FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ゼレンスキーは独裁者 国際支援が実らない基本構図を不動にしている思想

最近、ロシアで兵役拒否の相談が2000件程度あったとロシア人弁護士が話していて、ロシア軍全体には影響がない数だが、報道ではロシア軍の編成ができないという論調である。

2022年5月23日のある記事でニュースサイト「ウクライナプラウダ」が22日、伝えたものを読むと、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ウクライナからの男性の出国を認めることを求める請願書について認めない方針の発言をしている。
18~60歳の男性は出国が認められない。報道によると、これを可能にすることを求める請願書に2万5千人の署名がインターネット上で集まった。
記者会見で請願書への意見を求められたゼレンスキー氏は、ロシア軍が攻撃を続けているウクライナ東部で「毎日50~100人が犠牲になるかもしれない情勢の下、彼らは国家と我々の独立を守っている」と強調。その上で「自分がこのような請願書に対処するのにふさわしい人物と思わない」と述べた。
さらにゼレンスキー氏は「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示した。

別の動画では、東部は悲惨だと言う人たちがいて、実際戦争は地獄絵図になっている。
そもそもゼレンスキーが大統領になった時の政策はきわめて自由で平和志向なものだったという。
話術で当選して政権をとった。
ある時期からはっきりネオナチ系民族主義になったらしく、ロシアとの対立軸で動きだした。
つまり自由と民主主義や平和志向を捨てて、自由と民主主義を標榜した民族主義軍国主義政治家に変容したのである。
もともとロシア寄りでウクライナ語すら怪しかったユダヤ人がウクライナで人気と支持率を回復させるために、民族主義に迎合して染まりきったところが、彼の特徴らしい。
オーストリアからドイツで政権をとったヒトラーと相似の転向である。
よそ者が成り上がる常套手段だ。

ロシアは2000件、ウクライナは25000人が戦争戦闘を直接拒否している。
対立して戦争する原因は、ウクライナ民族主義とゼレンスキーの人気とりのためである。
世界中がウクライナの不幸と悲惨を目撃しながら、煽り続けるのは狂気だ。
ウクライナ政権或いはウクライナ人が内政をまともに改善することが一番の解決であり停戦のカギである。
ロシアへの憎しみや敵意を増幅させる手法しかとれない人類、赤の他人はウクライナ人の平和など無関係なのだ。
ウクライナ人が賢く目覚めるしかない。
ゼレンスキーがまともなら内政を踏まえた停戦や出国の自由とウクライナ人の幸福を容認できるはずだ。
日本人で言えば芸人の江頭某が総理大臣になっているような状態で、国の状況はさらに悲惨になってもおかしくない。下半身を露出できる芸人という共通項しかないが、国として危うい政治家であると危惧するのはノーマルではなかろうか?岸田首相がまさかアブノーマルだとは思わないから、大衆は見た目に騙されやすい。
人気投票の民主主義は、多数派民族主義になりやすく、独裁や戦争が当たり前になる。
日本人もあまり変わらない危険性がある。
国民に死を求める政治の権力は認容できない。
国民への法治では不十分で法律は国権を縛るという常識がない。
NATOへの加入は認められない。
綺麗事ではなく、国民を犠牲にする思想は、自民党民族主義の政治家たちもまったく同じだ。
アメリカはズル賢いだけなのに、単独で中露との戦争へ突き進む日本人たちが賢明であるとは言えない。

馬鹿と刃物は使いよう(平成令和版)

お釈迦様はスリハンドク(周利槃特)という弟子をとって修行させた。
少し前の日本語で言えば知恵遅れ、今なら知的障害者に類するような、卑近な表現では馬鹿ということで、釈迦教団の中でも馬鹿にされていた。
このスリハンドクという弟子は、なにが凄いかと言えば、半端者を一切相手にしないで釈迦の言うことだけを聴いたことである。
釈迦の弟子がたくさん優秀な人たちで溢れかえっていても、その悟りはそれほどでもない。
余計な話に耳を貸さないのと同じで、半端な悟りや無駄な知識は有害だと知っていたのと同じだ。知識の量がまったく悟りと無関係だと理解していた最優秀の弟子の1人なのである。
これは弟子も凄いが、通じあった釈迦も凄い。
なにも仕事ができない弟子に小さな役目を与えて育成し、教団の一翼に取り立てることで、多くの弟子たちを啓蒙する。
弟子たちのレベルアップの核心部分がスリハンドクとの信頼関係によってなされた。
馬鹿は純粋で一途な美しさを持つ。

近現代では貧困は毛嫌いされる。
わたしも好きではない。
問題は貧民の危険視である。
犯罪予備軍を偏見で見るので、信頼関係は構築されない。
全科がある人にも偏見は強い。
ましてや精神障害は危険なイメージだけが一人歩きする。

馬鹿と刃物というのは、使うことが難しいものだから、使う側の技量が試されるという意味合いがある。
近現代では、スリハンドクお断り、入門不可。障害者お断り。クレカがない方はご購入ご契約いただけません。
面倒臭いし、厄介事は嫌だし、儲からないし、難しいから、できればどこかで静かに死んで欲しいというユダヤ商法とナチズム合理主義が蔓延している。
教職員や会社経営者らが知的障害者精神障害者或いは前科がある人たちを使えないのは、技量がなく指導力がないのだが、それは心がないからである。
ある程度知識や経験を積んだ大人なら、使いようがわからなければならない。
そしてそれは、社会の常識として教育し、雇用し、使う(活かす)もので、なにか国の推奨や法定雇用率の問題というのは、近現代の異常性そのものである。
その異常性を先導してきたのは、科学を学んだ官僚たちである。
専門的に対応するという社会的排除を合理性と吹聴して、隔離虐殺か自殺かという医療もどきを提示する。
どんな人でも人として成長していくし、育てる側が人としてすでに成長していれば使うのは可能なことだ。
この育てる側、年輩の成長が、戦後急速に痩せ衰えた。
特に70年代以降はテレビや会社学校で口を揃えて、馬鹿は無視して刃物を使わないと言い出した。

日本人のレベルを上げるか下げるかを決める知恵が忘却されている。
あたりまえにレベルが下がる。
誰もが使い方を覚えるため、変な偏見を持たないように、インクルーシブが重要だ。
特別支援はごく重篤な患者さんに限定しなければならない。
同級生が大便をもらした程度で勉強できないような児童はどの道まともな仕事はできない。
公立小学校でしょっちゅう便をもらす同級生がいて、会話も難しかったが、誰も迷惑に感じないし、誰も困らなかった。
なにができて、なにができないのか、周囲が認識しておけば、支障らしい支障はなかった。
障害児に対する虐待の多さは、そもそも官僚が排除していることが原因である。
軽度の障害児にいかに教育して社会に包摂していくかというポイントを、いかに多くの排除対象を選別して虐待するかという目標設定にすりかえているのは、エリート官僚たちである。

官僚たちには心も知恵もないということがよくわかる。
省庁の障害者雇用率を誤魔化していたと報道があった。
信心がないからだ。
馬鹿と刃物を使えない彼らもまた馬鹿であり危険なのである。

集合住宅マンションのバイオリンは気を遣うのが普通

ネットに出ているバイオリンの迷惑話を読んでいると、なるほど非常識とおぼしき例がたくさんあって、その解決のために、みなさん知恵をしぼっておられる。
ひとつの視点として、ただ止めさせるという強圧的な要求も稀に必要な場合はあるが、わたしはブログにたくさん書いているように、練習の内容、質を改善することや、その関連で先生を変更することを提案してきた。
苦情の過半数は、バイオリンが美しいとは言いづらい人たちに対してのものであり、うまくなる軌道にのせてしまえば、長時間弾いていた人たちの練習時間は数ヶ月程度で長くても2~3時間に落ち着く。
正常なバイオリンの取り組みを教えるほうが、改善の最短距離なのだ。
ずいぶん昔に、広い公立公園でクライスラーシチリアーノを弾いていたら、「あなたみたいなバイオリンならいいな。うちの隣の子どもはヘタでうるさくてかなわん」と言われた。
天気の良い日に年に一回くらいは屋外で弾いてもよいが、楽器はデリケートで破損する。潮風にあたるとまたおかしくなる。
さすがにバイオリンをそういう野外でやれという要求は度を越している。
深夜と長時間については、先生の指導の問題もあって、本人はただ熱心さや思い入れでやっているから、むしろ常識的な感覚に気が付くように、うまく練習方法や取り組みを誘導する指導力が重要だ。
わたしの近所への気遣いは、左手の基礎確認のシュラディークと音階にはミュートを使うことがひとつ。芸大卒のバイオリン弾きがそうしていると聞いてなるほどそれは良い知恵だと採用した。
あとのエチュードと曲の音だしだけを原則昼間帯に限定してすることにしている。
子供のころは、夜9時までと自主規制していたが、最近はそれほど毎日やらない。
音の総量を考慮すると、ミュートなしの音だしはやはり1日昼間の3時間程度が限界ギリギリだろう。
それも毎日となると周辺の在宅状況によって苦しむ人が出てくる可能性があるから、ランダムな音だしに配慮している。
平均するとおそらく1日1時間~2時間のミュートなしの音だしで、なおかつ美しい音とほどほどの演奏というところで、なんとか感情に配慮している。
著名で人徳のあった貴族の天才バイオリニストメニューインさんは、ホテルでの練習の最後にアヴェマリアを演奏して、周囲の部屋の方々にお見舞いをしていたそうだ。
文脈から想像できるとは思うが、わたしが危惧しているのは、太平洋戦争の頃の敵性音楽排除の世論と趣味のバイオリン弾きを敵視していじめるような地域性あるいは人間性の問題からくる無益な紛争トラブルである。
共存共栄のために問題解決の効果的方法と立ち位置による程よい対応をお願いしたい。
趣味のバイオリン弾きをモンスター化させる対応か正常化させる対応かどうか、今一度熟考のうえ慎重に行動することをおすすめする。
この間、同じマンションのどこかの部屋からバイオリンの音が漏れてきて、蚊の鳴くようなあまりに小さな音だったので安心した。
近所の別のマンションからは中国のニコが聞こえていたが、コロナの頃からか聞こえなくなった。
みなさんが音の風景として弦楽器を楽しむことができるおおらかな心になるように、弾き手への敵視要求だけではなく、みなさんで協力して育成していくこともまた人間の知恵である。
気が付いていない人には痛烈な指摘になるが、双方共に地域の文化レベルは人間のレベルでもあるなと思う。

ヒトラーは自由と民主主義の落し子 人の死は快感?

学生の履修で人文学部のナチズムのゼミに入ってナチスの資金源についてレポートを書いたが、提出しないまま帰省してしまった。
ゼミについて新入生が知るための選択必修で、1人1人順番に担当を調べて説明する形の面白いゼミだった。10人ちょっとの距離感。
大学とは別に、ヒトラー我が闘争に目を通したり、大戦期の世界の本はたくさん読んでいたが、資金源という視点は意外な真実を提示していた。
ヒトラーは実に政治家に転向する過程で内に怒りを爆発させながら人の波を突破するように政治団体から与党に至るまで実力でのしあがった。
政治団体には圧力団体という一面があり、アンフェアに見える暴力の行使はあったが、民主的選挙の手続きを経ている。
国民感情に訴えかける弁才と毅然としたリーダーシップは、当時の世界を動かすエネルギーに満ち溢れている。
わたしはヒトラーの著書を読んで、彼は精神疾患があるのではないかと思った。
自殺する因子が多く、孤独そのものの不幸な人生に見える。
移民オーストリア人がドイツで成功するために最善を尽くしたという所と、ユダヤの出自を隠しながら才能を開花させる執念はまさにユダヤ人としての特徴である。
大手の政治資金はなくても、国民感情を掴んで政権与党を率いる才能があった。
今の自民党有権者過半数は支持していないが、議席過半数の与党である。
自由と民主主義は、戦争と過剰な軍事力を肯定している。
彼らにとっての合理性は虐殺と戦争である。
中露だけの問題ではない。
人類の問題は、自由と民主主義の中にもある。
人間の問題は聖職者の中にもある。
アメリカ軍兵士に許されている自由はわずかである。
なぜウクライナが焦土になることを自由と民主主義だと言い、多大な犠牲を勝利と喧伝しなければならないのか?
今度の戦争は一段落ついた。
アゾフ大隊が降伏した。
ロシアの積年の怨念は晴らされ、ウクライナ軍の残り部隊は物量頼みとなった。
マスコミはユダヤ主義だから、終戦や節目を軽視し、糊塗してアゾフを賛嘆しているが、要するにウクライナのネオナチはロシア国連軍に敗けたのである。
プーチン大統領が今後人道性の大義をどこまで守れるかわからないが、ロシア領に攻め込まれない限り危険はそれほどないだろう。
武器支援でロシア兵士を苦しめることと、東部ウクライナ人が犠牲になり、ウクライナ兵士らの遺族が生涯苦しむことは、同じ心の問題を発生させる愚行である。
正義は、平和の実現にしかない。
自由と民主主義は平和のためにしか用いてはならない。
狂気の政治をただす勇気ある人士が出るように願っている。
戦争と虐殺を正義にすり替える詐欺的政治は支持できない。

教育の危機と悩みに見える光 バイオリン関連

親族に教育者がたくさんいたこともあって、わたしも教育課程の単位をとろうとしたことがある。
小学校の頃は、バイオリンの先生になりたかった。
お勉強が不得手だったということはなく、両親の虐待が成績や人格形成に悪影響を及ぼした。
企業が教育事業をやる場合、概して営利のみでやるため継続できない場合があり、教育者待遇は深刻だ。近年は一般公教育すら悲惨である。
最初は幼児教育の先生が楽しいと思ったが、今はマルチに中級までの指導能力があればよいと思う。
演奏の実力と指導の能力の両方が必要だから、まだまだ指導者の資格はない。
お兄さんとしての手ほどきレベルなら経験があるが、本人はそれは目指していない。
個人の教室は協力者がいなければ不可能だ。
大手の教室は、収益を優先しすぎるから、バイオリンを教えている先生はあまりいない。音楽学部限定採用なので、対象外だ。
きちんと教えると生徒はすぐやめてしまうことが多い。
譜面が読めないとか音程聞き取れないとかいうのは、義務教育課程の問題で、専門外となる。
収益のためなら、それもやらなければならない。
バイオリンを弾こうとする人たちの絶対数が少ないと教室は成立しない。
合奏、室内楽の楽しみなしに、ポツリとピアノ伴奏で数名の生徒の発表会を開催するのは、かなり収支も悪く、そもそも盛り上がらない。
かくして教室は資産家の暇つぶしとなる。
そんな見たてで、小学生の頃の目標は達成されそうにないと判断したのが、15年前のことで、目標は変更となる。
バイオリンの先生の定義が、音高音大進学者を何人出すかという基準になかば限定するというのが、実は健康的なもので、趣味とか楽しめればとかいう目標は99・9%実現しないので、そういう精神的苦痛著しいことをやる意欲はない。
わたしはそれで教育者になるより、アドバイザー程度の範囲でピンポイントの役割を果たせる能力のほうを重視することにした。
そして当たり前の演奏能力の基礎や定番の曲をいくらか確実にするほうに傾注しようとした。
そこで、まともな指導者が少ないことが、その進行を遅らせた。日本でバイオリンを習おうとするのは、砂漠で水を求めるようなものだ。
遅れながら奏者デビューしている人たちもいるから、かつての奏者としての自分をいったん脇において、地道にまた取り組んでいる。
基礎に取り組んでいて、感じるのは、演奏のためには最短でもあと3年は必要だという気長なことだ。
しかも中年から基礎をやることで、他の奏者より毎日の基礎確認の時間が長めに要る。
まともに気楽に弾けるのは、おそらくあと5年くらいかかるだろう。
発表会で子どもと同じ舞台で楽しく上達する喜びを志向しながら、様子を見ていくことになりそうだ。
音楽の価値を認める人たちに理解されれば、ほとんどそれで幸福だし、欧米のクラシック音楽愛好家と通じあう喜びは大きいものなので、多少のハードルはあるものの続けていきたい。
とりかかりだったスズキメソッドはキリスト教系だし、成育期に何十人の白人たちと交流している経験も大きいのかもしれない。
バイオリンはヨーロッパ製、弓はフランス製とアメリカ製、弦はドイツ製。
キリスト教由来の文化に囲まれて珍しくもないが、幼稚園はカトリックで神父が園長、伯父伯母両親みんなカトリックの中高大学ばかり。
神道では音楽というより、序列身分階級と運動神経の競争原理で、深いところは闇である。
教育の定義や役割もまったく異なる。
日本人が日本人として音楽教育をきちんと考えて楽しむことは難しいが、価値がある。
岸田首相がNATOの首脳会議に出席するそうで、先日のフランシスコ法王との謁見)に続く動きとして重要だ。
日本人の人間観とキリスト教由来の人道観の乖離こそ、音楽教育の危機と悩みの根本原因である。
孔子の教えは、キリストの教えとは違うし、仏教の人間観も正しく知られていない。
同じホモサピエンスでこれだけ教育が違う。演奏が違う。
共通項と高めあう前向きな人類の進化に添うことができるような日本人でありたい。
みずからを貧困に置き、貧民とともに生きて喜びを感じる聖者こそ真実の聖者だ。
人間は立ち回りや利害損得で堕落するほうが賢明で幸福だと錯誤しがちである。
人間、教育は魂の対話が1番であり、現代の大部分の人間は動物以下の見下げ果てた生き物になってはいまいかと人類の1人として心配している。

どれだけ頑張って努力してもマイナスに 法華経の信心

信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり

組織や形式に振り回されるのは愚かです。
大聖人の心と一致するための組織と形式こそ最重要です。
学会がおかしくなり、大石寺門流の寺組織、法主指南、大御本尊にたちかえって、いかに日蓮正宗形式主義が清純な日蓮と同意の魂、信心にとって必須なものかを体験、確認しました。
法主批判を中心の旗頭にして、大御本尊という魂から離れていった結果の原田学会以下です。
単純明快に大御本尊こそ日蓮が魂そのもので、歴代の僧侶が毎日口移しで唱題している響きに、大聖人様の心は生きています。
我見教学を構え、スキャンダルや捏造に誤誘導してきた創価聖教の大罪に気がつくべき時は今です。

殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね先代未聞の事なり貴し貴し。此の文に委悉なり、能く能く心得させ給へ。只南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承と修行し給へ。火は焼き照らすを以て行と為し、水は垢穢を浄むるを以て行と為し、風は塵埃を払ふを以て行と為し、又人畜草木の為に魂となるを以て行と為し、大地は草木を生ずるを以て行と為し、天は潤すを以て行と為す。妙法蓮華経の五字も又是くの如し、本化地涌の利益是なり。上行菩薩末法今の時此の法門を弘めんが為に御出現之有るべき由、経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん。日蓮先づ粗弘め候なり。相構へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此より外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。委細の旨又々申す可く候。恐々謹言。

 文永九年壬申二月十一日         桑門 日蓮花押
最蓮房上人御返事

マスコミの「護憲は左翼」という洗脳で世論形成

ウクライナ戦争や中国共産党軍の増強などから、防衛力を拡充していく必要を感じている日本人が増えている。
反対すれば左翼だと攻撃されるらしく、ネットのコメントでは、軍備増強一色だ。
護憲は中国を利する時代錯誤だと主張している政党が増えて、本来の欧米の民主主義体制を破壊することに危惧を抱く人たちも見当たらない。
日本国憲法は左翼とか右翼とかではない。
ど真中ストライクそのものの優れた憲法だ。
その価値や意味を理解している日本人があまりにも少なく、法曹界ですら憲法を貶めていることに無自覚である。
防衛力を保持して安保のもとで運用することは、侵略のための軍事力行使にはあたらず、交戦権行使ではない。
憲法について国会で議論しようとすることも不必要だし、非核三原則などそもそも綺麗事である。
周辺国との軋轢や利害調整に軍事力行使という手段を使わない限り、正当防衛のための自衛隊出動は今までどおり認められる。
集団的自衛権より敵基地攻撃能力が憲法に触れるかどうかが問題で、正当防衛を超えた過剰防衛だとされるのも当然だ。
防衛ラインを越える攻撃は、相手領土侵略の意味合いが生じるためだ。
台湾はかなり危険だが、尖閣諸島の防衛施設の未整備もかなり危うい。
国境も防衛ラインも守れない中で、どこから敵基地攻撃能力の議論が出てくるのか?
軍需産業への利権利益誘導そのものだ。
軍閥を強くして、国民生活を窮乏させる悪政は御免こうむりたい。
NATO同様の2%の軍事費を実現しつつあるなかで、欧米基準中道の日本国憲法を堅持することが、賢明な判断であるが、日本人の知能程度を見ると、改憲政党ばかりに投票する未開な野蛮人が自滅していく流れは変わらないようだ。
凶器準備集合罪や殺人罪を一方的に裁くことができる関係性は国際国家間ではない。
極東軍事裁判など軍事裁判は特殊裁判だから、軍縮会議を紛争衝突の予防的に開催することが重要だが、近年の大国間協議は停止破綻している。
戦争の危険性を高めない範囲で防衛力を整備し、外交関係を適正化していく努力が必要である。
外交力の基礎である国力をまず高めなければならないところ、民間人攻撃、日本国領土への攻撃の危険性を高めるだけの敵基地攻撃能力を叫ぶ自民党は狂気を主張しているようにしか見えない。
ユダヤのしもべとしてマスコミぐるみで日本人をおだて上げれば、改憲はあと少しで実現して、アジアで戦乱を起こし、アジア人が大量に犠牲になる日が刻々と近づいてくる。
高市氏の発言のとおり、日本人にはみなさん死んでいただくということである。
ウクライナの犠牲者の冥福も祈るが、日本人がいつまで平和に暮らせるか明日は我が身だ。
護憲中立と安保の並立を選択するしかない。
自民公明維新民主には知能がない。