FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

強い日本に(経済軍事大国へ)

日本人は平和ボケが著しいので、少し冷静に考えて欲しい。
日本の人口が減って、自衛隊が減ると中国は遠慮なく尖閣諸島も日本列島も占領する。
これほど確実で当たり前のことを認識できない人たちがいるのは、まったく驚きである。
日中友好条約を過信している。
中国なんてただのならず者だ。
ハッキリと友好の相手ではない。
暴力団共産党バージョンである。
きちんとした国防のために日米安保憲法と共に堅持して、日本の領土と主権を守るべきだ。
あきらかに中国共産党に日本を売り渡す公明党創価学会は断固として拒否しなければならない。
自民党も中途半端に中国と仲良くしようなんて考えているのだからアテにはならない。ましてや完全平和ボケの民主党共産党なんて論外である。
今の政治には日本のために動く政党がない。
日本人はほんとうに不幸である。
かろうじて日米安保で我々の生活、生命および財産が守られている現状だ。
防衛力の整備はただ予算があればよいというものではない。国家を維持し経済を発展させるだけの人間が必要で、とにかく子供を増やさないといけない。
自民公明政権では日本人の数は減らされている。実際に口減らし政権だ。
彼らは日本を中国共産党に明け渡すつもりである。
そんな政権を支持することはあり得ない。
口減らしをしている先進国なんて日本しかない。
日本はきちんとすれば大国にもなれるのだが、わざわざ民族衰退の路線を突き進んでおり、改善させそうな政党は一向に生まれてこない状況である。
だれか日本のための政党を立ち上げて欲しい。
自由日本党とか日本民主党とかできないかと切望している。一番近いのは立憲民主党なのかもしれない。

ある地域の小中学校の作文を読んで

行政が主催して作文コンテストが行われているのは、みなさん各地域で同じだろう。
社会を明るくする運動という標題で多くの作文があった。共通してそれなりに学ぼうとする意欲と社会を明るくしたいという意欲が感じられてまずはホッとした。
しかし親や学校がきちんとした教育をしているのかといえば、これはまったくできていないことがわかった。
第一に犯罪を犯す人たちがみなさん裕福だと思っているらしいのだ。コロナで大変な時に犯罪を犯すのは悪いと一様に口を揃えるのは、経済観念がなさすぎるし、それを教育しないのは果たしてまっとうな教育だろうか?実際に切羽詰まって犯罪を犯す場合に、たとえば窃盗犯というのは軽い犯罪である。凶悪犯罪について誰も口にしないのはおかしい。軽い犯罪を目の敵にするように教育しているとしか思えない。片手落ちだ。
第二に教育すれば犯罪を犯さないという甘い期待である。いかなる教育を受けても切羽詰まったら何をするかわからないのが人間だと正しい事実統計を教えるべきである。犯罪ゼロの理想社会でも夢見ている先生がいるのだろうか?
もはや学校教育はムダが多いことがわかる。
笑ったのは牛の命を本気で心配する作品だった。もちろん牛の命も尊いことに変わりはないが、人間の命が無駄に失われている現実を知らないような印象を受けた。たぶん国際的に自殺者が無駄に多いことが教育上隠されているのだと思った。
俯瞰的総合的に判断してお笑い作文でもあり、行政のムダそのもののように感じられた。
今も昔も子供はただ教えられたことを鵜呑みにすれば優秀だとおだてられるのみの憐れな生き物である。

中国って嫌な感じ

RCEP域内包括的経済連携に大国インドは加わらなかったが、ある意味自然なことだと思う。中印国境紛争で流血の惨事が起こっていて、隙あらばと狙う中国と連携はできないに決まっている。連携したのはほとんど中国の属国みたいな中小国だった。かろうじて日本とオーストラリアニュージーランド等で域内の経済自由化を推進できるかどうかである。
TPPにはアメリカが加盟しなかった。
肝心なところで大国というのはワガママが言えるだけの国力があるのだ。
しかし日本は中国の取り巻きたちの一つに終わらないように日豪を中心に経済の自由化を強力に推し進めて欲しい。
テレビ画面に中国政府の役人(共産党)が出てきただけで虫酸が走るのだが、あの偉そうな態度は同じアジア人として恥ずかしい。謙虚な大国とまではいかずとも節度のある発言くらいはできなければ、結局損をするのは中国だ。一国主義そのもののような発言と態度を見るたびにむかっ腹が立つ。人民が大事なのか?それとも覇権が大事なのかと!
世界の一員としての謙虚な姿勢があれば、あんな態度はとれない。繁栄の意味がないほど暴走している。軍拡しながら日中友好なんて絶対にあり得ないし、私は個人的にまったく中共を信じられない。
東アジアからの歴史的文化的恩恵に感謝すればこそ、現在の中国に対しては厳しく対処していかねばならないと思う。

クルマもっと間隔とって

自転車でよく移動するのだが、わきをギリギリですり抜けていくクルマが多くてヒヤヒヤする。
特に車道を走行していて、通勤時間帯に多いギリギリの追い抜き。自転車通行帯が車道に含まれるような設定になっている場合、車道をクルマがふつうに走行していれば自転車との間隔は50cmない。ほんとうにスレスレのギリギリなのだ。都心も郊外も同じで特に通勤時間帯はかなり当たり前な危険な追い抜きが横行している。車線変更で追い越してくれると安心なのだが。
20年以上むかし、自動車学校では安全な距離を確保して追い抜くように習ったような記憶があるが、これがまったく守られていない。
渋滞気味でもなく通勤時間帯でもなくギリギリな車両もいて、どうにかならないのかとヒヤヒヤする。
せっかく安全距離をとって運転しているドライバーの配慮も台無し。
明確な罰則があるわけでもなく、怒りを向ける矛先がない日本国道路事情でした。

れいわ新選組について

れいわ新選組の問題は景気対策が給付金と消費税廃止に偏り過ぎているところにある。
通貨発行権の濫用は野党が主張して評価される唯一の政策かもしれない。消費税がほぼ定着している。いずれにしても消費者に回す通貨を増やすことは冷静にプラス評価しなければならない。問題はそれだけで何か問題のすべてが解決するかのような印象付けをして党勢拡大をはかる方法だ。給付金で支持を集めようなんて人のふんどしで相撲をとることにすぎない。
次に日米同盟軽視についてである。日本の制空権を取り戻すためにはF22ラプターという最新鋭戦闘機より優秀な戦闘機を開発配備しなければならない。れいわ新撰組は日本の空が日本のものだと日米戦争をしたがっているのだろうか?あまりにもあり得ない。対米自立は素晴らしいが、対中問題を見過ごすつもりだろう。尖閣諸島を無料贈呈するかのような印象でほぼクレイジーだ。
まず日本の人口をハッキリと増加させてから日本の防衛力を整備してから日本の制空権について協議できるだけだ。
一方で人権についてきちんとしようとしているのは評価できる。日本を先進国として維持し発展させる上で重要なポイントだからだ。
また原子力から天然ガス等への移行もすばらしい生活環境への改善が見込まれる優れた政策である。
いずれにしても少数意見に終わるだろう。
山本代表の演説はある程度訴求力があるが、政権をとるところまでは難しく、代表がいなくなればそれまでの政党に終わる可能性が高い。
たとえ一時期に終わっても、クレイジーな国防外交政策を主張しているとしても、ここ数十年の極端なデフレと実質賃金の低下が著しいので、経済政策を支援してもよいだろう。
それ以外はどうも中共に寄りすぎで意味不明である。政党存続と政策実現には、どうやって国民の継続的支持を得られるかが重要なのに、アメリカが消滅するという幻想のもとにやっているとしか思えない。
まちがいないのは、彼らが新興宗教創価に毒されて東洋文化をなにもかも知ったつもりになっているということだ。まさに意味わからん政策も含まれていると思う。
日本政府と与党はあきらかに人口を削減しているのだかられいわ新撰組が何を言ってもムダなような気がする。
これからの局面では日米安保日中友好は両立できないことを理解しているのかどうか、そして日中友好を優先するのはいかがなものかと思った。尖閣諸島だけでは終わらない。中国はとれるところはぜんぶ、日本列島みんな占領するつもりだからである。
人権を重んじて中国と友好関係というのはあきらかな矛盾である。
ナチスよりまだ性質が悪いアジアの盟主の民族ならびに自治弾圧政治と友好関係を築けば、おのずから日本の人権分野は後発どまりになる。
そこのところを十分に説明できない以上は、たんなる現実迎合の財閥政治の助長に終わることになる。
経団連のいいなりが悪いと言いながら中華財閥の言いなりとは、いったいどういうつもりかまったく性質が悪い。
こういうのを二枚舌というのである。
れいわの政策をみてみると支持は全面的支持にはなりえない。
今の日本の政党で中国の息がかかっていない政党が見当たらないのは非常にもどかしく残念なことである。結局れいわもf:id:FujiYama:20201117161313j:plain中華利権に変わりはない。
とりようによってはれいわだけが富国強兵に向かっているという意味で支持する経済政策ということになろうか。

日米と日中は大差ない?

自由主義を含んだ国家社会主義自由経済導入共産主義は大差ない。そんな無謀な考え方がまん延してはいないだろうか?日中友好論者だ。
我々の日常生活においては表現の自由とか政権選択の自由とか様々な自由が保証されているが、共産党に媚さえ売っていればあとは自由という考え方になるとどうだろうか?要するに諦めてしまえば、中国の属国になれば、気にしなければあとは自由と。
身震いがする身の毛もよだつような考え方があるものだ。アメリカが衰退するのはごく一部なものを、あたかもアメリカが消滅することを夢見てプロパガンダを打っていることに気が付かないといけない。
マスコミがゴミだといわれる由縁だと思う。
本気でアメリカが消滅するなんて期待するのは私にはまったく理解できない。
大国間でどちらか一方だけが消滅することはあり得ない。
あの広大な北米大陸が消滅することはない。
しかもアメリカがアジアの権益を手離すなんてことは考えられない。敗戦国というのは不自由なもので、アメリカと国際秩序に反することは絶対にできない。
中国の一方的主張になる尖閣諸島中国固有領土論に迎合して海上保安庁だけの対応をとることには不審をおぼえる。日本の領土領海なのだから護衛艦を派遣することを検討すべきだ。
しかし政治体制は一極より二極、三極くらいがバランスと安定感があってよい。どのみち官僚が政策はほとんど決定するけれど、その行き過ぎや盲点を修正しなければ危険だからだ。やはり共産党の独裁体制が最も危険で異質なものだ。日本も自民党の独裁になって自由がなくなり、最近危険な政治に陥った。
また、真言宗などのように拝金主義にはしって見境がなくなることだけは避けたいものである。
米国には自由権と仮にも民主主義が存続している。
これはお金だけでは買えない人間の特権なのである。

神の弱点

神というのは単体で存在できない。人間や事物事象を通して人間が定義しているものだ。
人間は美醜をはっきり分けてみている。そこに不思議な美を発見した時に、その表現として神が存在すると感ずるのである。
つまり神は差別化の第一歩になっている。人間を差別化するのは愚かなことだと言っても、美醜ははっきりわかるもので、誰も否定できない。
特別に美しいものを差別化して定義し、それを永続的に保存したり、特別な人間を作って権威化したり、人類は工夫して政治体制を存続している。
今の時代はすでに全ての生命に喜びをもたらす時代に変わっている。昔みたいにただ奴隷を酷使して神の立場の人間だけが存続すればよいというものではない。
家畜やペットまで生命を尊ばれる。
はっきり醜い老人の人権もある。
いつのまにか差別が悪いことになった。
言ってしまえば差別というのは惰弱な心の快楽主義者がやることなのだ。
やはり差別という言葉がよくない。
区別のほうが落ち着く。
分別や区別は大切だが差別はよくない。
頭ではわかっても実際には好き嫌いで差別しがちなので結構難しい。
しかし人類が科学技術を手に入れ文明のなかに生活している以上は好き嫌いを乗り越えなければならない。我々人類には余力が生じているから、その余力で私利私欲や好き嫌いだけの差別をすることは許されない。野に暮らす野蛮な未開人というのはもはや地球上で探索されないだろうから、人類の基準としての平等意識が必須になりつつある。
神は美の中に逃げ込む惰弱な人間たちを望まない。
そしてむしろ仏教的な芸術、つまり全員参加型地域の構築という社会観が今や求められるようになった。
アジアには神も仏も歴史上存在しているし、今も建築などが多くのこっている。
大事なのは文化的遺産なのだと最近思う。
建物や遺物というのはその形式をあらわすに過ぎない。それも大事だが、実際になにをどうとらえてどう考えてきたのかという文化的遺産は書籍としきたりのなかに遺されている。
科学が未発達だった時代の悲劇の記録も含めて、全員参加型地域の構築に有益であった仏教文化を見直す時代がやってきている。
日蓮正宗の総本山で御僧侶方が隊列を組んで本尊の御前に行進する姿を見た時、私は自分の遺伝子がアジアの遺伝子なのだと悟って感動した。享楽に耽るだけの悪徳僧侶は別にして、きちんと修行している僧侶の文化、読経はほんとうに清々しく美しいものであった。すべての生命を貴ぶ仏というものを体感できて久遠という言葉を知り、大変感動した。