昔から宗教の勧誘には、よく病気が治るという話が使われる。キリストの奇跡と逸話を焼き直したような詐欺が横行していて、詐欺だろうと思うのに、引っ掛かる人があとを絶たない。よほど切羽詰まったら正しい判断ができずに、人はダマされることが多い。
先日詐欺医療についての記事があって、宗教そっくりだと思った。
問題は詐欺がテレビコマーシャルや番組ゲストの話や書店の本として、世間的にだれも咎めないままなことだから、その記事を書いた東大の医者はいちおう良いことをしたことになる。
サプリや断食をすすめて数十万から数百万患者からかすめ取れば、なんの効果もないのに、あとは知らんという商法を、医師免許で堂々とやっている。
一番詐欺か医療か宗教かという、多くの人が騙されやすい窓口が氾濫しているわけである。
がんと精神病という最もわかりやすい不治の疾患について、死ぬまで食い物にしてもかまわないという商法はどこからくるのかといえば、がんと精神病はもうそれで終わりだという科学的統計上のイメージができているから、当事者と家族だけの問題となり、だれもどうしようもないと信じているから、あとは良いカモ確定なのである。
効果という実際の証明ができるのはがん細胞の消滅検査結果とその他の検査結果の総合的判断が必要で、なんとなくよくなったとか、悩みが解決したという本人の口はまったくあてにならない。
しかしたとえば神道や新興宗教が勧誘する場合には、その治癒の基準が極めていいかげんなものになり、それをもって勧誘攻勢をかけようという魂胆がみえみえである。
伝統仏教である日蓮正宗ですら、一部にそういう主張が認められる。YouTubeで統合失調症が6か月でなおったという。常識的に統合失調症というのは予後不良で経過観察や治療を継続するものだが、6か月でというとなんだかセンセーショナル。
別のブログでは23年かかって治ったというが、その基準が介護がいならくなったからだというので、これも本当のところは微妙で、医師の診断が確実かどうかはわからない。部分的な改善は確かなのだが。
一方でがんの患者さんが実際検査してがん細胞が消滅したという話はそこそこ多く、それは大石寺信仰に一定の効果と実績があることを示しているが、彼らは保険医療を適切に利用している。具体例を見てみると心不全とかがんとか深刻な生命にかかわる疾患に対して適切な医療の活用ができる宗派であることは確かで、信仰したら医療が必要ないと言う宗派は狂っている。
困窮したり切羽詰まった状況になったときに、適切に社会資源を活用できるのが知恵であり、人間の幸福な人生にまともな知恵が欠かせないのは、あたりまえだが、そういう時に正しい判断ができない人たちが大勢いて、詐欺医療や勧誘にひっかかるのである。
ナチスが精神障害者を殺害していたのを、日本では生殺しにしようという政策なので、治ったことにしてしまえば、まさに生き地獄に堕ちることになって、早逝が期待できるという魂胆もあるのだが、そこまで気が付く精神障害や知的障害の人はあまりいないから、問題にする人もいない。無理やりでも治ったことにする。
がんと精神疾患はだれもが見放す終末期決定の疾患なので、死んで当然になると、だれもそこかしこに問題があっても、それほど気にしない。ナチス時代のドイツ人もそうだった。
大石寺信仰でがんや精神疾患などに効果があるというのは本当のことだが、間違えてはいけないのは、本人と家族の正しい信仰による正しい社会資源の活用が前提だということだ。変な宗派を拝めば的はずれや時期外れのサービスに依存するから症状は悪化する。それは詐欺医療が悪いより先にひっかかる本人が判断を誤る宗派の宗教詐欺が原因だ。
高熱があるのに大石寺にお参りして、よくなりましたという人がいるが、常識的に考えてそれは狂っている。高熱なら寝ておけばよいのだ。
しかしがんが治るレベルの効果だから高熱が瞬時(数時間中)に治るのも当然で、人の自由とも言える。
疲労困憊でよぼよぼになっていた私も無理を押して大石寺に参ったら、くだらない話かとも思うが、急におしっこが遠くに飛ぶようになった。まさかと思ったがもう1年半以上経つが射程距離は衰えない。
医療も急に効果をあげて、あっというまに高脂血症・痛風・糖尿病まで治った。
妙とは蘇生の義である。
みなさん自由だから効果のない宗教や医療(健康商法)にひっかかるのも自由なのである。ユダヤキリスト教も神道も邪な仏教もまさに宗教詐欺、保険医療外はまさに効果なしと考えるのが科学的思考判断である。
しかしまさかだれも大石寺信仰に効果があるなんて信じられないから、個人的においしい思いをして楽しんでおくことにする。
だれも排除していないから独占禁止法違反にもならないし、宗派による一切の罪名もない。
邪悪な人には見えないほんとうの仏という実在は、決して閉ざされているわけではない。