FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

世の常 人の常 もはや銃撃しかないと考える思考

我慢して努力することは貴い美徳。
それができる間だけの美徳。

無数の新興宗教2世たち。
無数の契約社員、バイト、無職。
無数の元自衛官、銃製造業従事者。
無数の猟銃刀剣所持者。
各家庭ごとの包丁。
路傍の石

無数の苦しみと不運と不幸。
古今東西のSFも創作童話も、空想と現実の上での知恵に気付かせる。
人間は極限まで努力する。
不幸不運苦しみの中でも最高の結果を求める。
資産地位人脈がある人はたいていほどほどの結果で満足できる。
知恵がはたらく心は柔軟だが、人間を追い詰めると心は硬直する。
カルトの決意である。

政治が国民を追い詰めて、みんなの心を硬直させて、暴発させる。
政府が神道だからこそ、無軌道なデタラメのボッタクリを自由だとする。
弁護士までもが、自由を拡大解釈している。
政教一致を誤魔化しても国民が追い詰められて暴発しているのだ。
口先で誤魔化しても政教一致である。
優しさを否定して子育てや教育予算を削り経済で人間をムチ打ち、豊かな心を踏みにじって精神的価値を認めず、芸術や音楽まで極端に商業化する異常性は神道から。
判例もデータからも日本だけが先進国の中で突出して異常だ。
政府はどんどん日本を危ない国にしていっている。
日本人も人間だからこそ神道で危険な暴発をする。
原始宗教から脱皮する確かな足取りに切り替えが必要なのに、日蓮正宗を攻撃して否定しているのだから、それはメチャクチャになるはずだ。
日蓮正宗の僧侶を信じられないのは、生身の人間だからにわかには致し方ないのだろう。
しかし日蓮をあしらい、大石寺の大御本尊を否定する政府与党は、原始的野蛮人の自由な残虐さを改善できない。
政府神道日蓮を下の立場に蔑んで敬えない。
キリストやマホメットと同格あるいは上の仏をどこまで馬鹿にしきっているのか。
なんと恐ろしいことか。
どれほどの犠牲者が無念の非業の死を遂げるか。
みんな精一杯努力した人たちだ。
岸信介さんがもし戸田城聖との約束どおり日蓮正宗大石寺を訪問していたら、日本の歴史は大きく変わっていただろう。
岸も安倍も邪悪すぎて訪問は不可能なのだ。
池田大作も浅井一族も邪悪すぎて大石寺には居られなくなった。
ストラディバリウスは弾く人を選ぶ。
大石寺は参拝する人を選ぶ。
そういうもの。