FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンが贅沢な途上国

文化的に質の高い国では、バイオリンは特別なものではない。

高額な楽器を必要としない国々がある。

オールド楽器も絶対的ではなく、プロも新作楽器をしばしば使う。

質の問題であり、金額の問題ではない。

日本人は釈迦を目の敵にしている一群がいて、蘇我物部の因縁以来、インド発祥の文化にこだわり、中国もそれは似たようなもの。

だから弦楽器は特別な階級の高価な贅沢という教えが染み付いて離れない。

天皇ビオラ愛子さまがチェロを演奏するのは有名人だが、一般家庭では贅沢と刷り込みをやる。

日本人にとって、キリシタン文化は異端であり、特別なものとなると、さらにプレミアムだと高額なイメージになる。

しかし、現実は違うのだ。

たんなる演奏職人修行の機会環境の有無。

洗脳など非科学的そのものだ。

本場のバイオリン、クラシック音楽は誰でもできるものになっている。

極貧では高品質な弦が張れないだけで、やれば誰でもできるもの。

ジプシーバイオリンは住所のない貧しい人たちにもできた文化だ。

歴史的に貧しかった学生たちは友人学友が援助し、給付金制度もどんどん整って学費はほとんど要らない。ただ同然でトップアーティストが目指せる国々もある。

鼻歌は贅沢だという無理筋はおかしい。

誰でもできるという事実を隠蔽している日本人たちは、よほど音楽を知らないだけでなく、人間の心がわからない音楽家が多いということだ。

義務教育の音楽すらまともに成立しないお粗末な日本の文化程度の責任は日本の文化人や政治家にあるだけでなく、国民が洗脳を真に受けていることにもある。

非文化的な大衆、オカルト民族は危険だ。