FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

プロテインはダイエットに使えるか

プロテインダイエットというのがあるけれど、実際に効果があるのかという話。あるように飲めばある。
不味いプロテインの場合、飲用すると食欲が出てきてかえって大量に食べるのでまったく痩せない。おいしいプロテインなら完全に食事の代用になるから当然に痩せる。このおいしいプロテインはやや高額で一食あたり100円弱する。三食のうち一食か二食を代用すれば効果が見込める。
その上でたまに数時間でも運動すれば確実に痩せる。
味気ないものを食べて平気な人ならプロテインダイエットは向いている。食事を楽しみたい人には苦痛でしかない。理論や計算なんてほぼ役に立たないと思う。f:id:FujiYama:20201114102441j:plain

学術会議の運営方針改善報道

日本学術会議梶田隆章会長ら幹部が12日、記者会見を開き、定員を超える会員候補者リストを事前に提示して首相官邸と協議する対応を、今後は取らない考えを明らかにした。
そもそも今まで官邸と協議していたことがおかしいということに気が付いたらしい。
先日提言で同意なき性交は犯罪にというまともなことを言っているが、学術会議の役割をまともに理解していたら、まともなら官邸と協議などしないはずである。天皇が国会で討議するようなものである。
そういった意味で運営がわけのわからない学術会議でもある。協議を拒否して来なかった学術会議側にも問題があるということだろう。
とりあえず少なくとも今後は今回のような間違いが生じなくなる。
これにて一件落着。

バイデンがトランプよりチャイナに厳しい

私が既に記事にしていたが、バイデンはトランプより北朝鮮やチャイナに対してより厳しいだろうという見方がどうやら正しいようだ。

アメリカ大統領選挙でほぼ勝利した民主党のバイデン前副大統領が菅総理大臣と電話会談を行い、沖縄県尖閣諸島アメリカによる防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲であることを確認したが、中国政府は「安保条約は冷戦の産物だ」として日米両国に反発した。

アメリカ大統領選挙でほぼ勝利した民主党のバイデン前副大統領は12日朝、菅総理大臣と電話会談を行い、日米同盟の強化で一致し、沖縄県尖閣諸島アメリカによる防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲であることを確認した。

これに対して、中国外務省の汪文斌報道官は12日の記者会見で、沖縄県尖閣諸島について「中国固有の領土だ」と改めて述べ、中国側の従来の立場を主張した。まったく身勝手な主張である。

そのうえで、「日米安保条約は冷戦時代の産物であり、第三国の利益を損なうべきでないし、地域の平和と安定に危害を与えてはならない」と述べ、日米両国に反発した。
しかし冷戦は形を変えて継続している。チャイナが地域の覇権をとろうとメチャクチャを繰り返している以上日米安保条約は継続される。

今後は北朝鮮の金氏に対してもより厳しく核兵器廃棄に向けた取り組みが為されるように期待したい。中国はみずから第三国であると言っているから、日米同盟がかなり強固なものだと理解しているのだろう。日本は中国公船の動きにより厳しく対応しなければならない。中国の挑発行為は愚かにも日米同盟をより強固にしているのである。やはりエリートというのはどこの国も頭が悪い。
私の従来からの主張だが、はやく日中友好条約は破棄して日中通商条約を締結してほしい。友好という言葉はありえない不適切なものだと断言できるからだ。

お釈迦さまの予言

お釈迦さまは鼻から教えを聴かない人が大勢いることを想定していました。第一存命中に全人類に会うことなんてできません。
たくさんのお経を遺しましたが多すぎて全部読みきれません。
そこでまとめ編、総集編が出されました。それが法華経です。法華経には自分が死んだあと遺した教えでなんとかなるが、末法時代にはどうにもならなくなって、上行菩薩が出現して法華経をひろめることが予言されています。末法法華経は、正式名称の妙法蓮華経に南無がついて南無妙法蓮華経といいます。
実際に鎌倉時代に南無妙法蓮華経でみんなを救うと言って現れたのが日蓮です。日蓮は修行していて自分こそが上行菩薩の生まれ変わりで釈迦のお師匠にあたる仏だと自覚したのです。法華経には釈迦が遠い昔に上行菩薩を師匠にしたことがあると書かれています。
釈迦と日蓮は師弟関係にあったんですね。宗派によって弟子と師匠のこの順番が違います。釈迦を師匠に置いているのが日蓮宗身延派で、日蓮を師匠に置いているのが日蓮正宗です。それで身延派ではたんに日蓮上人とか日蓮聖人と呼んでいて、日蓮正宗では日蓮大聖人と呼ぶのですね。
日蓮も予言者でいくつかの面白い予言をしています。鎌倉当時に日蓮宗が身延派に分派することもわかっていましたし、後の時代に国際派の新興宗教が出てきて南無妙法蓮華経をかたらうことも、彼らが日蓮正宗法主と敵対することも文献に明文として予言しています。
予言が見事的中してしまうあたり、釈迦や日蓮がたしかに悟っていたことは間違いないと思います。

不祥事の原因

カトリックの聖職者が児童虐待をしていることが重大な問題になっています。人間はなぜ過ちをおかすか?神の代理人なんてできるわけもないことをナゼ教会はやろうとするのでしょうか?
人間はどこまで行っても人間です。それ以上にはなりません。
不祥事は自分を神の一種とか神の一族と勘違いすることから発生しています。
仏教でも生き仏のようなお坊さんが不貞行為をしたり私利私欲に走ったりと不祥事があとをたちません。
これらは宗教がかえって人間の倫理的行動を阻害している実例で枚挙に暇がありません。
宗教倫理があれば他の倫理が不要だという暴論、論理の飛躍がまかりとおっているのです。交通ルールを守っているから万引きは許されるみたいな。
しかし宗教倫理と一般的倫理が合致する宗教があればと願うのがノーマルではないでしょうか?聖職者が少々お酒を嗜むとか芸術を嗜むという範囲であれば一般的に許容されます。
生き仏のようなお坊さんではなくて、生き仏になってしまう仏教なら大歓迎です。
質素倹約を常として信徒のために日夜精進するようにシステム化された仏教なら御布施も惜しくないものになります。
各派のなかでは日蓮正宗がそういうきちんとした仏教で、きちんと修行すればどんな人でも許容できる優れた仏教者になれる特に秀でた稀な宗教ということです。
宗教のいろいろな綺麗事、政治的綺麗事は聞きあきました。結局どの宗教も誰かを敵にして排除することのほうに熱心です。寛容の精神なんて綺麗事です。許しの心なんて絵空事です。
教育者たちがよく宗教の教えなんか持ち出していますが普通に逆効果にしかなりません。
人間が人間のままであらゆる人間に対する寛容の精神を持つこと、つまり生き仏になることは通常不可能であり、日蓮正宗でしか実現可能性がないということに、一人でも多く一日でもはやく気が付いて欲しいです。そんな奇跡的な宗教が静岡県富士宮市にあるなんて一瞬信じられませんが。
私は神のもとの平等、仏は釈迦だけしかいないという思い込みに支配されないように皆さんを啓蒙しています。神のもとで貧困と虐待が起こり、釈迦の綺麗事に皆さんキレるだけでは、人類は不幸です。享楽にフケるだけが人生とか子孫をのこすだけが目的に終わってしまいます。享楽や子孫繁栄もほぼ一般的生物としての幸福に終わり、ほぼ人間としてすら生きられません。そう不祥事の原因はまさに神と仏だったのですね。あんなものがあるから皆さん不祥事、不貞、犯罪、虐待にはしるのです。

だれでも弾けると言いたいが

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 バイオリンはむずかしいと何度か記事にしているから矛盾する話かもしれないが、考えようによっては、やり方によっては誰でもできる簡単な楽器かもしれない。

 構え方、持ち方、弾き方をいちおう形通りに覚える。慣れる。曲を弾いてみる。

 どの楽器でもたいして変わらないから、バイオリンだけが難しいと考えても良いものか?私は鍵盤楽器は難しいと思うが、それは同時に10本の指を使うからであり、よくそんなにたくさんの音符を同時に進行させられるなあと思う。頭が悪い人にはピアノは不可能である。

 しかしバイオリンは一つか二つの音が出せれば十分である。特殊なものでも最大4つまでしか同時に音は出さない。それ以上になると別のバイオリンやビオラやチェロが分担してくれる構造になっているから。

 つまり出す音としては非常にシンプルだから頭脳にはいくらかやさしいと思う。

 管楽器ではロングトーンが出来なければならないが、弦楽器は弓を全部使えばよい。息を全部使うのは肺機能を高めてよいものだが、風邪をひくと演奏できないので、バイオリンは無関係に弾いてしまえるスグレモノともいえる。

 だみ声の人は声楽に挑戦するとだいたい悪役まがいしか回ってこないだろうが、バイオリンは腕さえ磨けば好きなメロディーを奏でられるし、よい楽器ならプリマドンナができてしまうので、声質に自信がない人にはとても助かる楽器だ。

 問題はよき指導者との出会いがあるかどうかにかかっている。

 技術畑と音楽畑のバランスがとれた指導者が優れた指導者なのだが、偏っていることが圧倒的に多い。

 バイオリン特有のノルマとしての基礎練習を学べば、どんな曲だって自在に弾けるようになるから、そういうノルマを先にクリアさせて音楽を楽しむというのが王道だ。

 残念ながら、成人してからノルマに取組む人が多い。これは少し厄介で忍耐が必要になり、よほど好きでなければできないシロモノになってしまう。

 時間のある小学校くらいから学生の間にきちんとやれば誰でもできると断言してよい。

 普通にト音記号の譜面が読める人なら、そして耳で音程を聞き分けられるなら大丈夫だ。

 もうひとつ忘れてはならないのが経済的な問題である。

 楽器は実は工夫すれば約10万円~(弓重視)でセットがそろう。一生使うとなると50万円くらいは予算をとって何年もかけて好きな音の楽器を楽しんで選ぶといい。月々のレッスン代、発表会費用、衣装代がかかるから、まともに食べられるくらいは必要だ。

 しかし世の話としてめちゃくちゃに高額な負担を強いられるというのは、ほんとうはごく一部の話であって、ウソである。コンクール出場者や音大に行く人の話。

 最小限度のお月謝を支払ってきちんとした先生について必要十分な楽器セットを使用すれば、あなたも5年~10年後にはスーパーバイオリニストになるのです。(20210221追記)1日2時間くらい練習すればですが。

 やたらと年数をかけてたくさんの先生方のお世話になって気が付いたのでシンプルにバイオリンはいいよ、という記事を書きたくなりました。

 弦楽器で音楽を楽しむという人間としてちょっぴり高度な嗜みをあんまり特別視しなくてよい世の中になってほしいという強い願いがあって、そこから私の貧困問題へのこだわりというのが派生しています。腹ペコでも音楽は素晴らしい。でも腹八分目ならなおさら音楽は素晴らしいから。パチンコばかりやってあんまり飢えてると恐ろしいというかあんまり音楽的でないというか、ひらたくいえば健康で文化的にという願いかな。

とんでもないヤツがいたけど

ヤフーの記事を見ていたら、大学生の命を奪った居眠り運転という題。 生活保護の男が禁止されていた車を借りた理由は「雨にぬれたくなかった」
以下抜粋複写
11/10(火) 20:00
配信
南日本新聞
居眠り運転で横断歩道を渡っていた男子大学をはね、死亡させた男がいた。生活保護受給者で運転を禁じられていた。
 〈人間スクランブル かごしま法廷傍聴記〉
居眠り運転で横断歩道を渡っていた男子大学をはね、死亡させた男。生活保護受給者で運転を禁じられていた。

 女性検察官は眉間にしわを寄せ、白いマスク越しにもはっきりと険しい表情が読み取れた。視線の先にいたのは、小太りで黒いTシャツを着た被告の男(26)。自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われていた。

 男はゲームや動画を見て不規則な生活を送っていた。梅雨の真っただ中だったその日、「雨にぬれたくなかった」とレンタカーを借りた。生活保護を受給しているため車の運転を禁じられていたにもかかわらずだ。

FUJIYAMAとしてはここで疑問が。生活保護受給を理由に車の運転を禁止する権限が誰にもないのではないか?福祉事務所としても権限がない。

 向かったのはパチンコ店。兄と10カ所を巡った。夜が更け、眠気を覚えても休憩しなかった。居眠り運転で横断歩道を渡っていた21歳の男子大学生をはね、死亡させた。信号は男側が赤。ブレーキを踏んでいなかった。

さらにFUJIYAMAの疑問。兄というのは弟に享楽を教えるだけの存在だったのか?そんな軍資金があるのなら手に職をつけさせるような方向付けをしようとしなかったのだろうか?

 「尊い命を奪い、大変申し訳ない」と謝罪したが、事件後2度もドライブをしていたことが明らかになった。張り詰めた空気の中、喪服に身を包んだ遺族3人が傍聴席からやり取りを見守っていた。

 事故を起こした認識が薄れていったとする被告に、検察官は間髪を入れず「薄れるような出来事か。ご遺族がどんな気持ちで過ごしてきたと思うか」と声を張り上げた。「あなたに無念さが分かるか。生きているから償いたいとか言えるけど、被害者は何も言えないんだよ。分かる?」と一気にまくし立てた。

FUJIYAMAはこの女性検察官は頭が悪いのかと思う。どんな思いであるかという主観的な配慮は謝罪ですでに済んでいる。余計な世話までしなくてよい。

 被害者は大学の特待生だった。県外の広告代理店から内定をもらい、新たな未来へ踏み出そうとしていた。ムードメーカー的な存在で300人もの友人が通夜に参列。現場には一緒に音楽活動をしていた仲間がCDを手向けてくれた。

FUJIYAMAが思うのは、優等生が青信号を過信してはねられたのだから、優等生というのが仇になったのだろう。ふつうなら青信号でも用心しながら通行するからだ。周囲に恨まれるようなことはしていなかった人柄には問題がなさそうだが、社会の役に立てたかどうかは不確定な年齢だ。

 被害者側の意見陳述では、黒ネクタイを締めた父親が愛息との思い出を回想した。「単身赴任中だった私のもとに遊びに来てくれ、初めて2人で酒を飲んだ。『楽しみにしてたんだよ』って、はにかんだ表情を浮かべて」。言葉を選びながら冷静に語る姿からは、かえって深い悲しみが伝わってきた。

FUJIYAMAにはわかるが、冷静に深い悲しみを感じていても、冷静に生きていけるかどうかはわからない。冷静に受け止めようとするのは大事だが。自分さえ真面目にやっていればよいと思っていたのだろう。世の中に不幸があることを見て見ぬふりをしてきた報いなのである。

 事故3日後に被告から電話があり、名前を間違えられた。生活保護費で賠償したいと言われ、ばかにされていると思った。事件に関するノートの1ページ目に「無念を晴らす」と記した。「息子と幸せな時間をもっと分かち合いたかった。被告への憎しみは日に日に増すばかり。最大限の罰を」と述べ、陳述を締めくくった。

FUJIYAMAが思うに、はっきり名前もなにも知らないわけだから、事故を起こしたとは感じてない。純粋に無念なわけだ。それにたいして無念と恨むことの愚かしさが浮き立つ。もっと幸せな時間を過ごしたいという私利私欲と欲望が叶わなかっただけのことで、珍しくもない死亡事故だった。

 迎えた判決公判。男はまたも黒いTシャツ姿で臨み、禁錮1年10月を言い渡された。スーツ姿の遺族が法廷を後にする際、深々と礼をしたが見向きもされず、静かに法廷の扉が閉まった。

FUJIYAMAが思うに、スーツを着ているから正義でTシャツだから悪いわけではない。なにかこの記事を読んでいると、生活保護に対する不満や憎しみや恨みが感じられる。そういう下らない感情に振り回されない賢い自己を築くように強く願う。
この世の中には、不幸な人なんて捨てるほど存在している。とんでもないヤツが自分さえ真面目にやっていればよいと思っているヤツを殺したというのは、どっちもどっちみたいな所がある。罰を受けるのだから、結局なにも悪くないわけだ。
ただ一時的に個人的怨みは買うだろうけど。

そう。私利私欲の自分さえよければよいという考えかたは、実は自分が真面目にやっていればよいという考え方と重なる似たようなものなのだ。だから自分が 真面目にやるように、自分の息子を育てたように、加害者が真面目に生きられるように教育してやれたらこの問題は解決する。憎しみを転換することは簡単です。保護受給のとんでもないヤツという不幸が身にふりかかってきた機会に、他人にも教育や愛が必要なのだと気がつけばよいのだ。ご縁があったものを恨むのは馬鹿である。スーツを着ていても頭が悪いと理解できない話ではあるが。まともに考えるとして、とりあえず加害者にスーツを一式あてがってやるか。