FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

我々を豊かにしてくれる音楽?

クラシック音楽はもちろん良質なものをヨーロッパから輸入しているから我々を豊かにしてくれると思う。
ところが良質なクラシック音楽は鑑賞機会が限られており、しかも高価なものになっている。
平凡な日本のプロはヨーロッパでは通用しない。
平均や標準が違うからだ。

心の豊かさは社会政治のサポートする文化のレベルによって変わる。
西欧のいくつかの国の教育の機会均等は貧困層に進学の道を約束している。
貧困層もバイオリンやチェロを無償に近い負担で学ぶことができる。
その視界に映る世界は美しく穏やかな平和である。

日本ではその真逆なすべてはカネの殺伐とした世界である。
音楽は貧困層を自殺や変死に追い込むためのツールである。
努力している貧困層を徹底的に叩き潰すのだ。
痛め付けて音楽は素晴らしいムチだとほくそえむ。

人が人として楽しむ音楽を、特権階級が貧困層を安くこき使うための音楽として利用する。
いわゆる商業利用。
そこにある文化は貧しい。
神道が音楽を使うとこの100年余りの史実として明確に階級と財閥の悪事を虚飾で誤魔化すためにのみになった。
本来のヨーロッパの音楽文化は探しても見当たらない。
音大には例外的に貧しい家庭出身がいるが、彼らに対するサポートはない。
給付奨学金やほぼすべての賞は富裕層に与えられるだけ。
見せしめに貧乏人は音楽などやらないものだと晒し者にしているのだ。
楽器も粗悪品を高額で売り付けてバカにしている商売人がいる始末。

生活に困るレベルの職業音楽家を量産してキリスト教の手先とか不要品扱いする文化。
実際、キリスト教の国々は日本人の所得水準を抑制させて、日本を投資先として食い物にしているが、その行為主体者は日本人の特権階級と財閥の手先である官僚や議員たちだ。
日本で音楽家として成功しても、大多数が悲惨な処遇で資産家しか楽しく音楽できない環境だから、それは成功とは言えない。
砂漠のオアシスを作って国を干あがらせて、自分さえ良ければよいのだ。
日本を貧しくするために、クラシック音楽はその文化性を毀損させられている。
改善しないどころか、ますます音楽文化をカネだけでできるものとして広める商売人が跋扈するばかり。
教育的にも文化的にも反社会的カルトの性質を孕んでいる。

本物の人間が日本には存在しないのだろうか?
視界があまりにも違いすぎて、話が通じない日本人が多すぎて、とても祖国や同胞とは思えないことが多い。
ただ音楽を直感的にわかる人たちがいないわけではない。
天台(天台山座主)、伝教(比叡山開祖)、日蓮の一念三千という視界はそれほど知られていないが、西洋音楽の視界はそのごく一部である。
神道や禅、念仏などでは飢えたズル賢い犬の目線で理解する範囲しか音楽がわからない。
文化を理解できるはずがない。
似非の輸入粗悪西洋音楽も氾濫しているから、楽器と同様注意が必要だ。
明治以降、見事に日本人は浅ましく貧しくなった。