく冷静な判断を放棄していることがよくわかります。
何度でも書きますが、バイオリンには個体差がかなりあり、数十万を超えるある一定以上になると値段とはまったく関係ありません。
バイオリンが高いのではなくて、高いものに釣られる魚が痛い目を見ているだけ。
バイオリンが高いのではなくて、陰の袖の下と法外なレッスン代が高いだけ。
バイオリンが高いのではなくて、日本人がクラシック音楽を認めないだけ。
音大を出てもまともな仕事としては成立していないので、教育は無駄にしかならないのです。
どれだけ優れた音楽も教育も技能も、すべて高いだけに終わります。
日本という国、神道というのは、名器をかついで浮かれて楽しむことができる人たちを、ひたすら利用しつくすのです。
はたしてストラディバリさんが望んでいたのは、名声だけだったのかどうか?
東洋の島国でストラディバリウス本体は本当に楽しく歌っているのでしょうか?
弾き手と聴き手の心が一番大切です。
誰も要らない、必要性のない高価なものになっているのも確かです。
日本人に音楽はわからないし、不可能です。
政府や知識人たちが神道真言を棄てて日蓮正宗に帰依すれば、そのうちクラシック音楽はまっとうな仕事になり、社会的認知のある公共財産になっていくのでしょう。
本来のクラシック音楽はエンターテイメントではない。エンターテイメントの一面をもった精神衛生や高次の理性を触発する技術です。
日本人はその技術を富裕層で独占して、貧困層を忌避するという悪しき伝統を守っています。そういう理由で神道を拝むことだけはないのです。
ユダヤやキリストのレベルに遠く及ばない神道は棄てるべき忌まわしい過去なのです。
日本人の未来も可能性もすべて食い荒らして知らん顔ができるのは、上に立つ階層としてありえない体たらくです。
なぜ多くの人たちは日蓮正宗ができずにストラディバリウスを拝むのか?
低レベルだからです。