FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

音楽の効用と限界 すべての魂のために

f:id:FujiYama:20210626203524j:plainたくさんの名曲を楽しむととても心が落ち着き満たされ、心なしか熟睡できるようにも感じる。欧米では音楽療法が行き渡り、その効果が認められて久しい。日本では素人が程度の低いものを蔓延させており、きちんとしたものが一般的でないのが惜しまれる。
海外の奏者や日本のトップクラスの演奏を生で実際に聴くと、この世になぜ争いや犯罪があるのかわからなくなる。
もちろん音楽をやっていても、鑑賞しても病んだり過ちを犯す人は一定数存在している。聴力を失ったベートーベンだけでなく様々な病気にかかった音楽家や作曲家がいる。
音楽は万能ではない。
それでも明らかに気持ちが落ち着き安定し、人によっては元気になる。そして健全な感情を育む面がなによりの効用だろう。
日常の悩みや苦しみを消し去り、新たに頑張ろうという気持ちになる。
誰しも悩みはあるので、音楽を使わない手はない。プラスの高揚感を楽しみにコンサートホールに行くべきだ。
音楽の問題は、コンサートが大都市に集中して、その恩恵をみなさんが受けられないことだ。気持ちの切り替えやリフレッシュなどの効用を工夫や努力だけでやろうとするのは特に中年期以降は難しい。若年層ですらそうである。
もうひとつの問題は、コンサートも楽器などもコストが高いことだ。国公立ならスポーツと比較してもそれほど変わらないが、私立だと医者並みにかかる。海外演奏家や地方公演など遠征費がかかるので、チケット価格も割高になり、家族でおいそれとは鑑賞できない。
ほとんど万能薬であるかのような質の高い音楽は、ズバリ高い。
誰もが楽しめる音楽環境には程遠い。
音楽で一番安上がりなのは歌唱である。健康体なら楽器がいらない。誰でも訓練すればある程度の声を作れる。それでも譜面やレッスン代、学費などがかかる。
この地域性と経済性の問題がいちばん平和と音楽の維持や普及を難しく感じる点だ。
悲しみや喜びや苦しみや崇高さなどが渦巻く我々の心を統合し高めてくれる音楽の素晴らしい効用はその範囲限界と背中合わせでもある。
なぜ私が日蓮正宗をやり始めて現在もやっているかという理由は、地域性と経済性の問題をクリアしてなおかつ最高の音楽環境と同じ効用を持っているからである。読経唱題はもっともストレスの低い合唱であり、一回一回味わい深い響きを堪能することができる。
ストラディバリウスは高額だが、名器は所詮人間の肉声の次点次席の立場でもある。
もちろんストラディバリウスは欲しいが、人間の魂の歌声が一番なような気がする。
読経唱題は僧侶に従ってきちんと行うと実に素晴らしい音楽で、深い悲しみも苦しみもすべて癒され忘れさせ、そして前向きな心にしてくれる有用な技術であり文化だなと思う今日この頃だ。とても地味なのだが音楽の基礎練習によく似ている。一文字一文字を大切にし、一音一音を大切にする。念仏だと哀音になって偏るが、日蓮正宗の場合妙音になり、名器のあのなんとも言えない満たされる感情にとてもよく似た深い喜びを感じる。バイオリニストの系譜も名器と口伝の系譜だが、日蓮正宗の系譜も本物の本尊と法主の口伝の系譜だ。
大都市の富裕層には興味関心のない記事だったかなとは思うが、はたして欧米で広く普及している音楽ってそもそも何だということを日本人として思い返すことも大事だと思う。
本当は国がきちんと普及させて、一般国民の財布にお金があれば五千万人くらいがホールに詰めかけるのではなかろうかと思うと同時に、貧困問題や教育問題が厄介に未解決なままの現状では、日蓮正宗は人間の魂を潤し満たす世界最高のツールだ。
浅いニセモノや安物で満足し続ける、野卑で下品な人間に甘んじる苦痛は耐え難いのがノーマルだと思います。
値段の高いものを励みに頑張るのもわかるけれど、それではすぐに限界が訪れます。健全な感情や心を育む素晴らしい音楽環境と日蓮正宗に感謝しています。