FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

とんでもないヤツがいたけど

ヤフーの記事を見ていたら、大学生の命を奪った居眠り運転という題。 生活保護の男が禁止されていた車を借りた理由は「雨にぬれたくなかった」
以下抜粋複写
11/10(火) 20:00
配信
南日本新聞
居眠り運転で横断歩道を渡っていた男子大学をはね、死亡させた男がいた。生活保護受給者で運転を禁じられていた。
 〈人間スクランブル かごしま法廷傍聴記〉
居眠り運転で横断歩道を渡っていた男子大学をはね、死亡させた男。生活保護受給者で運転を禁じられていた。

 女性検察官は眉間にしわを寄せ、白いマスク越しにもはっきりと険しい表情が読み取れた。視線の先にいたのは、小太りで黒いTシャツを着た被告の男(26)。自動車運転処罰法違反(過失致死)の罪に問われていた。

 男はゲームや動画を見て不規則な生活を送っていた。梅雨の真っただ中だったその日、「雨にぬれたくなかった」とレンタカーを借りた。生活保護を受給しているため車の運転を禁じられていたにもかかわらずだ。

FUJIYAMAとしてはここで疑問が。生活保護受給を理由に車の運転を禁止する権限が誰にもないのではないか?福祉事務所としても権限がない。

 向かったのはパチンコ店。兄と10カ所を巡った。夜が更け、眠気を覚えても休憩しなかった。居眠り運転で横断歩道を渡っていた21歳の男子大学生をはね、死亡させた。信号は男側が赤。ブレーキを踏んでいなかった。

さらにFUJIYAMAの疑問。兄というのは弟に享楽を教えるだけの存在だったのか?そんな軍資金があるのなら手に職をつけさせるような方向付けをしようとしなかったのだろうか?

 「尊い命を奪い、大変申し訳ない」と謝罪したが、事件後2度もドライブをしていたことが明らかになった。張り詰めた空気の中、喪服に身を包んだ遺族3人が傍聴席からやり取りを見守っていた。

 事故を起こした認識が薄れていったとする被告に、検察官は間髪を入れず「薄れるような出来事か。ご遺族がどんな気持ちで過ごしてきたと思うか」と声を張り上げた。「あなたに無念さが分かるか。生きているから償いたいとか言えるけど、被害者は何も言えないんだよ。分かる?」と一気にまくし立てた。

FUJIYAMAはこの女性検察官は頭が悪いのかと思う。どんな思いであるかという主観的な配慮は謝罪ですでに済んでいる。余計な世話までしなくてよい。

 被害者は大学の特待生だった。県外の広告代理店から内定をもらい、新たな未来へ踏み出そうとしていた。ムードメーカー的な存在で300人もの友人が通夜に参列。現場には一緒に音楽活動をしていた仲間がCDを手向けてくれた。

FUJIYAMAが思うのは、優等生が青信号を過信してはねられたのだから、優等生というのが仇になったのだろう。ふつうなら青信号でも用心しながら通行するからだ。周囲に恨まれるようなことはしていなかった人柄には問題がなさそうだが、社会の役に立てたかどうかは不確定な年齢だ。

 被害者側の意見陳述では、黒ネクタイを締めた父親が愛息との思い出を回想した。「単身赴任中だった私のもとに遊びに来てくれ、初めて2人で酒を飲んだ。『楽しみにしてたんだよ』って、はにかんだ表情を浮かべて」。言葉を選びながら冷静に語る姿からは、かえって深い悲しみが伝わってきた。

FUJIYAMAにはわかるが、冷静に深い悲しみを感じていても、冷静に生きていけるかどうかはわからない。冷静に受け止めようとするのは大事だが。自分さえ真面目にやっていればよいと思っていたのだろう。世の中に不幸があることを見て見ぬふりをしてきた報いなのである。

 事故3日後に被告から電話があり、名前を間違えられた。生活保護費で賠償したいと言われ、ばかにされていると思った。事件に関するノートの1ページ目に「無念を晴らす」と記した。「息子と幸せな時間をもっと分かち合いたかった。被告への憎しみは日に日に増すばかり。最大限の罰を」と述べ、陳述を締めくくった。

FUJIYAMAが思うに、はっきり名前もなにも知らないわけだから、事故を起こしたとは感じてない。純粋に無念なわけだ。それにたいして無念と恨むことの愚かしさが浮き立つ。もっと幸せな時間を過ごしたいという私利私欲と欲望が叶わなかっただけのことで、珍しくもない死亡事故だった。

 迎えた判決公判。男はまたも黒いTシャツ姿で臨み、禁錮1年10月を言い渡された。スーツ姿の遺族が法廷を後にする際、深々と礼をしたが見向きもされず、静かに法廷の扉が閉まった。

FUJIYAMAが思うに、スーツを着ているから正義でTシャツだから悪いわけではない。なにかこの記事を読んでいると、生活保護に対する不満や憎しみや恨みが感じられる。そういう下らない感情に振り回されない賢い自己を築くように強く願う。
この世の中には、不幸な人なんて捨てるほど存在している。とんでもないヤツが自分さえ真面目にやっていればよいと思っているヤツを殺したというのは、どっちもどっちみたいな所がある。罰を受けるのだから、結局なにも悪くないわけだ。
ただ一時的に個人的怨みは買うだろうけど。

そう。私利私欲の自分さえよければよいという考えかたは、実は自分が真面目にやっていればよいという考え方と重なる似たようなものなのだ。だから自分が 真面目にやるように、自分の息子を育てたように、加害者が真面目に生きられるように教育してやれたらこの問題は解決する。憎しみを転換することは簡単です。保護受給のとんでもないヤツという不幸が身にふりかかってきた機会に、他人にも教育や愛が必要なのだと気がつけばよいのだ。ご縁があったものを恨むのは馬鹿である。スーツを着ていても頭が悪いと理解できない話ではあるが。まともに考えるとして、とりあえず加害者にスーツを一式あてがってやるか。