FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリニストってどこからどこまで?

f:id:FujiYama:20220220231833j:plainバイオリンはみんなが好きな楽器のひとつで、親しまれる反面、小うるさい神経質な分類で仕分けされる。
本体についてはすでに記事をいくつも書いた。
これは弾き手のバイオリニストって、主観じゃなくて呼称として使えるのは、どこからの人なのかなという記事にしたい。
自称バイオリニストというのは、ほとんど犯罪者の取り調べに出てくるような誰も信じていない不確定不確実そのもののような呼称で端的に言って使えない。
なにしろまともに弾けなくてもバイオリニストだから、音楽文化に誤解誤認を促進するケシカラン使い方としてやや厳しめの対応になるだろう。
つまり却下。
マチュアバイオリニストの九分九厘は却下。
ちなみにわたしはバイオリニストとは名乗らないし、その予定可能性すらない。

一番難しいのは、音大や音短卒とか権威あるコンクール入賞者の中の線引きだろう。
明らかに巧く演奏はしているのだが、それだけではほとんどがミュージシャンなのだ。
クラシックバイオリンを基準にすると、パガニーニとイザイという超絶的な技巧を駆使した作曲家の名曲の完成度が問題になる。
イザイを弾く人たちは、世界中にたくさんいるが、完成度の高い演奏には滅多に出逢わない。パガニーニも然り。
多分芸術家とかぶるレベルの完成度があるバイオリン演奏をするミュージシャンをバイオリニストと正式に呼べるのだと思う。
もちろん一般にはややユルく音大バイオリン専攻卒なら全員バイオリニストと呼んでも問題ない。
ただみんな音楽を極めておらず、演奏技術の基本的なところをカリキュラムで網羅して押さえた段階がほとんどなので、ちょっとなにかの道を極めた人たちから鋭い突っ込みがはいると、ほころび、ほつれ、不完全さというものがすぐに露になる。
わかりやすく人間を掘り下げた眼を持たない人たちがいくら楽器演奏を巧くできても、クラシックは奥が深いから満点とはいかない。
どこから順番に極めていくかという話でもあり、そこからパガニーニとイザイを高度に演奏できるかどうかというありきたりな基準が出てくるのである。
指標はいくつか考えられるけれども、人間理解、演奏技術、作曲家の音楽理解、総合的な文化芸術理解、社会貢献度合いなどからバイオリニストかどうかを判定するのがほんとうは正しいのかもしれないが、みなさんはどのようにお考えになるだろうか?

我が国の音楽文化を眺めていると、もしかしたらお金持ちで高い楽器を持った音大卒イコールバイオリニストという偏った考え方の方がまだおられるのかもしれない。
海外先進国より金持ち文化の傾向が強烈なのが日本人の主だった不幸のひとつだろう。
ほんとうの意味でのバイオリニストというのはまた、自分がきちんと準備している曲だけを披露するレストランのシェフみたいなものかなと思う。
微塵も不安があれば披露できない。
メニューだけは確実に提供する。
そう考えると一品だけでも料理店ができればよいので、アマチュアでもだれでもバイオリニストになり得ることとなり、まだ希望を残すのでよいかもしれない。
牧歌的な音楽愛好家や巷のバイオリン愛好家にも希望を持たせなければ、日本でもいろいろ難しいのである。
四苦八苦の人生航路の中でどうかみなさんが自分を見失わずに音楽する心でいますように。
浮かれず落ち込まずやけを起こさずに音楽の心を思い出しますように。
その寛大さは回り回ってビミョーなプロバイオリニストたちを救う。
行きましょう、平和のうちに。✝️