FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

「螢火が日月を笑う」とどうなるか

f:id:FujiYama:20211103132230j:plainもともとは日蓮が悟りのレベルや大小を説いた言葉だった。
生家の都合で神道カトリックプロテスタント浄土真宗日蓮正宗系の悟りとやらを経験してみると、確かに一番明るいのは日蓮正宗系である。
日蓮系をいくつも対話して経験して比較するとなるほど日蓮正宗大石寺が一番明るい。
しかし日蓮正宗にはそのもともとの言葉とは違う面があった。
明るい分だけ経費が高いという、まるで電気代みたいな比例関係である。
悟りが高い分、明るさが大きく、広く深く俯瞰できるから、それはたしかに生活費を最小化して費用を捻出することはできる。
しかし悟りが高いのが万人のためにはならず、貧乏人の足切りに転じた。
衆院選立憲民主党共産党議席を減らしたが、共産党赤旗を購読させるからそれもまた足切りになる。
経済規模で見ると、大日本帝国の天照時代には日蓮正宗の勤行要典の広宣流布祈念に天皇の文字があり、日月や天照を混同あるいは錯誤していたことがわかる。
天照や日蓮正宗の経済規模は螢火かそれよりは少しよいロウソクくらいであり、鬼畜米英というのは日月、大日天や大月天を扱き下ろしたのであり、戸田城聖は米英連合軍を梵天に位置付けた。
貧乏人を螢火といって扱き下ろし、天照を大日天よりもはるかに偉大な佛の悟りといって貧乏人をムチ打ち、寺院に来ないようにと仏罰を祈念している人たちは、日蓮正宗の僧侶信徒と神道信者たちである。
それがより集まっただけの国会の三党が仕切る政治は広く国民の信任を受けているわけではない。
ゆがんで群れている極東の山賊と海賊たち。
あわれな民は今月今年来年の予定に困難をかかえても、天罰の仏罰のと言って嘲られている。
ウーバーイーツで働いても先がないだろうなと思っていたら、案の定NPOの施しを受けている人を見かけた。あんな無理な働き方で生計がたつわけがない。
問題は、キリスト教文明でこぼれ落ちる人たちが国内で数千万人規模で存在しているにもかかわらず、希望の光になる日蓮正宗の悟りが高額で販売されていることだ。
電車の死傷事件も希望がなくなったから。
そんな人間関係だけでは、いつでも誰でも殺人犯になるだろう。
この記事のお題だが、辞意を表明した立憲民主党の枝野代表が繰り返し日本共産党を攻撃していたことを思い出したので、まさにこれだと思った。
政治的に螢火でしかない立憲民主党が政治を掘り下げている歴史ある政党を排除しても、公明党ごときに浅いと揶揄されるだけなのである。
まさに踏んだり蹴ったりを先導した枝野氏の過失は重大である。
きちんと先達を敬う程度の儀礼はなければ、共闘以前に人間として恥ずかしいと思った。
本当は立憲民主党がまともになればと期待していた人たちは、ほとんど絶望している。
組織票でふんぞり返ることが目的の政治は、自民党公明党だけでも要らない。
宮さん気取りの御僧侶というのが、まさに守銭奴の要らない人種であり、日本国民の総意として無視、お断りする選挙がしばらく続くのであろう。
政治はそもそも育成と養生を欠いては不可能である。ただの商売で供養を貪るだけでは、弟子旦那はまともに留学もできないし、たいして働けないだろう。きちんと勤めても職場で貧乏くじを引かされるだけである。
消費税廃止とか消費税反対とか明言できない人間は、そもそも貧乏人を足切りして平然としている。児童福祉法児童虐待防止法なんてまるで理解できない人間である。
そんな悲惨な貧乏くじの立憲民主党公明党に魅力があるとは言い難い。
自ら不幸を求めていく人もいるまい。
高給を担保された一部の獄卒が熱心に支援活動をするのみである。
私利私欲と保身で、身内には湯水のように金を使い、苦学生たち低所得者たちを侮蔑して厄介者扱いしている。
構成員や支援者を馬鹿にしきっているのである。
日蓮大聖人様の慈光がその真実をくっきり照らしてくださっている。
日蓮正宗という教義と本尊だけの宗教は、信徒を地獄に落として不信心者めとせせらわらう邪悪な宗派のひとつである。
貧乏人の生活実感からすれば金光教と同じ教えである。数万円で生活させて浮いたらみんな御供養に支払えというやり口である。
名前に日蓮とあり、遺跡は残っているのだが。