FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

マクロンだけじゃない政治指導者のミスリード

この前メキシコで左派の大統領が当選した。

日本では左派もどきの極右を含む立憲民主党が躍進中。

フランスでは左右両翼と国民がマクロンを攻撃。

これらに共通しているのは、国民生活の基盤を削った結果だということだ。

正義の中道を名乗りながら、年金削減、生活保護削減、治安悪化などを誘導すると、中道が偽装だということが露顕する。

中道とその連帯は政治的安定のために重要だが、国民生活を軽視すればその安定は瓦解崩壊して混乱を招く。

つまり最も責任があるのは中道政党と公正公平な司法と行政の三権。

中道政党を名乗りながらやるべき仕事を怠けた結果はそれなりに避けられない。

 

カスハラを減らすか殺すか

カスハラはずっと以前からあるものだ。

とりわけ最近カスハラを問題視する記事が増えた。

もともとカスハラはごく少数派の人たちのもの。

それが増えたとしたら、減らす方策をとる。

しかし、企業には窓口を減らすだけしかないと考えられてきた。

そもそも企業活動の改善のために重要な窓口を減らして企業活動は悪化する。消費者が損をする。

ごく一部の少数派がわずかでも増えている原因は、カスハラ行為者にはそもそもない。

カスハラ行為者は社会情勢の悪化とともに増加する。

社会情勢を改善することと、企業活動を改善することを連動してやればよい。

カスハラは減る。

しかし、現在の日本では、カスハラ行為者を敵視して排除することと社会情勢を悪化させる政治が一致している。

カスハラ行為者は迷惑行為の犯罪者か狂人として社会から排除され殺される。

動物的単細胞の知恵である。

社会を豊かにすれば良いのだが、日本人にはカネの豊かさしか理解がない。

知恵の豊かさがないのだ。

人間は知識だけあっても、幸福にはならない。

本来同じ人間同士が嫌な思いをするのは、特権階級が被差別の被排除者を作るからであり、知恵の豊かな地域の特権階級は被差別を最小化する。カスハラ最小化は被差別最小化でもある。

バツイチ、犯罪歴、精神疾患生活保護や移民や難民に偏見を持つような程度の市民は世界中に存在するがとても知恵が貧しい。

排除するぶんだけ回り回ってカスハラを増やすことになる。ましてや少数派を殺しても構わないという市民が犯罪の被害に遭っても致し方ないと言わざるをえない。

資産家でも心の貧しい、知識が豊富で知恵の貧しい人達がたくさんいる。

オランダ語が不人気な理由・面白い理由

とりあえず話者の少なさは間違いない。ウィキには2360万人となっている。公用語にしているのは9カ国とEU連合。オランダ人はほとんど英語が堪能だから果たして必要なのかとなるのも無理はない。ベルギー北部では発音が違う方言的なオランダ語で、活字でしか使いづらいそうなので、いよいよ勉強する意味がなさそう。なので実際は1800万人のオランダ人口が話者数ということになる。

 

歴史的事実

江戸時代にも幕府権力者はキリスト教徒を殺しまくった。幕府軍原城を攻撃する時にオランダ軍も日本人キリシタンを砲撃した。ポルトガル人宣教師たちがすでに殺されたあと、オランダ人が幕府に取り入るために日本人キリシタンを砲撃するという商魂は醜い。そんなにヒドいオランダ人なのだ。出島で医学的恩恵を受けた人達が居ても日本人殺害の事実があれば日本人としては相殺???

また先の大戦ではインドネシアで1942年以降多くのオランダ人とオランダ混血女性が慰安婦にされたそうで、両国関係が必ずしもうまくいっているとは言えない。

 

ドイツ語に近いところがあるそうだが、私はまだ正確にその内容はわからない。ただ、動詞の変化形が英語より多い。過去形に単数形と複数形がある。英語の場合はgo goes 過去形went 完了形goneの4種類。オランダ語の場合はgaan ga

gaat 過去形ging/gingen

完了形gegaanの6種類。ドイツ語だと確か格変化があったから英語が1番シンプルなのかもしれないし、裏を返せばドイツ語やオランダ語はただ面倒な印象になりがちで不人気。よほど親ドイツ隠れナチの右翼神道しかやりたがらない。

 

しかも学習しようとしても、英語ドイツ語の辞書が無数にあるのに対して、オランダ語辞典は蘭和1種類だけ。参考書すら大手書店で2種類しか見たことがない。出島の出入りを幕府から許された人たちや蘭学者蘭学医たちの記録などはどこへ消えたのか?

ウィキからの抜粋にはこうある。

8代将軍徳川吉宗は、技術導入を目的に、オランダからの本の輸入を解禁した。また吉宗は、漢学者であった青木昆陽、野呂元丈らにオランダ語の学習を命じた。野呂元丈は、江戸参府中の長崎通詞の協力を得て、ヨンストンスの動物記から『阿蘭陀禽獣虫魚図和解』を、ドドネウスの本草書から『阿蘭陀本草和解』を抄訳した。青木昆陽オランダ語の語学的な研究を行い、『和蘭話訳』『和蘭話訳後集』『和蘭文訳』『和蘭文字略孝』などを書いた。しかし野呂・青木のオランダ語研究は一般的な広がりを持つにはいたらなかった。

青木昆陽の弟子であった前野良沢らによる『解体新書』の翻訳、それに続く杉田玄白の天真楼での弟子の育成、さらに大槻玄沢の『蘭学階梯』の出版と芝蘭堂での弟子の育成によって、蘭学は一般的な広がりを持つようになった。のちに稲村三伯によるオランダ語辞書『波留麻和解』(はるまわげ)が出版され、語学的な研究が進んだ。

1796年のハルマ和解。発行部数30部では一般に入手できるわけもなく、写真データを見ても手書きでとても読みづらく使えそうにない。オランダ語を活字にしているというが、手書きにしか見えない。

 

そんな日蘭関係の経緯や学習書の少なさでわざわざ実際上の話者のいない言葉を学ぶ人は、オランダや北ベルギーに帰化したり、オランダ語だけで講義する講座受講意志があったりするほんのごくわずかな人ということになる。

 

オランダ語を難しいという人はたくさんいる。しかし、自分の言語をより難しいと評価して自分たちのステイタスを上げようとするのは他の言語も同じで、ネイティブはクレイジーでも立派にオランダ語を喋るのだから、実際は平均的な言語であろうことは容易に想像できる。バイオリンと同じである。難しいと言わないと、安く叩かれるから難しいと言うだけだ。

どの言語もどんな楽器も難しいのは同じである。

人気は日常的使用者(日常的聞き手)の中での人気であることもバイオリンと共通している。

つまり地球人口比率では人気ははかれないから、人気とも不人気とも言えるだけだ。

 

半分九州コミュニティ出身のキリスト教縁者としては欧州の秘境オランダに興味津々だ。過去の相互に不幸な数々の出来事を顧みて、現代人として人道的な言動につとめるのは当然のことである。

バイオリン弓の毛は産地じゃない どこの馬の骨か馬の毛か?

イタリア馬毛の素晴らしい経験を何回か書いたのだが、果たして本当にイタリア馬毛が世界一と安易に決めつけるのは良くない。

私は大崎の弦楽器屋さんでほど良いイタリア馬毛を比較的良心的な価格で提起していただいたから損したとは思えない。イタリア産はアベレージレベルが高いから。

しかし、ほとんどの人はやけに高価なイタリア馬毛を使うから損得で言えば微妙だと思う。

性能が良いことよりステイタスの要素があるのが気がかりだ。

ある弦楽器製作者は馬毛の性能の違いを正確に説明していた。

産地の問題ではない。

必要な長さの均一な毛を沢山揃えることが1番だ。

毛が長いほうが、同じ太さの必要な長さの毛を揃えやすい。

丁度よい質と太さの均一な毛なら何処の産地でもよい。

どこの馬の骨かわからないとは言うが、どこの馬の毛かわからないのは問題ない。

最近、新しくはった毛の産地を店員さんに質問したら、わからないけど多分モンゴルだと思うと答えた。

1月以上経過して、とてつもないコシ、引っ掛かりのまんべんない素晴らしさに、これはきっと良い長い毛からとったものだと感じられなくもない。

今までのモンゴルとは比較にならないイタリアみたいなモンゴル???

しかし実にイタリアよりよいお値段だった。イタリアの3倍のモンゴル!!!

高品質!!!!!!

産地比較は確かに面白いが、1番良い品質かどうかが1番大切で、2番目でも良いなら比較の意味がある。

産地が良くても品質が劣るものなら無意味なのだ。

品質と価格のバランスから言えばアジアでは大崎のお店のハイクオリティランクがイチオシではある。

ぜひお試しを。

訪問看護介護の問題 なぜ医療費が高く隔離が多いのか?

カスハラで様々な暴力やハラスメントを受けた看護師が4割近くというアンケートがあり、警察OBや対策部署が対応するようにする流れがある。

6割以上はそんなことはないと明言している。

アンケートから読み取るべきことを行政も医療も間違えている。

患者を厄介者とか危険人物とか見ている看護師は、些細なことを問題視する傾向にあり、敵視している場合には暴力やハラスメントの捏造までなされる。

たとえば手がかすったレベルで暴力とかセクハラとか言う従事者すら実際に存在している。

本当に暴力の被害にあったのなら、それが暴力であると証明しなければならない。ただ怪我をした証明ではなく、その患者から理由なく怪我をさせられた証明が必要である。それが可能な案件はほぼない。

しかし日本では、障害者高齢者虐待防止法がある一方、そのような冤罪防止法は存在しない。

密室だから従事者側はいくらでも事案を捏造できる。

平たく言えばムカつく患者には制裁が容易な状況なのである。

日本人看護師の4割近くが患者を目の敵にしていることは間違いなく、良心的に介護看護にあたっている日本人が6割以上いることも現段階で間違いない。

自分たちがいかように患者を見ているのか、アンケートで自白しているようなものだ。

本来は患者に寄り添い敬意を持って接していれば、トラブルすら問題はこじれない。

弱者のなにかしらの反応を偏見で敵視して症状として取り扱う歪んだ医療慣習がまだまだ改善されない。

本来は業種に患者と対等な面と患者を守る面があるが、人として対等な視点がまったくない。

法律家や専門家の指摘するとおり、日本の介護や精神医療は特に人権問題の巣窟である。

病んだ精神科医や看護師たちが目覚めることはありえない。

日本の患者は気の毒だが、不幸そのものである。

人間として取り扱われない。

日本の恥は患者ではなく、イジメと捏造文化である。

看護師が女性だから被害者なのではない。

人権を擁護されない患者こそ被害者である。

もちろん医療に虐待させている行政や議会の問題も重大である。

それらを修正しようとしない野蛮人たちにも問題はあるだろう。

だからこそ、介護医療職員による不祥事が無数に繰り返される。

田舎のよさと定義

よく田舎は退屈でと言う。

街はイイねと。

それはほとんど人口や人口密度の話しにすぎない。

むしろ私は田舎を好む。

大都市でなければ不便なことが多くて、バイオリン好き、クラシック志向ならなおさらで、英語が生きるのは世界中大都市だ。

おそらくだからこそ田舎が好きなのだ。

もう一つの定義から言えば、進化した人類の生活するところを町と言ったり都会と言ったりする。

頑なに古い慣習を守って苦しんでいる人が1000万人いても、そこは田舎だ。

残念ながらアジアは田舎だ。

平壌も北京も東京もド田舎だ。

排外主義はムラ社会だ。

合理的理由のない恐怖を囁きあい、負のスパイラルに甘んじる未開の部族。

日本人なら英語と少なくとももう一か国語を使えるように挑戦してみるのが幸せ。

田舎ののどかさや独立性と都市の張りのある度量をあわせて人格形成し生活できることが理想だ。

地球の中心、人類の価値観を多方面から検証しながら自分を見つめて生きること。

どこに居ても同じ人間としての葛藤から逃げない。

建設的有意義な余生を送らんと欲す。

 

間違った報道も

世界中右派が排外主義をやるかのような大戦前の状況を想起させようとマスコミは躍起になって自民党を支援する。

イメージや情報を操作して、自民公明を勝たせることで大口のスポンサーも獲得しやすい。

しかし、残念だろうが、立民系と無所属が勝つことが俄然増えた。

国民は立民でも右派の政策をやれると気が付いたのだ。

立民は共産というレッテルは少なくともレッテルに過ぎないし、マスコミとしては立民の変化形やその次の政権の質までは進化してほしくない。

あらゆるメッキが一つ一つ剥がれ落ちていく。

現れる醜悪な姿は怪物や妖怪のようである。

大衆を踏み付けに搾取し続けて太り続けたツケが回ってきたのだ。

立民ですべてが解決すると思っている国民はそれほど多くないだろう。

ただ建設的な議論を初める第1段階が進行しつつある。

報道は本当にマインドコントロールを狙ったものばかりだ。

国民が賢明に見抜く力をつけてきたことは喜ばしい。

しかしまさかここまで自公が無反省にデタラメだとは。。。

日本人としてお恥ずかしい。