FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

非公開のままのもどかしさ(まちがいのない目標設定)

f:id:FujiYama:20220403094344j:plain一度ついたイメージはなくならないし、見当違いな不当な評価がまかりとおることもある。
幼少期を知る先生はきちんと弾けていた上手な子どもだったことを記憶している。
少年期を知る先生はバイオリンの大家として巧い生徒だったことを記憶している。
大家は巧いと周囲に語っていたが、それは非公開のままになった。
親から発表会の出演を止められ、合奏と社会人オケの出演に限定されたため、わたし個人の出演がなかったためだ。
レッスンの時と家で練習する時だけソロで演奏している。
巧さの程度は、基礎練習なしのスズキあがりで、音大の実技トップレベルであり、基礎練習をやれば芸大桐朋レベルだと大家から言われた。
だから普通に巧いというのはわかるし、本人も巧いと思った。
しかも百万程度のダメな安い楽器セットだった。

大学で初心者と合奏して、音程がわからなくなった。調弦、調律すらわからない。
腕はここから崩壊の一途。
同級生はチューナーで音をとるべきだと忠告したが、高価だからと買わなかった。
それほどズタボロな学生時代に、巧いという話と下手だという話が混在するのは当然だ。
ソロを何度か弾いたが、とんでもないことに弓の毛を張り忘れて弾いたり、いきなり本番で別の楽器を弾かされたり、巧い人でも巧く弾けない状況が重なる。
大フィルのバイオリン奏者に単発でみてもらったら、素晴らしい言うことなしとお褒めいただいた。
保護者の懇親会でソロをやって、通の保護者の方からも上手と評価された。
そういう評があったのが、励ましの意味合いだけでもなく、一応はきちんと弾けていたからだが、ポイントは音程が微妙で基礎はまったくやっていないことだ。音楽の明るさと悪くない演奏姿から本人の絶望感は周囲に伝わっていない。
とても器用だったが、周囲との溝はこの時決定的に深まっている。
下手だという不当な陰の評が不動の確定事実として弘められたのである。

40代半ばで芸大出の先生に基礎を教えていただく機会をようやく得る。
わたしが基礎なしに音程をとるのは奇跡だと仰る。最近なるほど奇跡的だったと思う。
もうひとつは、加齢するなかで社会的に孤立して他人との親睦がほとんどなくなってから、ソロではなく孤立に変容したことがある。
レッスンやコンサート鑑賞でそれほど孤立していないとも思うが、演奏にハーモニーがないと下手になる。
巧いというのは、伴奏とのあわせや合奏の巧さと同じことで、器用に音楽作品の魂に合わせるのがソロの巧さだから、ボッチ練習ばかりやると下手になる。

かくして基礎練習を一からやりながら、音楽そのものとふれ合いながら、自分の音を作っていく作業をやり直すこととなる。
公開演奏の段階までは最低5年。まだ2年を少しこえたところ。
発表会くらいしか試す場を持てない。
蛮勇は嫌いだ。
非公開のままで、じわりじわり巧い演奏に近づいていく実感があるのも確かだが、一定の水準に到達すれば芸大の高校入学程度に並び追いこせるのではないかという野心的目標は追いかけ続けるべき基準だと思っている。
下らない社会人枠の音大生を目指す富裕層の暇つぶしには縁も興味もなく、要するに巧く弾ける、きちんと弾けるようになることが、なにより第一だと思うが、実際にはかなり難しいなと感じる肉体的老化と誰もが通る絶望的演奏との闘いである。指の関節や指先の感覚に老化が自覚されている。
音楽とバイオリンが面白い、楽しいという心と、昨日よりわずか薄皮一枚だけでもましだという感覚があるうちは、精進するしかない。
演奏寿命を延ばして健康寿命を延ばすために。
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