バイオリンを弾き始める人が、たいてい鈴木で始めるし、私もそうだったが、振り返ってみていろいろ考える。
世界で評価されて、日本でも認知されてひろまった経緯はおいておいて、はたして優れたところはなんで、不足しているものがなんだという話。
曲から入る楽器の覚え方は、両面あって、聴いて音楽性をある程度身につけることができる長所と、曲の流れや音楽感情が先走って技術練習ができないことである。
技術練習の最初は弓の使い方と指の押さえ方だが、弓の一部しか使わず、指の方向があべこべになる。
つまり鈴木はオールインワンではなくチュートリアルで、11巻までやらせると、なにがわかるかと言えば、家庭の音楽環境がわかる。音楽好きをふるいにかけて、おいしそうな生徒だけ選別するのにうってつけだ。
並行してやらせる教材や音階や合奏の内容とあわせて見ると、音感教育やバイオリン演奏の基礎知識があるかどうかすぐにわかってくる。
この段階で難しい人たちは生涯、趣味の人としていいお客さんに配置階層化される。
母国語をしゃべるようにバイオリンが弾けるようになるという、だれでもどうぞという鈴木の教えと、実際にはまったく食い違うのはなぜなのかと考えていた。
母国語ではないからだ。
シンプルなことで、日本人にとって西洋音楽は遠い世界であるだけでなく、高額な娯楽にすぎない。歌舞伎に触れないままの日本人も多いが、西洋音楽となるとまだましな程度。
フランスのコンセルヴァトワールのように低所得者は年間1万6千円余りでバイオリンなどが習えるという公的なシステムに準ずる意味合いがあるのかと思ったら、まったくそんな意図がない。日本の鈴木は貧乏人お断りなのである。つまりスズキ商法。
ずっと昔にスズキの教本をさらってバイオリンが弾けるつもりになったことがあったが、ほかの生徒と同じように基礎練習をしていなかったためにあとで苦労することになる。ホーマンや小野アンナの音階教本をかじる程度のスズキでは、とてもバイオリンにはならない。下手な趣味の良いカモを量産するだけである。たいていはやめる。
どんなに難しい曲が弾けても、スズキの技術ではバイオリンにならないし、音楽にならない。
ヨーロッパの優れたところは、技術的にまんべんなく幼少期からやらせることと音楽的に歌わせることが両立しているところだろう。
スズキはその一部の猿真似に終わってしまっている。
指導者にもよるが、スズキだけで安心してはいけない。
正しい指導者は、基礎練習の補強と楽曲のセンスを両方育てる。
家庭の音楽環境に助言が必要な場合もあり、クラシックバイオリンを習得するためにはなかなか極東では難しい。
美しい音楽は人間を良くするだけではない。
美しい音楽で人間がダメになることもある。
使い物にならない下手な趣味を濫造するようなものは有害指定するべきだが、海外で認められた日本製なので、なんだか悪く言うみたいなことも難しい雰囲気だ。
結局は正しく使うための総合的な専門知識を持って指導者を選ぶ必要があるので、極東であるだけがハンデではないということだ。
バイオリンを弾きたい人全員がまともに弾けるようになるシステムは欧米にしか存在しないのだろうか?
まさにたんなる集金や商売として、音楽好きを漁るだけの日本のクラシック音楽なのが、残念な文化レベルである。
ユダヤキリストに媚びへつらって、無知な東洋人をだまして平気な商売人たちは、とうてい良き市民とは言えない。
政府は公益性のある音楽ではない現状から、一部のための収益至上音楽に税金投入をするのは憚られるのであろう。富裕層だけを相手にする先生というのは、悪徳黒魔道士みたいな、闇商人みたいなものだ。
欧米人は音楽を幸福のために使えるが、日本人のほとんどが音楽を贅沢品にしてしまう理由、原因がそこにある。
ひと財産巻き上げようという魂胆がみえみえなクラシックバイオイン業界は、人間性が欠落したり不足したりしている人が多い。そこそこの音大生が楽器の盗難にあうこともある世界だから基本的に人間の信頼関係というのは存在していない。
あからさまに貧乏人はいらないというだけで、人間性のない音楽というのは、金持ちの音遊びにすぎない。
欧米の音楽文化には、人間性をきちんと考えた公益性のあるものがある。
音楽的、社会的にスズキはその立場と位置づけを考えると、中途半端の極みであり、まったく不完全で使えない。
童謡と小品が多く集録されている日本人向けに3巻までなんとか使用して、それ以降は原典版に切り替えるのが、当然の流れである。誰でもやるべき教本を生徒に示すことを忘れてはならない。
日本人社会に人間と人間の信頼関係がないなかで、スズキ経験者はみんな不幸になっていく。あたかも信頼関係があるかのような錯覚をみなさんが起こして、日本人は誰もが他人を疑うだけで成立しているから、拝金主義の餌食になって終わるのである。
ネオンサインに寄せられて不幸になっていく大勢の人たちと同列の哀れな極東人に心からお悔やみ申し上げます。
バイオリンをスズキで始めると失敗することが多すぎる。
スズキはクリンクラーに習ったからというのでは不完全そのもの。
現在の留学した先生や偉い先生に習ったという先生も不完全なことがあまりに多い。
スズキだけではない。バイオリンは故レオポルド・アウアーと故カール・フレッシュに習う以外は、邪悪と不幸にまみれるただのイエローに終わる。
習う側の予備知識を確実にして、音楽好きが一日も早く欧米の音楽環境に親しむことができるように願っている。移住がベストである。
日本でプロをやっている人たちを見ていて、幸せそうな人がいない。絶対君主制の兵士将校たちには絶対の安心感がない。
中学生が小学生や幼稚園児に威張って上機嫌になっても、それはとても幸福などとは呼べない。優等生をやろうとしても人類史的に大したものにはならない。
日本人が広く本当の深い音楽を素面でできるようになるように、日蓮正宗の御本尊に祈念することにしたい。神や愛を妄想している場合ではない。森羅万象の真実だけを掴むべきだ。
ナイロン弦と質の低いバイオリンが氾濫してみんな平等という虚飾と虚偽の人道的音楽は、全人類を不幸にしている。
かつての人類の希望や健康としての音楽は、もう別物に変異してしまった。
その起点のひとつになったのがスズキ商法である。