FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

知らないと損する高品質バイオリンの値段 音大生もしばしばだまされる仕組み

f:id:FujiYama:20210816000112j:plain東京へ移住してからすぐに気が付いたことがある。

東京は千数百万人をすっぽり覆うドームの中にある。

日没後に、夜間、ド田舎の県道から福岡市の中心部を眺めると、まさに光のドームだったが、イメージがかぶる。

東京育ちの人からすると、福岡の人は異世界の住人で、ほとんど話の通じない外国人。長野県産のきのこを食べながら長野県の悪口でも平気で言えるし、茨木県を褒める一方そんなへんぴな田舎なんて興味ないとも言う。

政治家の発言や発想をみてもかなり東京は特別な人間の世界であって地方は植民地くらいの感覚でいるのだなあと感じることが多い。

東京人は田舎を恐れる。店がないから。人がいないから。交番すらめったにない。

裏を返せば、ドームの中でしか生きられない閉鎖された城の中の人なわけである。

この感覚が日本の舶来品商業、舶来品文化に大きく影響しているなと思った。

富裕層はなんにも不自由を感じていないようなところもあるが、実際は富裕層ですらよく失敗をしているし、中産階級貧困層ならなおさら買い物をするのはたいへんだ。

東京には弦楽器商が50ほどあるらしい。関東エリアで言えばもっとある。

ある横浜の楽器商の奥さんが、かつてあまりにえげつない名器の詐欺にあった経験をネットにあげていた。今だと1500万くらいのものらしい。

私は私でバッタものをつかまされた経験がある。f:id:FujiYama:20210816000156j:plain

ネットで検索すると欧州買付の価格、つまり仕入れ値がだいたい6割以下だという情報がたくさんある。ある日本の楽器商経営者は数万円で仕入れたものを数十万や百万以上で販売している内幕を暴露している。昔の欧州で横行した偽ラベルやラベルの貼替なども実際に日本で行われている。〇〇ラベルドバイオリンとして販売しているものは、そもそもニセだと公開していてまだ良心的なほうである。

銀座や日本橋界隈だけではなく、東京や横浜などで店を出していると地代あるいは固定資産税が高いのは当然のことだ。経費は高いに決まっている。

楽器商は海外の業者もホームページを出しているが、いくつか地図で見てみると、その立地が驚くほど郊外型や地方都市であることが多い。すこしはずれに店を出している。これは経費が安いに決まっている。工房もどうかすると山の中である。

どこの国でも楽器製作の工房を構えて職人を雇うとそれなりに経費はかかるが、同じような程度とされる新作バイオリンの値段がまったく違う。親方か一番弟子くらいまでの一流国際コンクールで優勝するレベルの比較をしてみると歴然としている。

だいたい60万円から350万円くらいの間とべらぼうに違う。

もはや経費だけの問題では理解できるはずのない違いだと気が付く。

あまり名の知られない職人が作ったものは結構安くて、一音一音がバラバラに響くからすぐにわかる。実力がないからどうしても響きにまとまりがないのだ。

この価格の違いは材料費を含む工房の経費に利益を加えたものだから、経費が安くて利益が薄いものは、価格が安いものとなる。

日本の楽器商は残念ながら利益を最大化することだけで販売するから、目が利く人は欧米で直接楽器を購入することも多い。

楽器屋さんがお客に応対するとき、必ず値段を高くするための理由をつけて説明する。有名な誰それの作品のスタンプがあるとか、イタリアの楽器だとか、年代がよいから音がよいとか、ひたすら高く売ることだけで、その一台、一本がどういう個体であるかという説明はまったくしない。

実際個体についての情報は皆無なのである。

工房では楽器の材料を大量にストックするが、これをいかに安く入手できるかという問題があり、運がよければ安くまとまった量を引き継ぐことができるが、これは親方の人脈の問題が大きい。

欧州の主要都市で指折りの楽器製作者だから200万から300万で販売していることもあるが、あるケースではその価格で材料はわずか5年ほどしか乾燥させていないもので、逆に誰も知らないような街で工房をやっている世界レベルの実力がある親方は数十年から百年の材料を使用しても60万余りで販売できることがある。

主要都市の一等地で工房をやるなんて無駄に経費がかかっていることは自明で、そのために価格が載せられていると考えるのが普通だろう。

しかも新作バイオリンの時点で、個体の優秀さは価格に反映されているとは限らない。

さらに個体差を説明できる店員さんには、今まで一度も出会ったことがない。

店員さんの中には個体差を判別して説明する能力がある人がほぼいないのだろう。

残念ながら販売側は制作側のネームヴァリューと都合でいくらで仕入れたものをいくらの経費がかかっていくらで売れば利益がいくらという計算しかできない。

精度の高い作品をいかにお手頃価格で提供できるか、という要望に応えられるか?

たいていの日本人楽器商にはまったく興味がない話である。

むしろそんなに精度が高ければ価格を吊り上げるだけである。

しかし製作者は出来栄えが同じものとして商品を出す。店もそれを同じグレードとして取扱う。つまりそこはまだ吊り上げ前の段階だ。

ただ安ければよいのかと言えば、経費があるから限度というのがある。

ネット情報によればだいたい60万が限度。

あとは買い手が予算に応じて個体差を見極める手間をかければよい。

もし買い手がよくわからない場合は、または失敗したら悲惨なことになる。

親方のやり方でいくらで出す楽器にブランド力をつけて価格をつけているから、それは個体の実力の値段とはまったく別のものになる。

自動車や自転車ならどれも同じ性能だからグレードと値段で選ぶが、楽器はそれではうまくいかない。

高い楽器がよい楽器ではなく、有名な楽器がよい楽器ではなく、オールドがよい楽器ではないということが、あまりに多い。日本人には受け入れがたい話であると同時に、貧乏人のやっかみじゃないかしらと思うような話である。

レッスンをみてもらっている高名な先生にすすめられて選ぶ楽器もよいとは限らないから、いよいよ正しいのはなんだかわからない話である。

ただ素直に従っていると演奏レベルが左右されて人生を棒に振ることすら起こる。

製作側、調整する職人側から見た出来栄えと、演奏家が弾く時の音ばえは別物だ。楽器によってタッチが全然違う。

楽器商はなんとでも言うが、私は国家的に粗悪楽器を全部一律5万円で初心者用として販売する規格を定めて欲しい。中級楽器は10万円からでよい楽器が30万円から販売できれば、みなさんが安心してバイオリンを選ぶことができるようになる。100万も500万も価格をつけて、弾き手がおかしくなるような粗悪楽器を平気で販売することは、真実有害な悪事だと言えるだろう。500万以上のオールドイタリーでも悪いものの場合、弾き手がそのバイオリンを弾けなくなることがある。未成年の場合ほかに選択肢がなくて、コンクール優勝者でもバイオリン自体をやめてしまうこともある。

ちなみに低価格の限度60万というのは日本国内の価格であって、つまり欧州の楽器製作者から直接買えば30万円で購入しても工房には利益が出ていることになる。

日本でも表板なんかたったの6000円くらいで売っている。ふつうに購入してもたったの5~6万で材料は揃う。

決して夢物語ではない実際の欧米の音楽文化では、そういう常識豊かな職業として定着浸透しているのである。

日本の楽器商はひたすら値を吊り上げるためにあらゆる口実で宣伝している。

200万円くらいまではほとんど99%粗悪品か失敗作だと思って見た方がよい。

よほどきちんと目が利くようになってから自分で確実に選ばないと、鑑定士や楽器商がどんなによい楽器だと言っても99%は楽器商がほくそ笑むような失敗に終わると断言してもよい。

良心のカケラがあれば、そんなすすめ方はしないなということが日常茶飯事だから、音楽好きとしては本当に悲しい。

 

以下は余談になるが、日本の特異性も理解しておいたほうがよい。

よいオールドイタリーは最低でも億する。よい先生につくためには1レッスン5万くらいすぐにかかる。地方からだとさらに飛行機代が上乗せ。

つまり日本で音楽家を目指すこと自体が富裕層の特権であり、特権階級のための文化になっているので、楽器商はそこに便乗して、特権階級と共犯であくどい商売をやっているとも言える。

日本社会のいびつなゆがみ、構造問題、上級国民、社畜みたいなあらゆる問題の根源が、日本のクラシック音楽業界の中にも垣間見える。(上級国民だけが悪いと言うつもりもないが)

社会人として、貧困問題や教育問題などの課題を真剣に考えていれば、日本のほとんどの楽器商のやり方は採用できない。特権階級のためだけの音楽、官僚のためだけの精神性、収益のためだけの楽器商、まさに私利私欲の極めつけが日本のクラシック音楽業界なのではないかと思える。

もし人類の一員として文化的に豊かな人間性を育もうとするならば、国として、あるいは業界基準として、良心的な教育や商売に変えるだろうと思う。

年収非課税世帯の240万円程度の人たちも広く気軽に楽しめる文化になるためには、現状はあまりにもえげつない。

よい精度のよい響きのバイオリンはそこそこ流通しているが、高額が当たり前になってしまっていて、とても一般文化とは言えない。しかも高額楽器に粗悪ものが混入していて当たり前になっているとなると、もはや有害であり無責任だ。

広く国民がよーいどんとフェアに駆けっこをしたら、本当はバイオリンの上手な人なんていくらでもいるから、経済的、社会的に足切りをしてトラップを仕掛けているのではないかと勘繰りたくもなる。

ぜんぜん公益性がないし普及性のない業界になってしまっているが、国公立の音大や楽団が存在していて、なんとも中途半端でやるせない日本のクラシック音楽である。

ブランドものを追いかける人たちと激安楽器の紹介なんかしている音楽家の空しい掛け声が、どれだけ東洋がへんぴな土人の地域かということを示している。

自分が言うのはなんだが、特権階級か相当な富裕層か、身に付いた絶対的な音楽センスがあるような人でなければ、まず手を出さないほうがあなたの人生にとってよいだろう。いやその特別な人でも大変なものである。

もしバイオリンが好きでやりたいのであれば、欧米に移住して共同体に所属して楽しむとそこそこ幸せな人生になるだろう。国内で楽しみたかったら、聴き手に徹する楽しみ方が正しく無難だろう。演奏家になるにしても日本で目指すのは無謀な回収できない投資になることが確定している無理ゲーだとはっきり自覚してやるべきものだ。

とにかく収益を上げるためにやると、確実に悪に手を染めることになる。

国が予算をほとんど投入しないのだから生徒と素人をダマすしかない。

素人はおめでたくダマされる以外の選択肢がない。

それは私もそうで、最初のフルサイズバイオリンはダマされても仕方がないと割り切る方が多いだろうが、その次は絶対にダマされないように願っている。

恥も外聞もなく優良な楽器を数多く試奏できる人だけが、正しく選択できるのである。

試奏が成立していない方は、御気の毒だが何を選んでも同じだ。

一番安くて見栄えがよいものを選ぶべきだろう。

置物として。