FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

拙記事の記述と教皇の言葉がどこかで重なり合い

ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇様は、9日に公開されたスイスメディアのインタビューで「最も強いのは国民のことを考え白旗をあげる勇気を持って交渉する人だ。負けたと分かったときや物事がうまくいかないとき、交渉する勇気が必要だ」と述べたそうだ。

私はそれを読んだ時に自分がこの間書いたブログを思い出した。

2024-02-28

抑圧からの解放を望むウ戦争の終焉

という題で、教皇様と重複するところを感じて、とても心豊かになった。

愛と慈悲からの深い智慧に耳を貸さない意固地さは、無数の苦しみや不幸を増やす。

ウクライナの指導者たちは、心を鎮めて深く考えるべきだ。

白旗イコール降伏などという単細胞思考で反発するのは、ほとんど幼児性であり、そのために犠牲になっている国民の心を思わないというのは、本当にどうかしている。

率直に私はそう感じる。

国会でのれいわはエグいか?打ち上げ花火にトマホークを!

先日の国会での山本太郎代表の岸田総理への質問を観たところ、ストレートな分かり易い質問であると同時に「やまもとたろうのそこまで言って委員会」と笑えないものを感じた。

笑えないのは良い意味ではあるが。

政治は文化であり、技術であり、大多数の幸福のためである。

悪い意味では、被災者や弱い少数派のことなど無視して見殺しにするための合議、寄り合いである。

日本文化はエグい伝統をまだ保存している。

そこを突きまくる一本槍の山本代表。

総理はスポンサーと議席数を背景に大上段に小政党の変わり者めと言わんばかりに威圧的である。

そう、エグいのは、議会、寄り合いを含めた日本の文化なのである。

日本の伝統的政治は個人の幸福よりも派閥の繁栄で徹しているから、個人の意志はまったく考慮しなくてもよい。

政治で個人の基本的人権を潰すことに専念する。

救済法や予算策を申し訳程度にして責任逃れ。

それでいて、公家系と上位富裕層の基本的人権は律儀に認める。

幸福追求権を一部だけに認めるのは良くない。

全国民が勝手好き放題になるのは一部は困るものの、無秩序とか治安悪化とかいう心配は取越苦労か杞憂だろう。

幸福なんて程度が低い幸福が蔓延していて、ライバルの急増を怖れる富裕層特権階級の小心さには呆れる。

官僚や商社が幸福な職業だという偏った価値観で政治文化をセコセコこせこせさせて、国民が不幸でも我関せず。

無神経なコミュニティが国民を馬鹿にして見下す。

たしかに民衆は無価値な幸福に酔いしれる無価値な生き物だ。

生き物を選別して殺戮しても構わないという価値観から日本の政治文化もナチズムも成り立っている。

それはイカンと明言追及するのが国会ではれいわくらいしかいないということに何も感じない日本人こそエグい河童衆である。

共産党すらパフォーマンス政党に成り下がったし、もはや悪事にブレーキが効かない国家地域に成り果てて、あとは有事紛争を花火大会の感じで楽しむようにと国民教育に余念のないマスコミには期待できないどころの騒ぎではない。

そろそろ学校給食に芋粥でも出さねば。

 

ザリガニ カブトエビ すずめ ひと昔前は

写真は東京銀座のコンサートの帰りに撮影したビル群で、街中ではすずめを見かけることがある。

まだ私が小学校に入ったばかりの頃だったか道の脇、パン屋さんの隣の小さな店舗の軒下にすずめがうずくまっていた。飛べないらしかった。そのままにしておくのは可哀想なので、掌にのせて大事に家まで連れて帰り、どうしたら回復するかと実母にたずねたが要領を得ない。

間もなくすずめは死んでしまった。

狭い庭に埋めてあげた。

今はアメリカザリガニをとったら返せないらしいが、まだ昭和の後半で、たしかにアメリカザリガニは大きくて見映えもするがそれほど多くもなく、まさか法律が必要になるとは驚きだ。しかも効果がどの程度あるのかまったくわからないような。

日本のザリガニは、パッとしない地味なものだから、臭い用水路や足もとが危険な川に入るほどの価値があるのかどうかとても疑問なのに、よくわざわざ面白がって入った。とったザリガニを家に持ち帰り、エサの煮干しを与えていたが、水を換えるのをいつもおろそかにして、数日程度で命が尽きてしまう。子供ながらなんとものぐさなと思う。いつも通路程度の庭に埋めてあげたが、飼い方によっては寿命がずいぶん違っただろうと今でも申し訳なく思っている。

人口は100万人以上いるというのに、家から小学校の向こう側のエリアにはまだまだ田んぼが残っていた。小学校からこちら側にはほとんど住宅しかない。

古いお寺の敷地の池と県道沿いのため池はどちらも底なし沼と呼ばれて恐れられた。

田にはカブトエビが沢山いて、つかまえる難易度がザリガニよりはるかに低いのでザリガニがとれなこった日に何度か持ち帰ったことがある。

しかしザリガニより弱くて翌朝にはもう生きていなかった。なんと儚い命かと哀しくなるが、また埋めるしか能が無い。

飼えもしないものを持ち帰らないようになるまでは早い。

命が尽きてしまうのを目の前で見続けるほどの勇気がないからだ。

アメリカザリガニが増えすぎたら加熱して食用にすればよいが、食用となると別の感覚で罪悪感や哀しみはなくなるから不思議なものだ。

実際に食べなかったが、法律ができたらしいので、バスもそうだろうが、調理方法を普及させて食べるのが1番対策としてよいような気がする。

要するに増えすぎるエビと魚である。

素朴に美味しく食べる方法はないのかと思う。

まだまだ日本は豊かなのか、東南アジアの養殖エビばかり食べる結構な身分である。

日本人の一部は戦中戦後はザリガニを食用にしたので、今こそまたその文化を甦えらせるのに良い時期なのかもしれない。

街中で商品パックとして並ぶか、レストランや食堂のメニューにあれば、モノ好きが堪能するかも知れないし、案外普及するような気もする。

国産なのだが。。。

野党の国会運営???

予算案が衆議院を通過して、立憲民主党代表は野党全党で反対したことをアピールしていて、ガッカリした。

今日までは通過させてはいけない。

反対すればよいのではない。

予算案を変更させることが最大の野党の仕事。

通過させなければ、はじめて与党は野党の話を聞かざるを得なくなる。

そのためには、なんでもやるという姿勢と行動が必要なのだ。

日本のためには、予算案を通過させないという行動が伴わず、通過させれば賛成と同義であることを判らない野党なんて、国民生活全般の役に立たない。

国会は議論の場なのに、反対する場だとのたまう。

議論したつもりなのか?

与党は聴いていないから議論は成立していないし、その証拠に予算案は成立したわけだ。

反対しましたというジェスチャー(パフォーマンス)で評価されると考えているのは、スポンサーの方が大事で、国民や経済なんてどうでもよいからだろう。

討議の意味は、国民生活全般を改善させたり、国勢を回復させたり、何らかのプラスがある変更をするからこそで、反対しても1円にもならない。

それならば、もう野党はゼロ議席でよくて、自民党一党独裁体制で経費削減という論調に与することそのものだ。

自民党の一派閥としての立憲民主党なのだ。自民党の立憲民主派とか泉派として登録したほうが分かり易い。

ついでに泉派も解散を検討するべきかも知れない。

世界の全体主義国家と同様に日本の政治もまた腐りきっていて、まともな仕事ができないから国民は政治にイヤ気がさす。

かなりの皆様は深刻なのだが。。。

抑圧からの解放を望むウ戦争の終焉

常識的にロシア相手に戦争するというのはクレイジーだと国と軍隊の規模からは考えられる。

しかし、ウクライナ人はモスクワに支配されたくないから戦争を選ぶ。

しかし、やはりロシアを押し返すことができない。北東部しか取り返せなかった。

大国の覇権主義のたちの悪さは、自国の兵隊が30万人超死亡しても、痛いようで平気なまま水に流すだけ。

その他の物理的兵器の犠牲は痛くも痒くもない。

経済はむしろ快調で、わずかなハイテク部品に困るだけ。

大国を経済封鎖することは不可能。

世論調査ウクライナ人があまりの困難さに戦争をやめたいと態度を変えつつあることを示している。

我慢比べなら大国が絶対優位。

モスクワの恐怖政治を49%受け入れていたら、これ程の犠牲はなかった。

ゼレンスキーが逮捕されたらそれで終わりだった。

今、戦争を選んだことで、ウクライナが間接的にモスクワの恐怖政治の下にある皮肉。

西側が本腰入れて戦時体制で軍需増産体制に完全シフトするかといえば、煮え切らない。

ズルズル泥々の悲惨な戦闘と恐怖の国民生活に終わりが見えない。

よほどモスクワの恐怖政治が懲りているからこそ戦おうとしたのだろうが、もう戦力兵員に無理が明らか。

予想通りの悲惨な事態に、初期段階からウクライナ自治権でモスクワと交渉していれば、こんなに酷いことにはなっていなかったと悔やまれる。

おそらく数十名のアジテートに都合のよい政治家のために、ウクライナ人が犠牲になり続ける。

戦地のロシアウクライナの兵員たちが、それほど楽しく戦闘する間柄ではない親しい間柄であることも、ずっと私がゼレンスキーの大義名分に疑問を抱く根拠だ。

そもそもゼレンスキーはロシア語を喋っていた。

では、ロシアが何をやっても許されるのか?

では、戦争で国土国民を守れたのか?

抑圧そのものの戦時生活しかないのではないか?

逃げることすらできない。

モスクワときちんと交渉してくれと考えるのが妥当ではないか?

もうそろそろNO MORE WAR の世論が克明に浮き上がり、正義の解放抵抗戦争が実際上不可能になりつつある。

ロシアは日本のように徹底的に反戦世論を潰す。

つまり、ウクライナ人世論がこの戦争を終わらせる唯一の力になる。

さもなくばモスクワの恐怖政治下の戦時ウクライナでただただ苦しむしかないし、その苦しみは増大し続ける。

仮に西側が総力をあげてロシア連邦を解体させるために軍事支援を重ねても、もう前線で戦闘する兵員がいないのだ。

武器弾薬に資金を並べてもどうにもならない。

ウクライナ人民が少しの順調さに酒が回っていたことに気が付けば、地に足のついた選択肢が浮かび上がる。

確かにウクライナは順調だった。

NATO入りしようとしなければ、かなりの繁栄が約束されていた。

ロシア軍人兵員もそれほど大量死しなくてよかったのだ。

読み違えを追求する時期にまではまだ至らないが、やがて本当に前線が崩壊して最悪のモスクワ施政下に置かれる時が来るのではないかと、第二次世界大戦直後の米軍と日本を連想してしまう。

そこまで引っ張ると、私の胃に穴があくだろう。

今でも胸が痛くて仕方ないというのに。

ロ中北日が大差ないことをわからなかったからこその読み違えは、故意に見過ごしたとすら言われかねない。

 

と、ここまで書いた数時間後、フランスのマクロンさんが欧米部隊を派遣する可能性について発言をしたことが報じられた。

私とマクロンさんの状況判断はかなり近いのではないかと少し嬉しくなったことは確かだが、それほど不謹慎に手放しで喜べるような状況でないことは確かだ。

株価は水増しされて 素人でもわかる経済

過去最高の株価を続々更新。

景気がよくて大勝ち好調な日本経済などというよほどのアホはまさか誰もいないだろう。

金融緩和が行き過ぎて、年金目減り、実質賃金低下、円安、物価高などでさすがに変だと気が付く。

株価が高くなっているのではなく、相対的に額面が大きくなっているだけ。

この危機的な日本円の価値低下をなんとかして緩和するべきだ。

平均株価最高値更新のたびに身の毛がよだつ。

また今日も自殺、虐待、夜逃げ、外資暗躍、倒産、不渡、その他諸々の不幸と悲劇。

京都市長某氏が退任で幸せだったなどと発言していたが、責任ある立場で莫大な債務を残して市民感覚を踏みにじるようなことをよく仰るものだと呆れた。

自治体でも、国家単位でも、一族や個人の成功とはなんなのかという価値観がもう少し問われてもよい。

さすがに日銀総裁もインフレという一面を認めるに至った。

コロナ以降なのでようやくラグがまる3年という絶望的鈍感な指数に偏向していることがわかる。

経済と財政金融と市民消費者のラグがない日本人がもう少し責任ある立場で活躍して欲しいが日本人経済学者に資質の高い方が少なすぎる。

私利私欲の政治資金問題など絶望的レベル。

みんなで良くなろうというノーマルな英才を選ばなければ、みんなで破滅するのが日本。

円を強くすれば強くなる。

円を弱くする官僚にまかせる政治家を選べば円は弱くなる。

シンプルそのものだ。

さりとて当然ながら、悪質な庶民肌の反日に踊らされない資質も必要だ。

 

 

ロシアも日本も全体主義官僚国家 それでも日本人気のワケ

なんとも自由平等なんてウソでしかない。

ボヤきではなく、実際に選択肢が限定されて公正な選挙は期待できない。

日本では資金繰りやバッシングで対立候補を落とす。

れいわは大手(資金組織力)を別にするとトップの成績で刮目すべきウケ狙い。

国会運営の実際、自公民維連立政権の実態は官僚主義の一党一派独裁国家

良いことで国を統一するのなら賛成するが、悪いことで挙国一致内閣。

建前すらまもれない。

社会正義がなくて衰退するのは因果応報。

弱い者イジメが日本人の正義。

アブク銭の経済はスカスカで9割はカネで苦しむ。

成功者は人権状況の恥を隠すことに専念。

ロシアのように公開処刑を開き直るというかしらを切るというか、その路線は中国以下のレベルである。

日本人はほとんど気が付いていないが、日本の魅力がその程度範囲のものとして見下しているから、欧州人は日本人に友好的なだけなのである。

自衛隊も日本人も都合のよい盾として満面の笑みの友好国。

それくらいしかできない国民性。

これからは幾らにもならない衰退少子化時代。

自業自得でインバウンド客のおあしに媚びる信念を披露。

悲惨すぎる魅力。

プライドがないとしか思えない。