FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンの音程の不思議

f:id:FujiYama:20211028003635j:plain2時間も弾いているうちにようやく音程が定まってくるなどというとんでもない時期があったことは本当に忌まわしい記憶。
幼少期に厳しく母から音程を注意されてほどほどの正確な音程になるのだが、つまり合奏しても綺麗にハモるので、そのまま行けば問題ない。ピアノで音とりする習慣は実家を追い出されてから失くなった。
しばらくするともはや音程はわからない。
二十歳頃、初心者と一緒に合わせてみてから少し甘くなっていたが、それ以上に狂いどおし。
音階練習が狂っていたのだから手のほどこしようもない。
ある時期セブシックなどやってみて左手を壊す。
もはや練習量とピアノでの音とりと総動員であわせていくもさっぱり。
ピアノはそもそも平均律
そんなにあわせても仕方がない。
音階はチューナーでとりあえずあわせても結局三度音階にぶち当たる。
こればっかりは耳が大切。
チューナーで二音とれない。
気持ち悪いウワンウワンというウネリが。
逆に言えば気持ちいいところを探して覚えるだけ。
これが少しでもできればよいが、さっぱりはまらない時期があり、ガット弦に戻してみてから成功確率は格段に上がった。しかし完璧でなければ使えない。
恐れ多きハイフェッツの録音は本当に美しい重音で聞き惚れる。
曲で自然に出てくる美しい音程こそホントウの音程だ。
しかし、かなり詰めた音階練習の上に、あの美しい演奏が成立していることに気が付いたのはここ10年ほどの最近だ。
中学の頃は器用にセンテンスを越えさえすればよい程度に考えていた。実際それでも国際音楽コンクールに入る人はいる。ま、それで先生に桐朋芸大は厳しいから練習方法をかえなさいと言われたのだが。
指先の繊細な感覚と集中した耳で、きちんと音階練習していると、演奏の質は確実に上がる。
演奏は訓練というか習慣の発露だから、きちんとした音程にはなんの不思議もない。
それが不思議だなと思うのは、自分の生涯のなかで度々音程の基準が替わったからだろう。
ピアノ、純正五度、純正弦楽合奏、合奏もどき、音叉、ピアノ、純正律、ピアノ、そして現在純正律というおおまかな流れ。
平均律オンリーとポップスは昔からしんどい。
ピアノ伴奏がやっとこさである。
弦楽合奏も最近はやらないので、無伴奏純正律平均律ピアノとのすりあわせの2パターンがほとんどである。
どのみち耳と指先が柔軟でないとうまくいかないということだ。
バイオリンは正しい音程の時は響きかたが実に豊かで薫る。
この両手にも伝わってくる快感は、ほぼ誰にでも伝わるようで、ひとつのバイオリン教とでもいう宗教の会合みたいだなと思う。
バイオリン特有の法悦を分かち合う幸福というか不思議な感覚と経験だ。
気を付けないと現を抜かして現実を見失うほどだが。
誰もがリラックスした練習ができて集中する習慣がつくように願う。
反面、歌謡曲にイラッとくると今度は過敏症みたいになって困る。
生命のあるところ海水あり、哺乳類のいるところだいたい空気あり、音波あり、これは逃げられないので、多少こだわってみて、肉声と弦楽器の不思議な世界を彷徨っている。
肉声と弦楽器のハーモニーが地球上で一番ワクワクする世界。破壊力ある歌唱力より平凡で凡庸な歌手のオペラのほうが、私は音楽を楽しむには良いと思う。
究極は日蓮正宗の大御本尊の霊前でオーケストラ伴奏をつけて読経唱題があれば、一体どんな世界になるだろうと想像して、貧乏宗教の信徒を全員集合させたとしてもあり得ないなとクラシック音楽を順当に楽しむことにした。
不思議と奇跡は日蓮正宗と別個無関係に存在しているからこそ不思議であり奇跡であるとも言える。
妙音の音程がぴったりで、末寺ではバラバラのカオス音程。プロバイオリニストの音程がぴったりで、アマチュアバイオリニストはバラバラのカオス音程。
曲を掴んでいる場合に聴き手は曲を美しいと感じる。曲を掴んでいる前提は調性を掴んでいる。心地よさはその音程の完全さから来るし、わずかにずれると不快を感じる。昂らせる音程の取り方とか、抑制をきかせる音程とか、そこまで含めた曲の掴みは、好きこそ物の上手なれ。誰でも心がけひとつの純粋な想いからだなと思う。
時にはピアノがうらやましいが、音を造れる範囲が広いのもまた肉声とバイオリン(弦楽器)の魅力だ。
バイオリンを発明して五度の弦楽器にした人は天才だ。
当時からのプレーンガット弦は今のバイオリンで使うのは耐性と張力が弱すぎて多少無理があるが、巻線ガットで独特の音程の雰囲気は味わえる。中世ヨーロッパとか元帝国とかの時代の空気感でもあり関ヶ原の合戦の頃より昔の誰かの鼻歌と響きあう感じには、なんともいえない不思議なロマンを感じる。
もしかしたらミミナシホウイチの琵琶法師のように霊魂と会話しているのではないかと思う。
仏教と日蓮の教えから推測するに、精霊が喜んだり安らいだりしている。
演奏によってはレクイエムで霊がさらに苦しくなることもあるだろう。
音程は一応は3桁のヘルツであらわすことができるが、それと別の音程があって、それを探究しているとどうしてもガット弦から離れることができない。
利便性をはるかに越えた音楽の世界を大切にしている人たちがまだまだ地球上には存在しているのだ。
皆さんが求める音楽はつまりソフトな空気感だと思う。その空気感と音程が一致するのが妙であり不思議だと思う。