FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

バイオリンの楽しみ 大都市に集積しがちなイタリアンオールド

f:id:FujiYama:20210530001258j:plainなぜバイオリンを弾いて楽しいのかという理由があって、聴いて楽しいところと一部重複する。

まず楽器の音色を楽しむこと。最初は発音が悪く雑音が多くてあまりキレイとは言えないが、やがて滑らかで美しい音に変化してくる。楽器ごとに音が違うので、その優秀さもさることながら、音を出しただけでもうバイオリンだなあと楽しむことはできる。

次に楽器の操作性を楽しむこと。自由にいろいろな音階やエチュードなどを弾けるようになるとそれなりに自在感を楽しめる。孫悟空の如意棒によく似ていて、自由自在に弓をコントロールしながら、左手は指板上を自在に動き回るし、音の波形を狙い通りに出すことができる。ここまでくるのは子供にとってみれば数年がかりのやや退屈で地道な作業だけれど、成人してからやろうとすると10年がかりのもはや偉業である。一般に道具を使いこなす喜びはあるけれど、バイオリンをそんな風に自在に弾けたら素晴らしいと思う人もたくさんいる。じっくり積み重ねていけば、誰でもできるようになるところ。

さらにバイオリンの音で音楽を楽しむ。操作性を覚える途中同時並行で音楽を楽しもうとするようにほとんどのレッスンは組まれているので、操作性の習得段階にある程度応じた楽曲の選択が賢明で、バイオリンの先生や経験者のアドバイスを参考にすることになる。ふつうクラシックだと時代や文化の様式を覚えたり音楽的効果を浮立たせたり時代や人間の置かれた状況を想像させたり、音楽的な内容は多岐にわたって深い理解を要するが、子供は直感的に耳から楽曲を掴んで構成することに長けており、その直観力というものも楽しみ方の原点としてとても重要な才能である。ジャズだとスタンダードを丸暗記してから我流に展開していくのだろうから、操作性が十分な段階であれば、ジャズやその他のジャンルでバイオリンを用いるのも素晴らしい楽しみになる。

弦楽器でしか表現できない音があり、バイオリンでしか表現できない音があること。

操作能力があって、音楽を正しく理解してこそ楽しめる楽曲があること。

ある程度の響きと音質があってこそ表現できる世界があること。安い音色で難曲を弾いてもあまり楽しそうではない。

おおまかに3つの楽しみがあって、ひとつでも欠けるとなかなか楽しめずに中途退学になってしまう。

楽器で音楽するときの条件として、どれかに不安があれば、補強していくことが大切だ。基礎的レパートリーを獲得した音大卒でも何十年間は勉強することがあるのだから、アマなら一生レッスン受講するのはあたりまえのお約束である。時間や労力が多少なりかかるから、アマバイオリニスト全員ができることではない。私も事情が許さない時期があって苦慮したが、とにかく前を向いて進むしかない。

積み重ねを確実にしておくと、後戻りしなくてよいので、やりがいを感じる。

集中に欠けるとか疲労が感じられるとか、無理な状況では積み重ねは不可能である。

積み重ねるから楽しいのであって、無理をすれば積み重ねを壊してしまうからご用心。

絶対不動の確実な積み重ねになるバイオリンの取組をお勧めしたい。

最近ネットでドルフィンの貸与期間が終了したというニュースを見た。最高の音色、発音、響きと別れなければならなかった諏訪内さんは、それなりに辛いだろうと思うが、若い時に積み上げを一気にやってしまった英才ですら、多くのファンが言うとおり、技術の衰えを露呈してしまうものなのだなと感慨深い。もちろん英才は英才であって次のガルネリの音色を聴く機会が楽しみだ。諏訪内さんはもともと線の細い方なので、ガルネリにすればその部分を補って表現が変わってよい表現ができるようになる余地がある。ストラディバリとの相性は完全ではなかったようだ。しかしハイフェッツのあとを受け持った重圧というのもすごいだろうなと思う。あの偉人なみのバイオリニストの次にドルフィンを預かって、それなりの成果を期待される重圧だ。誰もが素晴らしい別格のストラディバリというドルフィンを演奏する根性は賞賛されるべきものかもしれない。私も音大を卒業していたならドルフィンが弾きたかった一人だが、ハイフェッツと同じようにガルネリのよいものも別にもう一台欲しかったので、諏訪内さんはかなり恵まれたバイオリニストだと思う。

チャイコフスキーコンクールの時の冴えわたる技術を回復することは難しいかもしれないが、楽器演奏の極意を蘇生させるための具体的方策を実際に見出すことができるように願っている。私個人の確実な積み上げとは当然にまた違った方策が必要なのだが、誰にとっても宗旨替えくらいの根本的な自己変革が必要になる話なので、あまり期待はできないのが残念である。結局は恵まれた教育と恵まれた環境で華やかな経歴の平凡なソリストとして終わってしまう運命になる恐れが強い。

自分の演奏内容をよくすることも楽しみだが、きちんとした音大卒のキャリアのしっかりした人達の変遷を辿ってその演奏を楽しむというのもまた、とても味わい深いバイオリンの楽しみだ。あるレッスンで目の前に諏訪内さんが立ち、本物のドルフィンを3メートルくらいの目の前で見、あのホールや別のホールで諏訪内さんの演奏を聴き、その一コマ一コマはなんだか永遠に残るような気すらしてくる。楽器のもつ高貴さのオーラが視覚を名画に変えてしまう。音の澄み渡り方、鳴り響き方が超絶的な宇宙観に至る不可思議境を連想させる。もちろん誰でも美人になれるわけではない。

あまりに美しい楽器を使い続けると、どれほど冷静であってもバイオリニストは酔いしれてしまい、操作性を維持し続けることが難しくなる事例がかなりあるので、名器を使う方方はくれぐれも御用心あれ。