FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

天照が原爆を呼んだ

藪から棒になんなんだか、まったく意味のわからない方がほとんどであろう。
これはひとつの解釈、考え方にすぎない。
別に信じられない人たちに無理に信じなさいなんて言うつもりもない。

天照は軍神として有名である。その昔の由来は結構みなさん知っている。
しかし、日蓮の神天上法門を知っているのは日蓮正宗の人たちくらいである。
天照は法華守護の神でもあり、その天照は他の天と同じように、今の日本にはいない。
今というのは仏教でいう末法時代に入ってからであり、もう八百年以上以前からである。
つまり日本は天照が守護してくれると思っている人たちは、まったく事態が逆になっていることを認識していない。
しかし神天上法門を仮定して考えてみると歴史的事実に説明がつくから驚きである。
鎌倉時代に蒙古が攻めてきた時に神風が吹いたという通説がある。ただの負け惜しみである。
実際に大宰府あたりまで攻め込まれ、ほどなくして幕府は滅亡する。鎌倉武士の弱さだけが露呈したとも言える。あまりに悲惨な敗戦である。大敗をして神風なんてよく言えたものである。折しも日蓮を死刑にしようとし島流しの刑に処してからわずかの年月しかたっていない。
豊臣軍も朝鮮半島を早々に撤退した。
浦賀のペリー来航と開国も似たようなものである。圧倒的軍事力を目の前に降参するしかなかった。
一体どこに天照がいたのか?天上である。日本国領土内にはいないのである。
そして極めつけがあの広島長崎の新型爆弾の閃光である。まさに天を照らす爆弾であった。
近年尖閣諸島周辺がざわついている。漁師がまともに漁できない。
なぜ日蓮は神天上法門を明言したのかと言えば、ひとつには日本国政府(鎌倉幕府)が法華経を目の敵にしていたことからであると考えられる。国全体として法華を第一に尊重することはないことを明らかにし、蒙古襲来の予言が的中してから日蓮を目の敵にするのをやめて認めだしてもおだてあげればよいという態度であったことは重大だ。
鎌倉時代の武士や江戸幕府の要人など日蓮正宗を信仰する人たちはたしかに存在してきているが、国全体としては、どうしても神道キリスト教儒教などを採用し、法華経を認めない方針を変えようとはしない。
日蓮(日蓮正宗)を目の敵にして、法華守護の神とは到底言えない。
本来の古代天照は法華経を守護したので強かった。しかし末法の今の天照はひたすら弱い。世界からこけにされるちんけな微弱勢力である。
天に上っていた天照は法華経を守護するためには原爆を落とさせることも辞さなかったわけである。
折しも日本の皇室で日蓮正宗が禁止された数十年後である。宮内省の意向で大正天皇皇后が日蓮正宗を信仰することに圧力がかかったのである。
日蓮正宗法華経というのは、日蓮直伝の大石寺にまします大御本尊と御法主猊下のことである。これをきちんと皆が認めるようになれば、下らない差別や緊縮財政などがなくなって日本国は繁栄していく。反対にそんなもの知らないという政府政権であり、国民もほとんどそんなもの知らないという状況では、よい治世は訪れない。共生社会など綺麗事だ。
伊勢神宮を参っても、そこには天照はいない。
天上高く舞い上がって、帰ってくることもない。中国軍が侵攻してきたらひとたまりもない状況が深まっている。
天照がいない日本は、法華経をあべこべに攻撃して緊縮財政を推し進め、滅亡の坂を転がり落ちている。
日本国民が悲惨な敗戦よりもさらに悲惨な状況が目の前にある。
真に全員参加型の必要な予算をきちんと計上する国になることこそ、日蓮を敬い法華守護することにつながる。その時にようやく天照は日本を守護するようになる。
立正安国論は決して鎌倉時代だけの書ではない。
国が滅びるのが先か日蓮正宗を正しく立てることができるか?
原爆も決して昔のことではない。他人事でもない。
この国の政府はf:id:FujiYama:20210412233809j:plain天照のいない伊勢神宮を未だに国教として崇めている。
危機的状況は続いている。

成功者池田大作の失態

日蓮正宗創価学会というありえない言葉がかつて存在した。
日蓮正宗の歴史を紐解くと、信徒団体がいくつも存在して、教えに反すると破門になり、あとは身勝手に別の宗教団体になるということが繰り返されてきた。創価学会はその一団体に過ぎない。
しかし創価なりに野望が大きかったため、信徒組織づくりまで念入りに日蓮正宗から盗みとった。すぐには崩壊しないように一応なった。
なにしろ七百年から続く信徒団体から組織づくりを習ったわけである。
日蓮正宗法主は現在68世である。そのなかでも最初の三人を三祖として特に重視しているのを意識して創価の三代会長が特別であり、特に池田大作日蓮の生まれ変わりだというのが創価学会内部の通説である。
常識的にありえないが、彼らは本気でそう信じているのだ。
池田の野望であり病状でもある天下取りのためのインチキ理論である。よくある教祖さまは聖人の生まれ変わりというあまりに下らないバッドジョークである。
池田が日蓮ではないことを証明する文献がある。まず身延相承書と池上相承書がある。都合の悪いものはないことにしたい。そこで真筆の所在がわからないものは存在しなかったことにしようとなる。しかし学問的にその存在は証明されている。
さらに百六箇抄の最後の部分の記述は明確である。破門団体みんな同じだが、日興嫡嫡の法主につかなければならないとあるものをどう説明するのだか。嫡嫡の正本尊を本尊としなさいともある。これは日蓮正宗大石寺の大御本尊を絶対に外してはならないという意味もある。
もし池田が本当に日蓮ならば、法主につかなければならないから日蓮正宗信徒にしてくれと泣きつくはずである。信徒除名になって恨んでいるだけだ。また原田会長が大御本尊を本尊にしないという発言をしたことを許すはずもない。
創価学会はまた僧侶の腐敗堕落を問題にしているが、一般的な僧侶のなかで日蓮正宗は比較的質素な生活をしている。供養の額に上限があり、五万円までしか受け取らない。つまりイメージダウンを狙ったネガキャンである。
そもそも日蓮は仏教の基本として大事にするべきものとして三宝を強調している。仏と法と僧を大事にしろと。つまり僧侶のいない仏教というのはあり得ず、インチキ仏教だということだ。日蓮は新池御書で、皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなすと書いて、仏や法が僧侶とともに存在することを明記してある。三宝について残っているものだけで38回の記述がある。在家団体は独立して存在できない。必ず僧侶のもとで仏教を学ぶ必要がある。勝手にやっても単なる独善に陥る。大衆のためと公明党を作ったが見事に独りよがりになってしまった。葬儀もお経を満足に唱えられない学会員がやるので成仏どころではない。
もうひとつお題目の力を過信したことが学会衰退を早めている。本尊は無断コピーであり、拝めば拝むほどおかしくなる代物。本物の日蓮正宗の本尊は唱えると生命が浄化され功徳という実感のある力を感じさせる優れものだ。なにしろ本物の仏、本物の日蓮、本物の法主が書いた本尊だからである。創価の偽物では実感として恐怖の本尊である。拝めば拝むほど悪いことが起こる。ほとんど祟りの域である。
宗教儀礼や宗教儀式がまともにできないのだから宗教法人として成立していない。
ただ公明党から仕事を貰えないと功徳がないわけである。
日蓮はまた唱える題目の力が限定的だと教えている。題目を悪用する沢山の宗教ができたが、確かに力がないわけではない。間違いなく祟るからご用心。正しい本尊に唱えてこそきちんとした功徳があるものを、コピーで勝手に偽作を製作して学会員の皆さんがおかしくなっていく現実がある。
つまり本尊を無断で模刻してはならないと日蓮正宗が池田を処分したのは、日蓮の教えに従ったためであり正当な理由がある処断である。
これを創価プロパガンダで権威の僧侶による庶民いじめであると主張する。なんと僧侶はひどいのだと。
あまりの無反省ぶりに辟易する話だ。
日蓮正宗はただ日蓮の教えによって動いているだけである。
日蓮正宗では庶民をいじめる必要などない。
まだいくらでも創価日蓮の教えに反するところを指摘することはできる。
しかし、問題は公明党が政権に参与して日本国が貧しく危機的な状況に陥ったことである。たんなる宗教の間違いでは終わらない。
明らかに日本人が貧しくなり不幸な人が増えたにもかかわらず、政権はなにも間違ってはいないとおおみえをきっている。
なぜ日蓮正宗では庶民をいじめる必要がないと書いたかといえば、本尊が本物なので日蓮正宗は他人の幸福を願うことができるからだ。逆に言えば、創価は日本人をいじめ殺すのが本懐だということだ。無断コピーでは心にゆとりは生まれない。拝めば祟るでは他人の幸福なんか知ったことではない。
創価は一時期信者数が827万世帯一千万人と急増しているが、その時期までは日蓮正宗大石寺に参詣していることがポイントである。日顕上人の代に公然と日顕上人を批判しだして頭打ちになった時期からは大石寺参詣を禁じている。そしてさらに得票数900万台が600万台まで急減したころ、創価の勤行要典から大御本尊の文字が消えた。創価として正式に仏を本尊にしないことを決めたわけだ。
池田が日蓮というのはイカレた会員くらいしか騙されない。ありえない。
もし本人だと言うなら御本尊を書いてみろ。まともにf:id:FujiYama:20210410025237j:plain書けないじゃないか。公開してほしいものだ。
そして素晴らしいことにそのイカレ会員が激減している。
日蓮正宗創価学会の時代からインチキ宗教と言われているが、まさにインチキ。みる人はよくみているものだ。
衰退していく破門された宗教団体にはもはやなんの魅力もない。へんな宗教はやりたくないし、イカサマは絶対に許してはならない。
ここまで日本を衰退させたのは公明党のそそのかしあっての自民党政府の横暴によるのだが、池田はその責任をとるつもりなど毛頭ない。
そんなまっとうなことより自分が日蓮だという思い上がった思い込みに浸るためには、むしろ日本が滅亡してくれたほうが都合がよいのである。
一度ある創価学会の地方本部の本尊を拝んでみたら狂気の世界で慄然としたことがある。迷いのない狂気ほど恐ろしいものはない。
やはり本物の日蓮正宗の本尊は安心感があって全然別物、格別なゆとりを持っている。宇宙大の威厳と威徳を備えている。創価の題目は単なるヤクチュウで危険極まりない。
なにが危ないかと言えば、創価にはおかしいという自覚がまったく感じられないところである。とても多くの人たちが地獄になり、ごく一握りの人たちが利権に群がるおぞましいカルト創価はこの地球上のブラックホールになっている。庶民の生活をひたすら貧困層に落とすこと、国際グローバル勢力に賄賂を贈ることだけがその行動規範である。綺麗事を絵空事にして本性は地獄の黒魔道師なのである。
たくさんの人たちに見抜かれても平然として正義と開き直るあたり、ただの悪党である。騙される人たちがいつの時代にも一定数存在するが、本当にたちが悪いのは日蓮正宗をかたらうことである。自分たちはもともと日蓮正宗であるから信頼されるのだと。
破門とか信徒除名とかの意味が理解できていないし、逆恨みや開き直りにもほどがあろう。
あまりに悪質なので、私は顕正会公明党を見かけると基本的に無視する。

個人と社会経済の関係(立正安国)

みんな健康なら働いて自活するのが当たり前。自分はうまくいっているから幸せだと安住していると危ない。
一昔前はみんな助け合いの感覚があり、会社に入ればあとは安泰なケースが多く、不運にもうまくいかなくても第二の挑戦くらいはなんとかなっていた。
勤めあげれば年金暮らしには余裕があった。私の祖父は年金が月額三十万円あり、昭和には裕福にゴルフを楽しんでいたものだ。
今や年金暮らしが厳しい物価になった。子育て世代の消費に企業があてこんで値上げが続く。しかし給与は上がらない。
節約し工夫して家計をやりくりするが、みなさん足りないようになっている。
個人がどれだけ努力しても無理な社会経済システムになっている。
先進国だった頃は個人が努力すればなんとでもなった。中卒高卒で家が建つライフプランもいくらでもあった。
雲行きが変わった90年代から自民公明政権になってから貧困化が極端なので、最近では資本に国民が対抗する必要性が見えてきた。
今の自民党の二階と公明党親中派で日本人を貧困層に叩き落としてきたのである。
自民党はもともと資本家や大企業のためだけに政治を悪用してきたが、最近では大企業の社員までゆとりがなくなった。
公明党はむかしから生命力があれば残飯でも生きていけると貧困化に賛同している。
そもそも支持母体の創価学会日蓮の教えに反して日蓮正宗から離れた悪徳極悪宗教である。
今の貧困化した日本を作ったのはそんな彼らの感覚である。彼らは別に貧困がつらくない。日本人なんて株主や資産家とカルト創価だけが残ればよいと考えている。
自民公明政権は今のめちゃくちゃな日本をうまくいっていると感じている。
藪から棒のようだが、日蓮正宗の本尊は日蓮から直接代々伝わっているが、創価はいわゆる仏様を不要であると断言している。自民党の支持宗教の日蓮宗身延派も日蓮正宗の本尊を否定している。
日本の政治が国民の幸福のために動かなくなった原因はこの宗教の問題が一番大きい。
正しい本尊、仏様はひとつしかない。
これを否定して仏教だからなんでも同じだと考える無節操な輩が政治をやると今の日本の有り様があるわけだ。
むかしの国全体が繁栄していた頃の自民党議員には日蓮正宗に理解がある有力議員もいて、仏が唯一のものであると知っていたからむちゃくちゃなことは起こりにくかったわけである。
戦争のあと悲惨な貧困からみんなで手を取り合った時にも日蓮正宗は本尊について唯一無二の絶対的なものであると断言している。
創価をそれを悪用して結局日蓮正宗に逆らって野望を果たしているだけである。
創価日蓮正宗をこらしめてあざけってやれば満足するという私怨が見え見えな宗教だ。
つまり国民のことなどどうでもよい。信者が成仏できなくてもどうでもよい。
その本性を現したのが自民公明政権だ。
その昔は仏様を拝んでいたから国民の幸福のために公明党を作ったのだと言っていた。
今は仏様を拝まないと公言するようになっている。本尊は刷れば同じだと言っている。公明党に期待するのは当たり前だが間違っている。
いずれにしても、もはや日本経済は極度に衰退させられて危険である。
個人の努力なんかまったく役に立たないレベルになっている。ひたすらカネを拝むように財政、予算を組んでいるが、カネを拝んでもなにも産まれない。
あなたはただ生存しているだけで幸せだと言われたことがないだろうか?ふつうに食べられることに感謝しなさいとか。
そんなウソやデタラメを信じてはいけない。
現実の幸福には収入が必要であり、その収入は国家財政の運営によって決まる。会社が決めていると思っている方は、きちんと経済を勉強していない。
意図的に売上と収入を抑制されてカネを拝まされていることに気が付かないと手遅れになる。
ユダヤとキリストにおべっかを使わなければならないと神社の深謀遠慮は一億総奴隷化計画の実現にあり、具体的に現実化している。
馬鹿が神社と創価を拝んで奴隷を志願している。それが今の日本の有り様の真実である。
日本人は正しい日蓮正宗をきちんと認め、学び、国を繁栄させていくようにしなければならない。
さもなくばさらに日本国は貧しく危ない国になってカネなど何の役にも立たない事態にたち至るであろう。明日の命もわからぬ小動物の浅はかな知恵かしこげに愚かしいもの。f:id:FujiYama:20210409233451j:plain

踏みにじられる大和魂

f:id:FujiYama:20210408222459j:plain戦争に負けてからずいぶん経つ。戦争経験を語る人たちが高齢化して少なくなってきた。
深い反省をしながら、しかし近年日本という国がプライドを捨ててしまったのかと虚しくなることがある。
今も、日本の国益とか国防とか言おうものなら袋叩きである。
少し前はやり手の田中角栄がいて積極財政で国全体が豊かになり国益は一応守られていた。
しかし多少の経済的繁栄におごって今や尖閣諸島という領土問題が危機的になっている。
北方領土もロシアの好き放題になった。
奇妙な平和的外交とやらが国益を放棄して日本は自滅している。
日本が経済的に成り立ってゆく基礎が忘却されている。人材育成をしなくなり、インフラ整備すらしなくなった。
首相官邸では株価だけを凝視して、国益も国民も置きざりに、一体だれがこの国の未来を考えられるだろうか?
日本のことは日本人しか考えられない。
日本人が思考して意思表示しなければならない。
この国のエリートたちは自分たちの利益と富裕層と大企業のためにしか仕事をしない。
申し訳程度に貧困対策しているに過ぎない。
日本人の給与所得が韓国人を下回ったそうである。
日本の政治経済は腐りきっている。
私だけではないが日本の繁栄を願って意見を表明している人たちがいる。
しかし現実の上に大和魂にはもはや誰も耳を傾けない。
日本は瀕死の重症である。

A列車で行こう9と新作の観光バージョン

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9が発売されたのが2010年のことで、それからバージョンアップされてファイナルがでたのが2018年のこと。それから3年して新作が出た。YouTubeで紹介動画があるから見てみると画が安っぽくなりまるで以前のA列車に逆戻りしたようにすら見える。それでも資材、水産物、木材などの販売契約があったり違約金支払いがあったり行政とのやりとりや補助金などエンターテイメント性が加味されたのが嬉しい。
しかし細かいゲームでよくめんどくさいことをやるなあ、よほど暇でもやらんだろうと思いお蔵入りになっていたA列車で行こう9ファイナルが再び私を誘惑している。
たしかに9の完成度はもうひとつかもしれぬ。
それでも十分楽しめるのではと思い直した

シムシティをやっている感じである。
このゲームの問題は株でもうければ努力しなくても結構らくちんだというところか。こんなに簡単に株で儲かるなら誰も苦労しない。一回の売買で一千億はもうかる。
ちまちま電車のダイヤを設定しなくてももうかる。ダイヤはアタマを使うのでできれば設定したくないが、うまく設定できると楽しい。複雑なものは最初からやらない。
建物の種類はほどほどあるのだが、欲に際限はなくてもっとたくさんの建物が欲しい。
電車は古いものを使わないので、余計なデータを削除できればいいと思う。蒸気機関車の機回しなんていらない。
空港はもう少しリアルなものがよいし、別バージョンがほしい。ヘリポートも屋上に設置できたらよい。
最近NHKの女子アナが街作りの仕事に転職すると話題だが、鉄道、地下鉄、バス、路面電車、空港、ヘリポート、港など総合的な交通との兼ね合いが面白いわけだから、なんとなくだが男の子ぽく感じた。交通インフラの会社ではないから結局中途半端にならないか心配である。全員徒歩圏内の街を作るしかない。

子育ての要所と幸福の実現

低学歴&低収入でも「東大に受かる子」を育てる親が毎日していること4つ
金持ちママの体験談は役に立たない
PRESIDENT Online
2021/03/29 9:00

黒田 尚子
ファイナンシャルプランナー

この記事を読んでみて思ったこと。感想の下に記事のコピーを貼っておいたのでお時間があれば参考までに。
こんな見方考え方ができれば子育てはだいたいうまくいくだろう。とてもバランスのとれた記事だなと思った。見方考え方だけではなく、子供との接し方が大切だ。
子供は学歴のために産まれてきたわけではなく、幸福になるために存在しており、自己決定こそ幸福の根本だ。子供が自己決定を否定されることが死につながる場合もある。極端な話、痛みを訴えて否定されれば重病のまま死んでしまう。
子供は人格のある個体であり、親がその意思実現をサポートしてやるのが道理にかなう。意思を踏みにじられた子供は成長することができずに、生涯苦しむことも多い。
そもそも幸福は学歴や資格だけでは得られない。職業がよくても自己決定ができずに自殺という最終自己決定しか選べない人もいるくらいだ。
収入だけで結婚したり損得で子育てするような親が多いのだから、黒田氏のようなこういったバランスのとれた幸福感を考えられる親御さんが増えるとみんなが豊かな地域社会になっていくだろうと思った。
記事に出てくるように教育ママや教育虐待する母親たちは狂っている或いはなにか乗り移っているとしか思えない。あきらかにおかしい。
きっと日蓮正宗僧俗の指摘を否定して浅薄に自分は幸福であると世間的に吹聴しているからだと思う。みんな自分は幸せだと無理をしてでも言いたいものなのだ。
認めたくはないが実際は不幸なので無理をして子育てで子供に無理を押し付けることになり、拝金主義とブランド主義に陥ってさらに幸福とは別の優越感だけを追い求めることがあまりに多いように見える。劣等感は恨みに転ずる。
しかし幸福感は個人だけでは得られず共有するものだから、自己決定できる人たちの共同体としてしか感じられないものだ。孤独を体験してみないと幸福は個人だけのものだと思い違いをしてしまうことも多い。
唯一自己決定しようがないものは仏教の正統の日蓮正宗の信心だが、それ以外は自由意思を尊重して老若男女みんなで幸福になっていくのが賢明だと思う。
教育虐待の果てに母親を殺害した娘さんの事件話をつい先日読んで感情移入したが、このフィナンシャルプランナーの記事を読んでなるほど科学的に狂気は証明されるのだなと思った。
親が狂っている場合には子供は悲惨だし将来的に幸福になりようもない。成人するまでにかなりの部分は決まっている。あとあと親子とも不幸だ。
幸福の要所は精神衛生や思想的なものを間違えないことなのである。うまくいっているようで人生や人間をわかったつもりになると大きな間違いに気が付かない。
その意味から日蓮正宗のことも敢えて書いておくことにした。

以下記事コピー
親がどんな教育をすれば子供の学力は上がるのか。教育費を含む家計相談を受けるファイナンシャルプランナーの黒田尚子さんは「子供を東大に入れた母親の話を鵜呑みするのではなく、文科省などの大規模な調査・分析を各家庭の教育方針を立てる参考にするといい。ある調査では、親が低学歴&収入でも子供が高い学力を持つケースが報告されており、そうした家庭の習慣を実践してもいい」と指摘する——。
「子供を東大に入れた」ママの話が全然役立たないワケ
大学受験シーズンが終わった。

近年の大学受験は、浪人生が減少し、「安定・地元志向」が強まっていると言われるが、コロナ禍による親の経済状況も反映してか、今年はより一層その傾向が強まった感がある。

それは、多くの私立大学における一般選抜の志願者が減少したことからもわかる。日本大学早稲田大学、法政大学などは前年よりも1割以上も下回ったという。

とはいえ、筆者がファイナンシャル・プランナー(FP)として、家計相談を受けていると、私立の中学・高校・大学への進学など、親の子供に対する教育費のかけ方・考え方が、コロナ禍前とあまり変わらないように思える。

とくに、まだ就学前の子供のいる家庭の場合、進路希望を確認すると、「中学校から大学までオール私立で試算してください」と言われることが少なくない。

先行き不透明だからこそ、子供の学力や適性が見えなくても、親としては、最も費用がかかるケースを想定して準備を進めたいということなのだろう。

早めの準備は大切なことだが、使えるお金は有限である。その他の資金ニーズともバランスを取る必要がある。子供に最適な教育機会を与えるための費用投下を効率的に行うには、「情報」が欠かせない。そして最も肝心なのは、その情報がエビデンス(科学的根拠)に基づくものなのかということだ。
子供の教育に対する「母親の狂気」を垣間見た瞬間
では、何がエビデンスのある情報なのか。大学受験であれば、予備校などが分析した情報や勉強方法があるが、子供がまだ小さい場合はママ友からの口コミが主要な情報源となることがある。だが、これは要取扱注意だ。

コロナ禍以前の週末、東京・青山にあるイタリアンレストランで仕事の打ち合わせを兼ねてランチをしていた時のこと。筆者のすぐ後ろのテーブル席を占めていたのは、就学前の子供連れのママ友のグループだった。テーブルが近く、グループの中で演説をふるうママの声がどんどん大きくなってくるので、話は丸聞こえだ。

話題は、子どもの教育について。

曰く、子供には小さい頃から、名の通った英会話教室やバレエ、ピアノ、幼児教室に入れるべき。私立のレベルの高い学校に進学させて環境を整えてやるべき。そのためには、時間もお金もかかるが、子供が大事なら、これらを決して惜しんではならない……。

といったことを自信たっぷりに熱く語っていた。

そのママたちの顔を見ることができる位置に座っていた打ち合わせ相手は、「何かが乗り移ったとしか思えない」と苦笑いしていた。それほど、鬼気迫るものだったのだ(後ろの席なので、筆者には見えなかったのが残念で仕方がない)。

中学受験を題材にした人気漫画『二月の勝者 絶対合格の教室』(小学館)の第1話で、カリスマ塾講師が教え子たちに「君達が合格できたのは、父親の『経済力』そして、母親の『狂気』」と言い放つシーンがあったが、まさにそれを彷彿とさせる母の姿だった。
「子供を全員東大に入れたなどという話はとても一般的でない」
筆者が気になったのは、このイタリアンのテーブルを囲む教育ママたちの言葉の端々に、「子供を麻布から東大に進学させた●●さんの話では……」など、彼女たちが他人・知人から聞いた(又聞き)体験談や成功事例が頻繁に登場することだった。

子供の教育に関しては、こういった特定の個人の体験談がテレビや雑誌などのメディアで紹介されているのをよく目にする。多くのママたちは直接聞く、こうした「ここだけの話」のような情報に多大な影響を受ける。

しかし、子供の学力や成果は、本人の能力、性格、努力、家庭や友人などの成育環境などさまざまな要因が絡み合って生み出されるものだ。

子供を有名大学に進学させたい親が、実際に進学させた親の体験談を聞いて実践したとしても、同じようにうまくいくとは考えにくい。教育経済学者の中室牧子氏は、著書『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の中でこう述べている。

〈子どもを全員東大に入れたなどという話はとても一般的とはいえません。むしろ「例外中の例外」なのです。しかし、教育という分野においては、そういう例外的な個人の体験談ほど、注目されがちであるようにも思えます。そもそも特定の個人の成功体験を一般化することはとても難しいことです。ましてや、「例外中の例外」である個人の逸話を一般化することはさらに難しい。それにもかかわらず、そうした逸話をやみくもに信じて同じことをしてしまっては、かえって子どもを成功から遠ざけてしまうのではないでしょうか〉

もちろん、このような成功体験を聞きたい人の多くは、同じようにすれば自分の子供が成功すると信じているわけではなく、成功のエッセンス(本質)を知りたくて、情報を求めているところもあるだろう。

ただ、中室氏も同著で述べている通り、「どのような教育が成功する子どもを育てるのか」という問いに対しては、その原因と結果、すなわち因果関係が明らかなものが何かを知ることの方が重要である。

その意味で、前述したイタリアンママたちの「他人の体験談トーク」には決定的に欠けていることがある。それは「子供の学力にもっとも大きな影響を与える要因」となる親の「年収と学歴」に触れていないことだ。
親の年収と学歴が高い家庭の子どもほど学力が高い
親の「年収と学歴」に関しては、文部科学省が毎年実施している小6と中3と、その保護者の一部を対象にした「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」がよく知られている。

過去に「子どもの学力は親の年収や母親の学歴で決まる」などと大きく報道されたので、ご存じの方も多いだろう。

直近の2017年度調査でも、「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」において、世帯収入と子供の学力は、「世帯収入が高いほど子どもの学力が高く」「保護者の最終学歴も、学歴が高いほど子どもの学力が高い」といった傾向がみられる。

また、同調査では、家庭の社会経済的背景として、家庭所得、父親の学歴、母親の学歴という3つの変数を合成した指標(SES:Socio-Economic Status)を4段階にわけて分析しているが、SESが高いほど、子どもの学力が高いことも明らかになっている。
東大の学生の親の6割は世帯年収950万円以上
さらにもうひとつ。親の年収について、前掲の文科省のデータ以上にシビアな調査結果を紹介しよう。

東京大学では、昭和25年から「学生生活実態調査」を実施している(東大紛争のあった昭和43年を除く)。この調査では、東大生の親の職業や世帯年収が公表されており、最新版では「父」の職業は、多い順に「管理的職業」42.3%、「専門的、技術的職業」23.0%、「教育的職業」8.1%となっている。

一方、母の職業は「無職」34.2%、「事務」19.8%、「教育的職業」8.1%と、昨今の共働き世帯の割合が7割近い状況を踏まえると、専業主婦がかなり多い点は興味深い。

そして、世帯年収については、950万円以上の割合が6割を超える。その内訳は、「950万円以上1050万円未満」21.3%、「1050万円以上1250万円未満」11.2%、「1250万円以上1550万円未満」12.2%、「1550万円以上」16.1%でとなっており、前回調査と比較すると、「1550万円以上」が若干増えている形だ。

この結果を見る限り、子供に対して、高収入な父親は「お金」、無職の母親は「時間」をかけてこそ、わが子を東大に進学させることができると言えるかもしれない。
低年収&低学歴の親も子どもの教育を諦める必要はない
では、年収も学歴も低い親は、子どもの教育を諦めるしかないのだろうか。

前掲の「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」では、その点についても考察している。実はSESが低くても、その不利な環境を克服し、高い学力を有する子供は一定数存在するのだ。

ただ、SESが高い子どもに比べて、学力のばらつきが大きいという特徴がある。同調査では、例として、以下のような家庭環境や保護者の行動、意識の在り方にあてはまる子どもの学力が高いという傾向を指摘している。

「子供が決まった起きる時刻に起きるよう(起こすよう)にしている」
「毎日子供に朝食を食べさせている」
「自分でできることは自分でさせている」
「子供のプライバシーを尊重している」

規則性のある生活でメリハリをつける、ケジメをつける。そして、子供の自主性を重んじる。この他にも、同調査では、さまざまな項目が挙げられているが、これらの家庭環境や保護者の行動・意識は、決して特別なものではない。

ただ、ポイントとなるのは、意識して子供に接していることを継続しているという点ではないだろうか。もし、SESが低いのであれば、このような家庭環境づくりを心がけ徹底することで、ばらつきを低減させることは不可能ではないだろう。

いずれにせよ、どんなに高学歴で高年収の親であっても、子どもの教育に無関心であれば、子供の学力や成長が大きく伸びることはない。

母親の学歴が子供の学力に影響が大きいのも、子供と接する時間が長い母親の価値観や成功体験が子供の教育に反映されやすいからであって、遺伝によって学力が担保されるわけではないはずだ。

最終的に言えるのは、親の年収や学歴が高いほうがレベルの高い教育を受けさせられる環境を準備しやすい。その点では子供の学力に良い影響を与えるのは間違いないが、それがすべてと言い切ることはできない。親の学歴や収入がどうあれ、子供の学力を押し上げることは不可能ではないだろう。
「学歴」よりも「自己決定」が幸福度に大きく寄与する
そもそも親が子供に学歴を求めるのは、幸せな人生を送ってほしいという親心からである。もちろん、学歴が高ければ幸福になれるとは限らない。しかし学歴が幸福度を上げる要因のひとつであることは確かだ。

そして、学歴と収入の関係も密接で、学歴が高ければ相対的に年収も高くなる。生きていくためにはお金が必要であり、おおむね年収が高いほうが幸福度も高い。

教育熱心な親が、過度な期待を子どもにかけ、思い通りの結果が出なければ責め立てる、といった「教育虐待」の問題を最近よく目にするようになった。親が子供にできるだけ高い学歴を望むのは、子どものことを思ってこそだが、子供自身も、それを望んでいるのかどうかを見極める冷静さも必要だろう。

ここまでは子供の学力アップに関するエビデンスについて考察したが、最後に、学歴よりも幸福度を上げるものに関する調査ご紹介しよう。

神戸大学の西村和雄特命教授と同志社大学経済学研究科の八木匡教授が、全国の20歳以上70歳未満の男女を対象に行った「生活環境と幸福感に関するインターネット調査」(2018年2月8日~2018年2月13日)である。

この調査では、所得・学歴・自己決定・健康・人間関係の5つについて幸福感と相関するかについて分析を行った。それによると幸福感に与える影響力がもっとも大きかったのが健康だった。次いで、人間関係。その後が自己決定で、所得や学歴はそれらを下回った。所得や学歴が高いことよりも、自己決定した人生であることが幸福度に直結するということだ。
ちなみに、自己決定度を評価するにあたっては、「中学から高校への進学」、「高校から大学への進学」、「初めての就職」について、自分の意思で進学する大学や就職する企業を決めたか否かを尋ねている。

親の敷いたレールではなく、自分自身で選んだ進路なら、努力を厭わない人も多い。達成感や充実感も高くなる上、たとえ、その結果が芳しいものでなかったとしても、選択とその結果が、すべてが自分に帰着すると思えば、責任感は一層増すはずだ。

少子化で、一人の子供にかける親の愛情とお金が高止まりしている状況を目の当たりにしているFPとして、そして一人の親として、「何が何でも東大へ」といった親のエゴや価値観を子供に押しつけるのではなく、子供自身が自分の個性や考えをもとに人生のターニングポイントで取捨選択・決定して進路を決め、親はそれを見守る姿勢こそが重要なのではないかと思う。

貧乏人は死ね

ここ二三十年、日本のGDPは横ばいから下落し、実質賃金は明らかに下落した。
夢も希望もない庶民はまともな家庭を持つことは不可能になった。
まじめに勉強すれば良い待遇を受けられたのも過去の話、優良企業ですら待遇をどんどん下げた。
いわんや一般人においておや。
正規雇用、派遣が横行して今度のコロナではずいぶん路頭に迷った人がいるという。
家賃も支払えなくなったのだ。

公共投資をまだしたくない政府。
地方に予算をだしたくない政府。
研究費、技術開発費もだしたくない。
教育費もだしたくない。
株主と富裕層だけが人間であり、一般の日本人は奴隷である。
働きたくないならどうぞ死んでください。
仕事がないなら生活保護があるでしょう。
いやなら別に構いません。
外国人労働者がいくらでもいます。

こんな日本に変えてしまったのは政府もマスコミもみんなエリートたちである。
そして自民公明に投票した浮かれたキチガイどもである。
それを見過ごした日本人たちは反省して、自民公明にはっきりと見切りをつけなければならないと思う。