FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

日蓮正宗の法主が要法寺出身で問題がなかった理由

日蓮正宗大石寺法主は、日興上人日目上人と代々正統なので、京都の要法寺から法主を迎えるのは正統性を損なうのではないかという疑問を持つ人たちが一定数いることは自然だ。
まず南条家から法主が出ている時点で、在家出身なので、正統性がなくなったという疑問を持っていないことが、その疑問の正体をなかば示している。
日蓮の悟りが核心部分である。
であるならば、南条家などという素人が出家して悟れる程度の悟りである。
万人が悟れる。
京都要法寺出身が悟れないという根拠はまったくない。
次に言えることは、日蓮正宗であれ、日蓮宗各派であれ、共通した教材を学んだ学者であることに変わりはない。
憲法学であれ、法律学であれ、医学であれ、共通の教材を学んでいれば、交換留学は可能。東大出身かオックスフォード出身か仏教大学か立正大学か、信心の正統性とはまったく無関係だ。
ポイントは興門の正統性を継承できるかどうか、悟りが伝わったかどうか、その核心部分だけなのである。内証の悟りを伝えさえすれば、どの宗派の出身でも問題はない。
学閥差別よりも適材適所だという単純明快な話である。
勝手がわからずに教義違背したケースは宗内できちんと議論して修正している。
むしろ日蓮正宗出身法主の間違いのほうがはるかに深刻な事態を招く恐れが高い。
正統や血脈の意義深さを、学識もなく批判したり揚げ足を取って鬼の首を取ったように勝ち誇るようでは、そもそも信心がない。
顔を洗って出直すしかない。
今も大石寺では丑寅勤行が続き、内証の悟りが口伝で継承されているし、誰でも信心したければできるようになっている。