FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音楽の厳しさと楽しさ なぜ欧米の主要都市に住みたいのか?

幼い頃からバイオリンを弾いて、いくらかのコンサートを楽しむと、いろいろ言いたいことが溜まってくる。健康に悪いので記事にしておく。
バイオリンを習うと、発表会がある。そこでみんなの演奏を聴くこともあれば、前後の演奏だけを聴くこともある。幸いみんながきちんと弾ける教室だったので、合奏もきちんと弾けた。ある程度になるとコンクールに出場するのが普通なので合奏レベルも高い。そんな中で弾けるのはとても幸せ。
一般大学に入学して一転地獄を見ることになった。初心者だから下手なのではなく、基礎をやらないから下手な人たちがこの世にはたくさん存在しており、そういう人種は必ず協調性や人間の和を大切にしていることに気が付く。同調圧力である。
メチャクチャな主張に唖然としたことがある。
「ここはソリスト養成所ではないから基礎練習は必要ない。合奏能力を磨けばよい。」
リーダー的な人がそう主張しているので、私は間もなくその音楽団体を辞めることにした。
カルテットをやっても音が正確にとれないメンバーがいたり、毎日の練習すらしない人たちは、とうてい音楽は楽しめない。
しかし彼らはそれで楽しいと言うのである。
何回かソリストをやらせてもらったりして、まったく楽しくなかったわけでもないが、やはり雑音や不協和音は苦役苦痛でしかなかった。
結局、バイオリン教室が一番まともな合奏だったが、みなさんが毎日3時間以上練習している。私も一時期休みの日には5時間くらい練習していた。音大進学が珍しくない。f:id:FujiYama:20210704232240j:plain
大人になってから、よくアンサンブルを楽しみましょうという教室があるが、私は絶対に関わらないことにしている。中途半端なアンサンブルには恐怖を覚える。アマチュアオーケストラの演奏にも辟易している。東大オケなどはレベルが高いが、一般アマチュアは苦役である。
もともとの技量に磨きをかけて独りで演奏するほうがどれほど安心感が深いか知れない。
セミプロか音大卒のレベルでなければ、とうてい音楽なんてできない。
雑音を群れになってガチャガチャして一体なにが楽しいのか、私にはどうしても理解できない。
昔、あるプロオケのメンバーの話でも1人レベルが低い人が入ると、それで音楽はおしまいだと聞いた。数年前にも教室の先輩のプロオケメンバーも個人がまず大切だとおっしゃった。
きちんと個人を育成してはじめて合奏や音楽が成り立つという当たり前のことを、世の中の常識にしてほしいものだ。
一般大学なんて考え方のおかしい非常識な人のほうが圧倒的に多数派なので、日本人は特に気を付けるべきだ。自由謳歌の前提は個人のレベルだ。
バイオリンはソリスト教育が第一であり、個人練習が前提であり、それなしには調和や音楽は絶対にあり得ない。指導者のもとでソリスト教育と同時並行で行われるアンサンブル教育はとても成長に有効で楽しいものだ。
残念ながら日本のクラシック音楽文化は邪道のほうが多数派なのだ。少数派なのに。
多くの指導者に問題があるということだろう。贅沢品扱いも意味不明である。