FujiYama’s blog

日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

天照が原爆を呼んだ

藪から棒になんなんだか、まったく意味のわからない方がほとんどであろう。
これはひとつの解釈、考え方にすぎない。
別に信じられない人たちに無理に信じなさいなんて言うつもりもない。

天照は軍神として有名である。その昔の由来は結構みなさん知っている。
しかし、日蓮の神天上法門を知っているのは日蓮正宗の人たちくらいである。
天照は法華守護の神でもあり、その天照は他の天と同じように、今の日本にはいない。
今というのは仏教でいう末法時代に入ってからであり、もう八百年以上以前からである。
つまり日本は天照が守護してくれると思っている人たちは、まったく事態が逆になっていることを認識していない。
しかし神天上法門を仮定して考えてみると歴史的事実に説明がつくから驚きである。
鎌倉時代に蒙古が攻めてきた時に神風が吹いたという通説がある。ただの負け惜しみである。
実際に大宰府あたりまで攻め込まれ、ほどなくして幕府は滅亡する。鎌倉武士の弱さだけが露呈したとも言える。あまりに悲惨な敗戦である。大敗をして神風なんてよく言えたものである。折しも日蓮を死刑にしようとし島流しの刑に処してからわずかの年月しかたっていない。
豊臣軍も朝鮮半島を早々に撤退した。
浦賀のペリー来航と開国も似たようなものである。圧倒的軍事力を目の前に降参するしかなかった。
一体どこに天照がいたのか?天上である。日本国領土内にはいないのである。
そして極めつけがあの広島長崎の新型爆弾の閃光である。まさに天を照らす爆弾であった。
近年尖閣諸島周辺がざわついている。漁師がまともに漁できない。
なぜ日蓮は神天上法門を明言したのかと言えば、ひとつには日本国政府(鎌倉幕府)が法華経を目の敵にしていたことからであると考えられる。国全体として法華を第一に尊重することはないことを明らかにし、蒙古襲来の予言が的中してから日蓮を目の敵にするのをやめて認めだしてもおだてあげればよいという態度であったことは重大だ。
鎌倉時代の武士や江戸幕府の要人など日蓮正宗を信仰する人たちはたしかに存在してきているが、国全体としては、どうしても神道キリスト教儒教などを採用し、法華経を認めない方針を変えようとはしない。
日蓮(日蓮正宗)を目の敵にして、法華守護の神とは到底言えない。
本来の古代天照は法華経を守護したので強かった。しかし末法の今の天照はひたすら弱い。世界からこけにされるちんけな微弱勢力である。
天に上っていた天照は法華経を守護するためには原爆を落とさせることも辞さなかったわけである。
折しも日本の皇室で日蓮正宗が禁止された数十年後である。宮内省の意向で大正天皇皇后が日蓮正宗を信仰することに圧力がかかったのである。
日蓮正宗法華経というのは、日蓮直伝の大石寺にまします大御本尊と御法主猊下のことである。これをきちんと皆が認めるようになれば、下らない差別や緊縮財政などがなくなって日本国は繁栄していく。反対にそんなもの知らないという政府政権であり、国民もほとんどそんなもの知らないという状況では、よい治世は訪れない。共生社会など綺麗事だ。
伊勢神宮を参っても、そこには天照はいない。
天上高く舞い上がって、帰ってくることもない。中国軍が侵攻してきたらひとたまりもない状況が深まっている。
天照がいない日本は、法華経をあべこべに攻撃して緊縮財政を推し進め、滅亡の坂を転がり落ちている。
日本国民が悲惨な敗戦よりもさらに悲惨な状況が目の前にある。
真に全員参加型の必要な予算をきちんと計上する国になることこそ、日蓮を敬い法華守護することにつながる。その時にようやく天照は日本を守護するようになる。
立正安国論は決して鎌倉時代だけの書ではない。
国が滅びるのが先か日蓮正宗を正しく立てることができるか?
原爆も決して昔のことではない。他人事でもない。
この国の政府はf:id:FujiYama:20210412233809j:plain天照のいない伊勢神宮を未だに国教として崇めている。
危機的状況は続いている。