FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

神、仏、キリストたちの関係とつながり

日本の神様の代表格は天照と八幡。春日とか日吉とか他にもある。
これが仏教の解釈では、仏の現れとされる。宗教用語で本地垂迹(ほんちすいじゃく)と言われる。もともと仏教でも本仏(ほんぶつ)と迹仏(しゃくぶつ)あるいは権仏(ごんぶつ)という仏の分け方がある。
この根本、根源が本仏であって、神やたくさんの仏は仮のものにすぎないという見方、考え方が日本の歴史上天平白鳳と定着してきている。
この考え方によれば、キリストもマホメットも仏の仮の姿であり、根源の真理(仏)を説こうとしたということになる。
神は時代や地域によって真理を説くから完全ではないものの、真理を指向しているから、それぞれパワーがある。
日本が先の大戦で敗北した原因(開戦の原因)が見えてくる。
日本政府と伊勢神宮は、「キリストは本地垂迹の対象外である」としたのである。秀吉、豊臣もキリシタン禁制のその後滅亡したのは不思議な一致である。対称的なのが優れたキリスト神から学んだ信長本人は暗殺されるも子々孫々がのこることになる。
天照より明らかに強いパワーを使いこなすキリストは、より本仏、根源、根本に近いにも関わらず、鬼畜米英と見境なく攻撃してしまった。
政府は天皇と天照が唯一絶対と主張して戦争をやったわけだから、つまりキリストと同列の迹、仮の立場だということを弁えなかった。
正しくは、真理、真実、根本、根源は、仏である。
日蓮正宗においては、本仏を本尊としているからこの正しい見方ができる人もいるが、逆に言えば重要なのは、神道をただす立場の人たちである。有識者や官僚がこれを理解していないと国全体が間違えるのである。
世界の神々を比較研究する俯瞰的客観的な天照の見方をしなければ、大局を見誤る。
今の我が国を見てみると、キリスト系も天照系も自分が一番の私利私欲になってしまって、国のことや地域のことはなおざりの予算(国債発行額)である。ましてや本仏なんてどうでもよいと考える。思いもよらない。
根本根源をどうでもよいと考える自己中な日本人は、再び国を亡ぼすことになる。
キリストや中共に振り回されて、自国の繁栄を忘却するとは奈良人にすら劣る現代人たちである。
先人たちは、巨大な中国相手にまったくひるまなかったし、間抜けに尻尾をふる外務大臣なんてありえない。
くれぐれも忘れてはならないことは、本仏があって、それを助ける役割として迹仏(末法の釈迦も含む)があって、その次に神々が力を発揮(示現)するという順番である。
本仏を攻撃すれば、迹仏も神々も衰退して民衆は塗炭の苦しみに喘ぐことになる。
敗戦のときも現在もまったく同じ状況にある。
昭和天皇日蓮正宗をやらないで、母君に日蓮正宗をやめさせて、政治的に迹の身延系を採用した。今は日本人あげて坊主が悪い、日蓮正宗が悪いと見向きもしない。迹仏も本仏も悪い、下らないと口を揃える。
昔は宮内省として日蓮正宗、つまり本仏を否定したのが、国として大局を誤った根本原因なのである。
今は政府が本仏を否定している創価学会公明党を政治的に採用している。
本物の真理真実に逆らうとどうなるか?
本仏を否定した日本の行く末を見ておくとよい。

念仏者追放宣旨事より抜粋
右我が朝は神国なり神道を敬うを以て国の勤めと為す謹んで百神の本を討ぬるに諸仏の迹に非ること無し、所謂伊勢大神宮・八幡・加茂・日吉・春日等は皆是れ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり(日蓮筆)