FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

詰めてみて見えた日々の課題 発表会に参加するわたしの場合 David Coverdale **Last note of freedom**

いつもレッスンに向けて予定を立ててこなすことを繰り返して、そのなかでも課題はあることに違いはない。

特に本来的には違いなどない。

ただ、よりきちんと弾きたいと思う中で課題を深掘りして再統合する機会。

基礎メニュー

1シュラディックの1、2番を形をととのえながら。姿勢と弓の持ち方を同時にチェックする。

2ポジションエチュードを1小節ずつ丁寧に完璧に。

3フレッシュの練習に1、2をおとしこんで常に移弦と時にボーイングバリエーションを意識ながらゆっくり一回、はやめに一回。

4ボーイングバリエーションを習得するためのエチュードで多彩なパターンの基本形をいくつかメトロノームで練習。

5今まで取り組んだ楽曲で基礎を修正。

これは個人練習そのものではあるが、講師からの指導指摘を受け止めたらこうなるという内容で、新たになにかをやるより、今まで漫然と流していた悪化する練習もどきを改善するうえでの留意メニューだ。

この3ヶ月くらいの間にこんな基礎メニューが自然と出来上がった。

他人からはいつもと大差ないどうでもよいことで、しかも発表会の演奏の成果は散々だから、意味も意義もわからない。

経験者としても、舞台でガチガチではなんの役にも立たないから疑問を感じない訳ではない。

緊張しないため、力まないための方策の1つに過ぎない。

基礎メニューだけで練習は充分でもあるが、それでも3時間以上必要で、しかも疲労度合いが一定あるところが課題だ。

これから数年間積み上げるとこの基礎メニューが90分程度まで短縮できて疲労度合いも低くなる。(今後の追加メニューに重音基礎アリ)

そのぶんだけ、1日の使い方の自由度や余力は増加する。

気楽に少し遠いところまでの決まったコースの散歩をするように淡々と脚を動かすように練習して心地よい疲労になってくると課題は克服されて発表会の舞台での緊張はそのぶん和らぐ。

こういうものは3ヶ月くらいのプログラムで頑張っても成果がマイナスになることすらあるということで、基礎メニューをこなすのに努力を感じないようになればよい。

そこが当面今後1年間の課題だ。

いつか世界一の動画を撮って、バイオリン製作者或は工房に贈呈できたらよいなと思う。

 

人生でいちばん練習して舞台練習したかった10代後半以降その機会はなく、高校生の頃映画館でデイズオブサンダーの主題歌が胸に残った。懐かしくその歌詞を今眺めていて、わたしの人生のテーマと響き合うものを感じた。

踏みにじられた純粋な熱い夢である自由と愛を天に約束された魂の叫びを。

レースへ駆け抜ける主人公のトムクルーズの姿にはあまり感動しなかったが、このDavid Coverdaleの歌声には深い感銘を受け、今や天啓の域を見出だす。

発表会へ向けて最高の努力をした自分を称賛して天の国が近づいたことを喜び感謝したい。

The last note of freedom歌詞

Here I am, burnin′ man, Singing the song of my open soul. Will time pass me? All my dreams a heaven knows. I don't wanna be cheated, I can′t go on, in a world where love is beaten. Rise up burnin' man, See is the white taken man.

I don't wanna be cheated,Days of thunder see me shine,

All my dreams turn out fine. I know the suffering will end, my friend, When the last note of freedom is rung throughout the land. I know the hateful will burn, When the last note of freedom is heard throughout the land. I know the fear of dying, Heard it from a meltdown blast. I know that lord have mercy, It soon will pass. I know it. I don't wanna be cheated, I can′t go on, in a world where love is beaten, Can′t go on, where love is defeated. Can't go on... (Solo!) I know the suffering will end, my friend, When the last note of freedom is rung throughout the land. I know the hateful will burn, When the last note of freedom is heard throughout the land. I know the fear of dying, Heard it from a meltdown blast. I know that lord have mercy, It soon will pass. We need love. We gotta want it so bad. We need it now, So run for it fast. I know it, And the world will be cheated. I can′t go on, in a world where love is defeated. I know it. I can't go on... No, no, no, no, no, no, no. Where love is defeated. Can′t go on... In a world where love's defeated (defeated) No, no, no, no, no, no, no. No, no, no, no, no, no, no. The last note of freedom.

土地の有効活用と世界観 シム・シティだけでは足りないし大戦略三国志だけでは野蛮

平地、山地、盆地、谷合、河川絡み、海岸線、さまざまな特性があり、地震雷洪水が起こりやすい、干ばつ水不足になりやすいところを改善対策して、活用しやすい土地を増やす。

今ある土地で農耕向けに使いやすい土地を有効に使う。

そのためにいちばん大切なのは、目的ではなかろうか?

滅び行く株主帝国のために肉食と享楽を目指して土地開発有効活用という目的では欲望に際限がないので土地は不足して戦争して領土を増やすしかない。

家畜のための牧草地が無限に必要となり、しわ寄せは人間に及び、努力している貧困層が発病して犬死する。先進国においてすら。いかにいわんや途上国においておや。

政府統制で家畜を鶏に絞って漁獲管理を徹底すれば牛豚等四足動物食用は不要だ。鶏と鶏卵の生産管理基準を改善するべきだ。

世界で哺乳類を食用にしないように総合的に議論すれば、結論としては捕鯨、牛豚羊山羊象等のごく限定的食用容認に落ち着くはずだ。条約を議論すべきだ。

それら残虐な哺乳類食用と努力している貧困層虐殺はほとんど同じ犯罪行為であり、土地はひたすら人用食用植物で満たすべきなのだ。

神のみこころに叶う人に平和。

仏教ではその魚鳥の食用を禁止しているが、これも平和のために人を食べないように黄色信号として魚鳥食を取り上げている。キリストイスラムユダヤ神道では最初から奴隷と人肉食を前提にしているから、人権尊重捕鯨禁止という流れだ。

おおまかに赤と青だけの信号が神の教えで、赤黄青の三色信号が仏教。

食糧事情が好転生産量が急増したため、いつのまにか寺院は奴隷育成と大差ないような効果に変わり、現代仏教は特に妻帯肉食でその教えは喪失されたが、その知恵だけ使えばよい。

土地開発と改善と活用を最大限にすることは、戦争の抑止そのものである。

そこに人間の心の妙もある。

株主のために乱開発と大量消費を煽る経済は本質的に戦争であり、同一線上の相似形行為である。

シムシティの最初のゲームからいくつかやってみて、限られた土地の中で周辺都市との効果を見ながらいかに多くの人口をいかに教育医療社会インフラ豊かに商工業水準を高度に発展させるかという工夫とやりくりを考える面白さ創造性に目覚めたのは17歳のころだった。

アメリカ人ウィル・ライトの作品だが、農耕地を軽視しすぎていて、漁業視点はまったくない。軍用地や宇宙基地に目が向いているため、基本の食糧問題と心には暗い。教会だけはどんどん建つのに、寺院はない。長期展望に立って意識的に文化施設や高等教育機関は建設しなければならないことを示していて啓発的だが、カジノなどの治安悪化高収入商法を容認して政府統制の必要性も同時に示している面白さ。

自由主義は政府統制が適切であってこそ成立する。

不適切な統制は犯罪や被害と戦乱になり、誘惑に満ちた商法、株主のための政府はもっとも愚かな違憲政府なのである。

一部の奉仕者であってはならない。

国家地域全体の奉仕者は、心からまず悔い改めて、適切な統制の基本から再検討再構築して政策を立てる必要がある。

現代の技術力があれば理想郷は実現できる。

エリートも政治も職務怠慢で、無念に非業の死を強要する極悪な悪質マフィアの1類に過ぎないのではないか?

なすべきことすらわからないのであれば、修養からするか出家でもしなければならない程度なのである。

馬鹿は数字を追いかけるしか能がない。

失敗を最小限に 成功してもあたりまえ 発表会

昨日の失敗は本人にとっては大きな痛手で、限定公開されていた動画を見ると、舞台での過剰な緊張の中で、最後まで一応弾いている。

直前までほぼ完璧に弾けて、身体が突如こわばって統制不能になり、心配していた音がよく聞き取れなくなるアガリかたはまったくなく、その予測ができていたとしても身体がスムーズに動かないことへの対処方法は弾きながら思い付かないし手遅れ。

ナンだコレはと思いながら弾いた。

過緊張とか日常ストレスの問題かと考えたが、ほぼ舞台だけのことなら違う。

普段のものは無自覚な場合もあるが、以前講師は姿勢の修正矯正の話、構えの話をしていて、動画を見るとやはりそのクセは明白だ。楽器を持ち上げる。

つまり練習を長時間気合いを入れてやると過緊張状態が作り出されて、最も脱力するべき舞台でガチガチになる。むしろ練習ゼロのほうがリラックスして弾けるパターン。

今、独りで考える対策は、運動不足解消とバイオリンの構えを修正することと慣れにまた舞台にあがることの3点くらい。

ピアノ合わせの時からして意外だったのはピアノの音との融合を楽しむことがまったくできないほどのこわばりかただったことだ。

そのなかでの体験の楽しみというのが、果たして楽しみと思えるのか、楽しみと呼べるのかビミョーなところ、今後マシになるように願うが、8分弱の統制不能体験が恐怖として記憶されてしまうと発表会の意義がマイナスになりかねない。

自己ベスト最大限の準備をしていたからこそ、その程度の失敗で済んだのだと考える。

8ヶ所の半音未満の音程のズレ。

フレーズのリズム感の狂い。

デタッシェのアラ。

音楽が成立していない。

バイオリンの良さが伝わらない。

力むと脳裏で予知していたかのようにクニオ・ユーリの毛増量弓を使っていたのは、同じ制御不能の中で確かに音がよく刹那のベーゼンドルファーとの融合を微々感じられて救いとなった。(ベーゼンドルファー・インペリアル290)

もしマーキスだったら、力みが破裂音のような不快な音になり、失敗を最大化した。

つけ刃と久しぶりだから、まあそんなもので充分だと言い聞かせるくらいしか手はない。

参加者のほぼ全員が悲惨な失敗や不如意を経験していた。

難易度はそれほどでもない曲で、80人中一人だけ外国人名を漢字にあてている小学生が素晴らしい音楽演奏をしていたのが印象的で、一人精霊が満ち溢れていた。

あの感覚なら、わたしは世界一のモーツァルトが弾けただろうと思うような素晴らしい音楽演奏だった。

予測をこえた不出来 弦楽器教室発表会

先程、ホールで本番が終わり、なにか対策がないかと早速思案している。

発表会形式の個人は確かに久しぶり(37年ぶり)だし、伴奏をしていただくのも久しぶりだが、弾き始めからではなく、会場の雰囲気に最初から緊張したようだ。

講師の姿もない。

伴奏の方はせっかく気さくにしてくださったが、申し訳ないことにかえって緊張が増幅した。

腕がこわばってスムーズに弓が運べない。当然指先の統制が難しい。

後半から少し弾ける感じがしたかと思えば、最後まで音程を外す。

今まででいちばん不出来な演奏になり、追い込み直前までの今までで最高の演奏とのギャップの最大値もいちばん。

あとで動画を見てもなんの意味もない。

要するに緊張しすぎる。

幼児の頃なら緊張しなかったが、選曲の問題でもないと思うが???

レッスンを豆テスト、発表会を模試になぞらえるなら、豆テストは基礎が丁寧な講師のおかげでなんとか弾いている。

模試は不合格。

いくらなんでもひどい。

わたしのあと演奏している人たちがリズムがとれない移弦できない落ちるなどの状況を奮闘していることからすれば、趣味の大人の中ではそこまで卑下するほどひどくないのかも知れないが、わたしの目標と基準からは今日の自分の演奏は万死にあたいする。

次回以降のレッスンで講師の先生に対策や知恵などをいただきたいと強く思った。

少し休憩を挟んで、楽しく緊張を適度に弾けるように、ボチボチ取り組むことにしたい。

 

はやい話が自分さえよければ 他人の幸福を願うと奇人変人にされる国の精神的奇形

日本国のため、ヤマト民族のため、世界の平和のため、自由と民主主義のため、そういう類いは9分9厘、99・9%以上ハッタリ偽善である。

日本国内の少数派だが最大多数派を形成して私利私欲を満たすことが第一の目的。

民族主義、国粋はインチキだ。

日本人はそこに騙されやすい。

日本人にも人間性や善意というものがあって、そこに漬け込むのがいちばん確実に儲かる。

都合よく日本人を抑圧して統制するために、日本は素晴らしいと無理やり宣伝しているからわかりやすい。

彼らは日本の欠点を意図的に隠す。

マスコミだけではなく、井戸端レベルまで、情報操作、印象操作が日常化しているため、わざわざ政治が報道管制を必要としない。管制の自覚認識がない。操作が常識だからである。

個人の心を無視し、議論しない。

国会でもまったく議論しない。

自民・立憲・維新・公明の多数派主流派の日本人は中国人より性格が悪い。

世界一悪質である。

世界中で個人を抑圧している軍事独裁政治を直間で陰に陽に支援している。

まず日本人の生活を向上させることが、個人の幸福追求を具体化させる。

独裁政治は個人の発言を無視する。

潤滑油である現金を個人から吸い上げて自由を奪う。

水田の水をやらずに収穫は期待できない。

陽当たりを悪くして育つものは限られている。

政策として日本国が衰退するように、多数は就労できないように、就労が続かないように、健康を維持できないように、子育てできないように、仕向けている。

上位の富裕層だけがノーマルに生きられる国づくりをすれば、富裕層以下はまともにいかない。

仕事の経費をすべて自腹にすれば8割はまず学費がない。

日本のグランドデザインを考えないように、悟らせないように、民主党との対決と内戦風にやってる感をパフォーマンスするだけで、近年なら対中プロパガンダで、個人がギリギリになるように規制や税率や補助金を決めると、現在の霞ヶ関行政になる。

意図的に日本人を締め上げて苦しめているだけだ。

断末魔の悲鳴を拝聴して5万円の御香典。

上位富裕層は、たんまり私腹を肥やして、贅沢な無駄遣いばかりして、3000万人4000万人には沖縄戦のように自決を求めブラジル満州移民のように自爆特攻隊を強要している。

人権の基は自由であり、自由の基は健康と貨幣、健康と貨幣が不足している個人の教育文化レベルは低下する。

日本国内にフリーメーソンはあまり増えていない。

日本には人道とか人間性とかいう感性がある健常者がほぼいない。

自分さえよければそれでよいレベル。

目先のカネに安心できるわけがない。

私利私欲あるのみ。

精神保健福祉法と特にその33条は、個人の声、個人の心の発信を抑圧するのみならず、議論しない健常者を擁護している。

あの法律は北朝鮮方式で、独裁政治を擁護するための法律は廃止しなければならない。

民主主義と少数意見の尊重は議論が前提だが、国会の政府答弁は議論を拒否している。

議論しないという宣言や開き直りで、多くの国民が死を選択し反社会的勢力に迎合して独裁を維持する。

日本人の中で、そういう非人道的な独裁に対して抗議している人たちもまた自分さえよければそれでよいレベルである。

欧米のほうがはるかにマシな人生の割合が高いのは、キリストのほうが天照よりマシな精霊なのだ。天照は悪霊。

天照は日本人も人類も不幸にする。

太平洋戦争の時も同じで、天皇のためにたえがたきをたえしのびがたきをしのび、今は自民党神道連盟のために自腹を切らせるだけの日本政府周辺関係者たちはなんら反省していない。

日本人に対して残虐な独裁政府に天の治罰と仏罰が下るのが楽しみである。

ハンドメイドの銃なんて丁寧で愛のある罰ではなく、もう少し天の強烈なわかりやすい罰がよいだろう。

命を軽く扱うようにそそのかす人たち

政治が間違いをやるので、大衆も中小企業も労働者も障がい者も女性子どもも、みんな大変。

金儲けするための間違いは政治がそそのかしている。

国民のため、消費者のため、個人のため、そういう基本的人権擁護のための施策は故意に歪められてなされない。

35歳までこき使えば、あとは知らない。

ユダヤキリスト文明による侵略は、未開人を奴隷にすることしか考えない。

未開の奴隷商人は大衆を売り渡す。

現金やムードで誤魔化す。

コマーシャルにのせられ、おだてられ、イイ気になって今だけ幸せな生き方を選ぶのは不幸だ。

みなさんがどうなろうが知らない人たちが宣伝工作している。

1日を大切にする積み重ねが人間の最低限の条件。

毎日を無駄に苦しむ未開の奴隷たち。

無理や危険な労働を推奨するスポーツ文化。

いじめを公然と開きなおる大人。

階級を強要する公教育の異常。

自分の人生を無駄に費やすことの苦痛。

幸福への一歩は踏みにじられる。

善意が存在しない国民性。

宗教商法のために殺される日本人。

首相の霊感答弁は意味不明。

戦争やむなしと軍拡を支援する野党立憲。

若者の味方などいない。

あまりにも滅茶苦茶な国。

それでも奴隷商人の手下である神道を拝む大衆。

自業自得でしかない。

 

教育者の指導力不足は誰も許さない

日本だけが教育者に厳しいような思い込みで日本は指導力不足を許してくれないからとカナダに行く人たちがいるらしい。

自由だから構わないが、むしろカナダの生徒は気の毒だ。

聖職者のはしくれという自覚がない。

よくニュースになる不祥事と同列の話を、許してほしいというのは、適性がない。

それはカナダでも同じように指導力不足が別の形で不都合を生む。

生徒はアカの他人。

尊い時間やお金や準備をして指導者を仰いでいる。

とてつもない勘違いをしている。

教育業界の問題は宗教の聖職者と同列で、信頼を得たり指導力を発揮してもあたりまえの世界。

どれだけ厳しいのかお勉強なさるとよい。

甘えた人間はカネで教育者をやるしかない。