FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリン講師が生徒を育てることができることは少ない

カールフレッシュは演奏家としても優秀だったそうで、多忙な中で名著バイオリン演奏の技法を書いた。
天からの使命を感じたのだろう。
世界中の文化遺産となった。
その師匠レオポルドアウアーは毎日4時間個人練習をしていたそうだ。
教育指導する以前に、まず自分のメンテナンスに大きなエネルギーと時間が必要なので、他の専門職同様、バイオリン講師という仕事はハードだ。
公園で息抜きもしなければならない。

経済的に困窮している生徒には教材をコピーしてあげると支障ない。
暇な人は問題ないが、演奏会の案内が教室によって限定されるので生徒は注意が必要。
生徒は段階に応じて毎日30分から3時間程度の準備が必要。
基礎から丁寧になんべんも同じことを教えて、できるまで辛抱強くお付き合いする。
スズキの指導者ならタカタカタッタの弓をおぼえるまで最長6ヶ月程度は覚悟しているそうだ。
わたしの先生で芸大院卒の先生はシュラデークひとつに連続ではないものの2年以上お付き合いくださっている。
別の先生はクロイツエル一冊に恐らく2年余りはお付き合いいただくだろう。
進行速度は皆さん年齢や状況で違うのだが、これを継続的にやれる先生も生徒も少ない。
どんな街に住みたいかと言えば、バイオリンを続けられる今の街に住みたい。

先生が指導する内容は言葉を通した音響で、お手本や仲間の音響からおぼえる。
誰でもできることだが、言葉にとらわれ、言葉に迷い、言葉のとおりにやって、間違える人がほとんど。
要領がよくて呑み込みが確実な生徒は少ない。
これはまず先生が指導の順番をきちんとやれば解決するし、呑み込みや進行速度は飛躍的に上がる。

生徒が1日に3時間とれない場合、指導内容の優先順位はさらに重要で、微塵の誤差は生徒を殺す。
そもそも3、4時間も毎日弾く必要がある楽器だということを知らない生徒は時間とお金の浪費が先に決まっている。
3時間のラインを死守する(月や年に何日休んでも構わないが)人たちだけが教えがいがあるということになる。
だから、先生たちはほとんど順番どおりに教えている体裁だけで、いいかげんにメチャクチャな指導になる。
生徒はそのうち面白くなくなる。

日蓮正宗の信心でも同じである。
完全かそれ以外。
やるのかやらないのか。
100か零の2つしかない。
完璧主義というのとは違う。
医者が処置や処方を少しミスすると、患者は死んでしまうことがある。
そして完全さの内容は複雑多岐に航る。
単科診療だけでは健康にならない。
四則演算でミスする人に曲は弾けない。
基礎問題で満点とれたら専門家と中級課程に進むが、30点から98点で次の課題に進む先生が多い。
育てる意志はない。
生徒は半端な下請音楽家か下手になるために人生を浪費するしかない。
基礎教材に取り組むだけで満足する人もいる。なにを練習しているのかわかっていない人もいる。
先生がなにを指導しているのかわからない人がほとんど。
できるまで辛抱強くお付き合いしない先生となにを練習しているのかわからない生徒。
指導するほうは生徒の責任にするし、生徒は教え方が悪いと言う。
99点でよいのは、100点を明確に意識できていればである。98点は不合格。
不合格でも相当数が音大には合格する。
こうなると意味不明だという人がほとんど。
そもそもバイオリンをまともに弾ける人たちは、医者レベルの知能や教養が必要。
ひとつ違えば医者になる能力と感性。
逆に言えばバイオリンをきちんと学べば医者レベルの能力が開発されることが多い。
ウォーキングを楽しむようにバイオリンを楽しみたいのなら、ビオラやチェロのほうがよい。
対人関係が一番難しい楽器で、プロですら歪んでいるが、まともに弾くためには、そうならざるを得ないのが日本人だ。
まっとうではない音楽家がざらなのも、レベルが低い人間がカネで完璧をやろうとするから。
神経質で過敏症で潔癖性の世間知らずな人たちが、生徒のアラばかり目についたら、育てるよりしごくから、日本人にはバイオリンが不向きなのは当たり前。
高額報酬か縁故でお付き合いするケースのほうが多い。その場合はなんとか着実に育つ。
これを読んでバイオリンは難しいと思ったら馬頭琴などのアジアの弦楽器なら大丈夫だと進路変更するのもひとつだ。
アジアの60点基準のぼけた墨絵音楽なら日本人にも習得できる。
なかなか日蓮正宗はできないというのと、バイオリンは難しいというのは、ほぼ完璧に同じなのだが、それぞれを完全に理解している人があまりに稀少なので、科学的な分析のほうが一般人には理解しやすい。
かなりマニアックなブログである。

格式や権威あるコンクールで優勝し全国レベルで入賞しても、バイオリンが嫌になる人たちも多く、基礎がおぼろげで弾けなくなるひとも多く、育てたという内容がバイオリンだけ完璧でもダメだから、アウアー先生がいかに素晴らしい人格者だったのかがよくわかる。
音楽は人間であり、芸術の重要な一翼であり、人類史そのものである。
バイオリンに憧れて手にしようとする人たちは、普遍的価値のわからない音楽家がありふれていることをまず警戒するべきだ。
現代の音楽家は九分九厘どこにでもいる技能をお金にし、名声で売ろうとする専門職の人たちにすぎない。イベントエンターテイナー。
音楽が楽しいのは、そういう前提やこの記事の内容を了解しているコミュの空気が楽しいのである。
鱗粉や香気に寄せられて餌食になるだけの害虫になってはならない。
尊敬や信頼は西洋の文化総体に対するものであり、普遍的音楽文化に対するものであり、演奏家はその一員としての助役であって社会全体の奉仕者でなければならない。
ニセモノの真似事ばかりで、生徒を育成しない業界に公的支援はまばらであり、日本人演奏家たちと政治家たちが、きちんとした哲学性普遍性ある音楽活動に転換していくことがない限り、音大をでてもなおバイオリンは損する楽器である。
肝要な確実な育成と成長があれば、世界の天人や菩薩たちからの徳分と人類的幸福が約束されている。
詐欺みたいな資本主義の悪弊業界だけは虫酸が走る。
誰でもできることだが、特別な才能だと言うためにあらゆる論理的偽装と責任転嫁がなされ、高価で贅沢なものにカテゴライズされているだけのものは、そもそも教育や育成という概念や哲学をまったく理解していない日本文化なのである。
白人を担がなければならないのは、日蓮正宗を闇に葬って下位の後回しにする日本人の宿命であり、日本の国教会を日蓮正宗にする奇蹟でも起こらない限りは、日本人は力んで我々は幸福だと喧伝する必要がある気の毒なユダヤの僕にすぎない。
虐殺を巧妙に善意だと偽装している世界システムと生徒が育たない日本の音楽業界。
ユダヤに媚びへつらって上納金ができれば幸福な人権を認めてやるという世界秩序で、数十億人が苦しみ悶えているが、そもそも自分が苦しいことを知覚認識できない人類にしていく洗脳行程は非常に順調である。
ヒトラーは昔のユダヤ人ではない。
ナチスは昔のドイツ統治思想ではない。
今の世界秩序そのものだ。
人間を人間ではないただの生物にすれば、戦争も虐殺も正当化できるのだ。
だからその思考から生徒を育てようと思う教師がいないのは道理なのだ。
わたしは自己努力が前提だから、先生に指導していただける人間の幸福な人生を歩むことができる。
人間とはなにか理解できる日蓮とキリストの話がよくわかる。
わたしは日本人ほどバカではない。
ヴィルトゥオーソがいなくなり、芸術に対する圧迫は強くなった。
人間を抑圧することが、人間を動物化し、人間の思考を偏向させ、文化歴史遺産を消滅無効化する。
人類が不感症になって不幸になっていく中で、日蓮正宗の唱題と欧米のクラシック音楽はとても重要だが、酔いが醒めるのを怖れている人類は無駄に努力して無駄に死んでいくしかない。
そういう日本人演奏家の最高峰がヨーロッパでは平均点の評価ばかりなのは至極当然である。
とても残念で不幸だが日本人は大したことない。
そもそも不幸を自覚する能力すらない。
かわいそうな動物たち。