FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリン演奏技術の深刻な現状と未来の明るい展望 へたくそな人がやるべきことのヒント

f:id:FujiYama:20210904203351j:plain状況を理解できず無理するとその反動に苦しむのは当たり前のこと。
因果応報です。

弦楽器の弓の運びをボーイングと呼ぶ。
美しい確実なボーイングには、自然な呼吸と穏やかな心が前提になる。
土地柄や信心修行(こころがけ)で硬直化しがちなのでリラックスする習慣付けが必要。
気合いを入れる習慣はみなさんいくらでもあるが、リラックスの修行はあまり一般的ではない。
しかもいったん不調に陥ると快復までの道のりは遠い。
多くの高名なエチュードやスケールを否定するわけではありませんが、発声や基礎はいくら努力して練習してもできるものではありません。

左手の指使いをフィンガリングと言う。
まず楽器個体の響きが悪いぶんだけ滑らかにまめらない。
数年がかりで響きのよい楽器に慣れれば改善するのですが、いかんせん時間と慣れが必要です。
しかも楽器が重いとそのためにポジション移動の時に親指が滑りにくいことがあります。
また当然ですが、肩当がフィットした軽い楽器で弾かないと自在に音は取れません。

構えて肩に力が入る。
重さは不利な条件です。顎にどうしても力が入るので、そこから背中まで力が入るのです。軽い楽器は全身の力が抜けて快適そのもの。
肩当ての問題は大切です。安定性と発音に直接影響している。楽器の音質と個人の骨格に合わない肩当てのためにボーイングに力が入ることがあるのです。
弦の張力による指の受けるストレスもあります。張力のぶんだけ全身が緊張するという傾向は否定できません。ほどよい張力の音質の合う弦を選びます。
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甘い音色は音感も運動神経も甘くする。
今まで長く使ってきた何台かの楽器によって、能力の開発は明らかに遅れました。
綺麗な甘い音色に満足していると、技術がおろそかになっても、なにも感じなくなる。
よい楽器の透き通った良い音は、頭脳を明晰に、意識をはっきりさせて、われわれ弾き手を自然と緻密な表現に誘う。
マスターバイオリンでないものと音色ばかりよいマスターバイオリンは百害あって一利なし、というのが技術面と音楽面から言えると思います。先生の紹介が必須だった場合などのやむを得ない限りにおいて、最初のわずか数年の間しか使ってはいけません。
楽器商は禁断の甘い音色の毒薬を販売しているのです。
しばしば三ケタやそれ以上の値段で。

いったん悪いクセがついてしまうと、日々の練習の仕方にも問題が頻発しており、まずその問題に自ら気が付く必要があります。
それと同時に、心身ともに健康な状態に方向付けをたゆまず心がける信心がどうしても必要です。
一般的には信心なんてものはありませんから資産に余裕があると良いでしょう。
上記のような今までの間違った積み重ねを根本的かつ具体的に改善して、自然なリラックスした演奏を徐々に取り戻していけると思います。
練習のポイントを適切に助言してくださる指導者と吸収できる感性を磨く本人の信心(特に禅定=心を落ち着かせ集中力を維持すること)が非常に重要です。
なまくらな甘い感覚なら弾かないほうがマシ。
そんな気すらします。
そしてそれに気が付かせてくれるものは、指導者と楽器と信心です。

なぜバイオリンと信心が関係あるのかというのは、とても難しいので理解しようとしなくても構いません。
なぜならよい楽器を毎日3時間も弾けば、そのよい楽器は宗教的本尊と同列であるかのような作用と効果を発揮して、自然のうちに弾き手を健康な方向に導くからです。
そもそも日蓮正宗の主張、日蓮の主張は毎日拝む本尊や修行の最高のものを提示し、その本尊によって生命体として人間としてもっとも健康に導かれるように教えを遺しているので、この問題は音楽と宗教の役割分担と相互作用についての問題であって、かなり説明は難しいと思います。
それだけで別の記事を書かねばなりません。
ある著名な大学教員のキリスト教カトリックの神父さんは、信仰と音楽はまったく別ものとして考えるべきだという立場でした。
それなら無関係と考えても良いのかと言えば、演奏者がいかなる心で演奏するか(練習時の心構えも)という場合には完全に無関係とも言い難いなあと思うのです。

いずれにしても、へたくそには原因があります。
現在の先生と楽器に心から感謝しながら、名作を楽しめるようにぼちぼち確実に改善しつつある今は青春そのものかもしれません。
マチュアによい楽器は無駄なものだという他人からの批判はまったくの悪意であり、健康で文化的な人生の再出発、人生の節目そのものを迎えることができた幸福と幸運に感謝しています。
へたくそほど努力しています。
頑張らずに自然と良くなっていくシステムの流れを作るだけで良いと思います。
人任せとはまったく別の研究を併せてしながらの主体的な選択によって未来は明るいものになるに決まっています。

誰でもこの条件なら上手くなるというのと、誰でもこの条件なら下手になるというのは同じことです。
条件を整えてみんなが上手になるのがよいのですが、残念ながらどう考えても条件から不可能としか言いようがありません。
バイオリンはドカンと一発ではなく、日々一瞬一瞬じわじわ変化していくものの楽しさと恐ろしさをまざまざと感じるものです。
なにかの参考になれば幸いです。