FujiYama’s blog

日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

虐待の潔癖性 恐怖の極東宗教 日蓮正宗が広く支持されない理由

誰しも健康で勤労の義務を果たして豊かな生活を送りたいと願うものだ。
全盲のピアニストや全盲のバイオリニスト川畠さんなど、恵まれた障害者たちは、技能を身に付け、両親のバックアップをほとんど受けなくてもよい程度にまで自立している。
現役を長く続けて周囲に慕われる高齢者も自立していると言える部類だろう。
子育てや家事全般を請け負うお母さんたちも立派に自立した大人でなければ務まらない。
みんな努力してできる限り社会貢献しようとするとは限らないが、自由主義経済だから自然と人のためになるのが人の営みである。
しかし、日本文化の中には、異次元の価値観が存在している。
極端に言えば障がい者高齢者は害毒で、現役勤労世帯は有益だという基準である。
日蓮正宗において、その価値観と基準で、障害者たちは、目の敵にされ、生活保護受給者などはやく自殺すればよいのにと発言する僧侶も実際にいる。
キリスト教カトリックにおいても、良く似た文化風習がある。勤労の美徳を絶対視する価値観から、障害者はやっかい者扱いであり、生活保護受給者は敵なのである。カトリックの一員として悩んでおられる障がいをお持ちの方もいる。
近年のカトリック離れは、その虐待のニュースとともに著しく、大々的に精神障がい者に寛容であれとキャッチを打たなくてはならないほどである。
はっきり勤労できない人たちに怠惰のレッテルを貼り付け、差別排除してきたのであるから、そういうキャッチも打たなくてはならない。
西洋のごく一部の潔癖性が過ぎる人たちの話だけではなく、日本人にもそういう宗教があるということで、不人気極まりない。
西洋では宗教離れと生活保護容認と教会の寛容性をもって、障がい者にも生活保護受給者にも生きる権利や自由を全体として認めたが、これは日本においても同じように変化してきた。
まったく変わろうとしないのは日蓮正宗の内部の文化風習、価値観、基準である。
他の日蓮正宗信徒の方のブログでも家族から暴行虐待を受けたという記述を読んだが、どうやら暴行虐待は日常茶飯事の当たり前だという開き直りをする文化である。
カトリックが極端過ぎて、民心から離れたように日蓮正宗においても暴行虐待が当たり前で障がい者には自殺を奨めるということで、多くの民心は日蓮正宗を支持しない。一部の虐待マニアたちが支持するのみである。
いくら潔癖性で勤労が好ましいからといっても、極端過ぎて虐待はダメだという政治勢力が多数派をとっているのは政治的な健全性である。
そこのところを人気取りだというのは、明らかな虐待側の自己正当化に過ぎない。
カトリックはさすがに世界の潮流を意識しているから虐待はまずいと認めている。
日蓮正宗は本来あらゆる生命の成仏、つまりあらゆる心の幸福と歓喜を目指す教えである。
金本位制度の時代に障がい者高齢者を井戸や山に捨てていた価値観のまま、現代において虐待の正統性を誇示することは、教えにも反する愚かしい自殺行為である。
現在の日蓮正宗は悪いほうの伝統を意固地になって守ろうとする反社会的勢力としての性質を有するのではなかろうか?
日蓮の教えが正しくて、障がい者高齢者をも救わなければならないのが、厄介でめんどくさい人たちも相当数存在しているのだ。蓮祖がうとましいのである。
だからこそ法華講の参加者は偏るし、入信してからそれっきりになることが常態化している。
八十万人体勢の内実はスカスカのせいぜい登山ニ十万体勢ではなかろうか?本山の大御本尊を御守りするためにニ十万いて大喜びできるのは素晴らしいことだが、果たして大聖人様が本当にお喜びになる宗といえるかどうか、これは極めて甚だ疑問である。
本尊に間違いはなく、大聖人のお言葉に間違いはなく、僧侶と法華講役員には大変な間違いが歴然としてあるように見受けられる。
願わくば僧侶法華講総員が時代錯誤から目覚めて皆成仏の法を正しく弘めて頂きたい。
障がい者生活保護受給者はいらないといいながら日蓮大聖人様の皆成仏の法というのは二枚舌そのものであるからだ。
障がい者高齢者ははやく死んでしまえと平気で言える人たちに、明るい未来も、この瞬間の即身成仏も断じてあり得ない。
日蓮正宗でいうところの広宣流布とは広く支持されるものであり、皆成仏の法を弘めることである。但し書きを無限に加筆する差別と排除の日蓮正宗には大発展も広宣流布も不可能なのである。
日本人の障がい者は約一千万人いる。その親族と貧困層の高齢者までふくめていじめ殺すホロコーストの思想が仮にも蔓延しているのであれば、きわめて著しく人権感覚の欠落した宗教だ。
少し昔は障がい者も親になりやすかったが、今の状況では少子化も進むわけである。
なにしろ高齢者障がい者はやっかい者であるから。昔の人たちのほうが偉いし、きちんとした信心をしていたのだなと思う。
一方で日本の与党の政治では経済が悪すぎて、経済政策をきちんとしなければいくつ虐待防止法を制定しても実際守られずに悲劇を生むのだから、そのあたりを変えられる議員を待ち望んでおきたい。決して与党に全面的賛意や支持はしていない。

告白します。実は睡眠時無呼吸症候群なんです。睡眠時無呼吸症候群は治らないのかという疑問

ここ10年ほど運動不足と不摂生の結果、肥満体で気道が圧迫されやすい。
もうかれこれ7年ほど前になるか、呼吸器内科で検査入院してみたら睡眠時無呼吸症候群だという。
自宅に機械を設置してコロナに先んじること数年前、マスク着用で眠ることになった。
呼吸しづらくて治療になるどころか苦痛でしかないのではないかと嘆いたが、装着して眠ると疲労感など体調が少し良くなった。代謝が上がるようだ。
問題は7年して改善がないことである。
1時間あたり何回呼吸が止まるかという指標があるのだが、これが悪いことにコンスタントなのだ。
半ば諦めの境地になってきた。
ひとつはダイエットが最も効果的だ。
もう中年になるから糖尿病にも気を付けなければならない。
そうだ。ダイエットしよう。
歩こう。
まずそれくらいしか浮かばない。
ありきたりの貧弱な発想でもあり王道でもある。

プロとアマの違い(発育期)

私は3歳からバイオリンを習わせてもらった。しかし、最初はどうだったかあまり覚えていない。先生のお宅に行ったら何か話しかけられたことをおぼろ気に憶えている。
周りに気が付くのは個人発表会や合奏発表会のときに、前の人と後の人が弾いているのを聴いて上手だなとか思うのが最初だった。
でも幼少期は母親のスパルタに閉口していた。閉口してもバイオリンは弾き語りではないから問題ない。
私は継続するつもりでいた。
しかし小2で妹が重い病気で産まれてきたためにレッスンはお休みせざるを得なくなる。
ただでさえ進みが遅いのに、さらに進みが遅れてしまう。数年間の空白。
でも妹はかわいいからまあ仕方ないとしか言いようがなかった。
思えばこの時点でプロになる可能性はかなりなくなってくる。
しかも親は趣味でやらせたかったらしい。
ピアノも習わせてもらったが、小学生がひとりで習えるわけがない。バイエルをかじって半年でさっさとやめてしまう。
小学生高学年や中学生になると、自分の家庭がピアノはあるものの中流だと気が付く。
周りはバイオリンの先生に二人つくのが当たり前なのに、自分はひとりしかつけない。
N響コンマスにレッスンを受けに上京している先輩もいるが、私にはまったくそんな機会がない。
コンクールに出場するのが当たり前なのに、その機会も親が断ってしまって与えられない。
とうとう個人発表会まで止められてしまった。
今は芸大の先生をしている後輩のホームコンサートがあったので行ってみたら難曲をさらさらと弾いている。先生!✨は当時まだ小学生で中国の太鼓や悪魔のトリルなどを弾いていて目を丸めた。
もはや自分は音楽ではやっていけないと感じるわけではないのだが、それに近い感じ。
発表会を止められたのを憐れんで先生がオケに推薦してくださった。中学生のとき地元のアマオケに出てプロと一緒に弾いて楽しく演奏をすることができたことが、本当によい思い出だ。アマオケでも半分くらいが音大出と主要コンクール入賞者だからまあまあのレベル。
音楽の楽しさを教わることができた。
いかなるときにも希望を失わずなんとか生きていこうとする力を教わったと思う。
その後バイオリンの先生から音楽家になるように薦められたものの、親族一同の猛反対により音楽大学進学やレッスンを断念することになる。
最近思うことだが、必ずしも裕福な家庭だから音楽家になるわけではないということ。
音楽に正当で絶対的な価値を認めれば、中流家庭でも音楽家になれるし実際なっている。
家庭の方針というヤツで、バイオリンで生計がたたなくなってしまった。
一体なんのために私は母親に怒鳴られ小突かれいびりあげられたのだろうか。
この空虚感、喪失感は、経験した人にしかわからない。
よく音楽家はプロになるためにはスパルタが条件になっていると言うがその通りだと思う。
しかしスパルタが趣味なんてキモいとしか言いようがない。仕事にしないのになぜスパルタなのか理由と根拠を示せと言いたい。趣味でしかやらせないというのにスパルタならそれこそ虐待である。
同じ教室で一緒に合奏していた人たちが、著名なかなりの演奏家になっている。
私にできることは、喪失した感覚を埋めるための趣味としての努力である。
同門だったN響都響、東響などの奏者たちが、みんな留学も含めてカリキュラムが違うわけで、音高や音大の真似事というかコツみたいなものを習得していけたらいいなと思う。
音楽の道には断じて進ませないと親族から死刑判決を受けてからもう30年を越えた。
趣味は趣味なりにプライドをもって、プロに負けない音楽に対する深い洞察や思いを表現したいものだ。
様々な制約はあるが思いを残してはよくないから、余生でできるだけのことはやってみたい。精一杯やったと感じることができれば、その充足感は人生の幸福になるのではなかろうか?
かつそれこそが出来の悪い両親への恩返しだと思う。途中からレッスンの付き添いはさぼるし守銭奴になって育児放棄するなんて、恥ずかしながら最低の愚かしい親であった。

趣味のクラシック(演奏)

f:id:FujiYama:20210219221336j:plainなんの役にもたたない、贅沢な趣味を、私利私欲の極めつけとして楽しむという一面がありながら、しかし良質な音楽として若者の健全なる成長に、教育に、地域の文化の発展になるという、様々な社会貢献性も持っています。
どこまでも楽しむためだけにやって、いささかも問題がないといえば、いかに優れた文化活動かということがよくわかります。
困るのは反面教師としての堕落した音楽活動もどきくらいでしょうか?練習がいいかげんで作品に失礼なような。
私がいつも気を付けたいと思っているのは、失敗を恐れずに、でも常に向上し続けようとする心です。
ミスは誰でもありますが、ミスしないように細心の配慮をした練習をしようと思うのです。
しかしこれがなかなか先生に具体的に指導されなければわかりません。
どうでもよいミスを繰り返していては、子供たちに示しがつかないし、近所迷惑で地域貢献どころではありません。
ミスをしながら楽しむのは同じなのですが、今日もまた、その質を高めたいと思います。
クラシックやる人間はデタラメだと言われないように人間性も成長していくようにしていかねばなりません。
音楽とまともに向き合うことが、その成長の糧になります。
そこで心底楽しむことがなにより重要だなと思うのです。
クラシックは、趣味でも仕事でも、真剣に楽しむのが一番の王道だと思います。
残念ながら日本人のなかにはいまだに楽しむのが悪いことだという空気があります。厳しさは当たり前ですが、楽しむことも忘れないようにしなければ、どんな良いことでも続きません。変な根性ではただ厳しいだけになって悲惨な趣味になってしまいます。
もうひとつは、自分だけが楽しいというのは有り得ないという点です。必ず周囲も楽しくしていく、明るくしていくのがクラシック音楽です。曲や時代の好みは多少ありますが、落ち込んだ気分や不快な思いを、軽やかで快適な心境に転じてくれるものです。
最近の言葉でガッツリという言葉があります。音楽とガッツリ向き合うことができるように、いかなる苦悩も深い喜びに昇華できるように真剣に楽しみたいものです。

アルベニス タンゴ

無我夢中で練習したのは、いつのことだっただろうか。当時、特別に生活が苦しい状態が続いていたので、なにか現実逃避のように夢の中でバイオリンを弾いていたような気がする。自分の出す音を、ホールの響きを楽しむ心のゆとりがなかった。

もとはといえば、グリュミオーの全集に入っていたから、それだけでも好きな曲で、これを聴きながら何度も眠りに落ちた。

この曲で一度だけレッスンを受けたが、ボーイングの指導をされた。

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かすれたようなボーイング、昨年とうとう亡くなったギトリスのような感じで弾いたつもりだったが、大家はストラディバリなので成立する奏法であり、私の安楽器では無理な奏法だった。

今は奏法を見直して大した問題はなくなりつつあるが、しっかりした発音、濃密な音色を出せるように改善を指導された。

なるほど濃厚な音のほうがはっきりして楽しい。

リズム感やテンポ感を出すためには、よりはっきりした発音と音色を出せることが条件になる。カスレているボーイングは、ふわっと感を出す必要がある箇所でしか使えないものだった。当時の生活満足度や充実度が低下した心理を如実にあらわしたボーイングだったと言えなくもないが、最低レベルの生活は維持しなければ、なにもかもおかしくなるなというレッスン体験だった。

バッハ チェロ組曲よりジーグ

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    スズキメソードに収録されているバイオリン編の楽譜。5巻にもバッハのチェロのものがありますが、これは7巻にあります。

とてもシンプルでやさしい曲なので、大人になってからでもすぐに弾けるようになります。

バッハの協奏曲は大人になってから弾くのはたいへんですが、これなら楽勝です。

お手本のフィンガリングと楽譜のフィンガリングが違うので、そこに少し注意しましょう。

まったくなにも難しい箇所らしきは見当たりません。繰り返しをつけて時間稼ぎをするか、さらっと一回で終わらせるか、プログラム次第です。

モーツアルト ディベルティメントD

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言わずと知れた超有名曲で、どこかで聞いたことくらいありそうな曲です。カルテットや弦楽合奏でよく教材になります。アイネクライネと並んでもはやポップス扱いかもしれません。

小中学校くらいでみなさん取り掛かる曲です。

ただ弾くだけでは上達しません。

セカンドパートもあわせて練習したりすることが効果的な練習になります。

カルテットと合奏では発音が少し違ってきます。

カルテットの場合はしっかりとした発音で、音に全責任を負わねばなりません。ソリストと同じです。

合奏では逆に出過ぎてはいけません。和を以て貴しとなすです。曲調がたいして変化しないので、ゆっくりのんびりと楽しく弾けるようよく練習します。

3楽章も優雅に聞こえるレベルまでマスターします。わずかなズレはありえますが、音の狂いはずしは御法度です。

この曲は演奏の機会が多いので、ほぼ丸暗記してしまうのが無難です。