FujiYama’s blog

日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

成功者池田大作の失態

日蓮正宗創価学会というありえない言葉がかつて存在した。
日蓮正宗の歴史を紐解くと、信徒団体がいくつも存在して、教えに反すると破門になり、あとは身勝手に別の宗教団体になるということが繰り返されてきた。創価学会はその一団体に過ぎない。
しかし創価なりに野望が大きかったため、信徒組織づくりまで念入りに日蓮正宗から盗みとった。すぐには崩壊しないように一応なった。
なにしろ七百年から続く信徒団体から組織づくりを習ったわけである。
日蓮正宗法主は現在68世である。そのなかでも最初の三人を三祖として特に重視しているのを意識して創価の三代会長が特別であり、特に池田大作日蓮の生まれ変わりだというのが創価学会内部の通説である。
常識的にありえないが、彼らは本気でそう信じているのだ。
池田の野望であり病状でもある天下取りのためのインチキ理論である。よくある教祖さまは聖人の生まれ変わりというあまりに下らないバッドジョークである。
池田が日蓮ではないことを証明する文献がある。まず身延相承書と池上相承書がある。都合の悪いものはないことにしたい。そこで真筆の所在がわからないものは存在しなかったことにしようとなる。しかし学問的にその存在は証明されている。
さらに百六箇抄の最後の部分の記述は明確である。破門団体みんな同じだが、日興嫡嫡の法主につかなければならないとあるものをどう説明するのだか。嫡嫡の正本尊を本尊としなさいともある。これは日蓮正宗大石寺の大御本尊を絶対に外してはならないという意味もある。
もし池田が本当に日蓮ならば、法主につかなければならないから日蓮正宗信徒にしてくれと泣きつくはずである。信徒除名になって恨んでいるだけだ。また原田会長が大御本尊を本尊にしないという発言をしたことを許すはずもない。
創価学会はまた僧侶の腐敗堕落を問題にしているが、一般的な僧侶のなかで日蓮正宗は比較的質素な生活をしている。供養の額に上限があり、五万円までしか受け取らない。つまりイメージダウンを狙ったネガキャンである。
そもそも日蓮は仏教の基本として大事にするべきものとして三宝を強調している。仏と法と僧を大事にしろと。つまり僧侶のいない仏教というのはあり得ず、インチキ仏教だということだ。日蓮は新池御書で、皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなすと書いて、仏や法が僧侶とともに存在することを明記してある。三宝について残っているものだけで38回の記述がある。在家団体は独立して存在できない。必ず僧侶のもとで仏教を学ぶ必要がある。勝手にやっても単なる独善に陥る。大衆のためと公明党を作ったが見事に独りよがりになってしまった。葬儀もお経を満足に唱えられない学会員がやるので成仏どころではない。
もうひとつお題目の力を過信したことが学会衰退を早めている。本尊は無断コピーであり、拝めば拝むほどおかしくなる代物。本物の日蓮正宗の本尊は唱えると生命が浄化され功徳という実感のある力を感じさせる優れものだ。なにしろ本物の仏、本物の日蓮、本物の法主が書いた本尊だからである。創価の偽物では実感として恐怖の本尊である。拝めば拝むほど悪いことが起こる。ほとんど祟りの域である。
宗教儀礼や宗教儀式がまともにできないのだから宗教法人として成立していない。
ただ公明党から仕事を貰えないと功徳がないわけである。
日蓮はまた唱える題目の力が限定的だと教えている。題目を悪用する沢山の宗教ができたが、確かに力がないわけではない。間違いなく祟るからご用心。正しい本尊に唱えてこそきちんとした功徳があるものを、コピーで勝手に偽作を製作して学会員の皆さんがおかしくなっていく現実がある。
つまり本尊を無断で模刻してはならないと日蓮正宗が池田を処分したのは、日蓮の教えに従ったためであり正当な理由がある処断である。
これを創価プロパガンダで権威の僧侶による庶民いじめであると主張する。なんと僧侶はひどいのだと。
あまりの無反省ぶりに辟易する話だ。
日蓮正宗はただ日蓮の教えによって動いているだけである。
日蓮正宗では庶民をいじめる必要などない。
まだいくらでも創価日蓮の教えに反するところを指摘することはできる。
しかし、問題は公明党が政権に参与して日本国が貧しく危機的な状況に陥ったことである。たんなる宗教の間違いでは終わらない。
明らかに日本人が貧しくなり不幸な人が増えたにもかかわらず、政権はなにも間違ってはいないとおおみえをきっている。
なぜ日蓮正宗では庶民をいじめる必要がないと書いたかといえば、本尊が本物なので日蓮正宗は他人の幸福を願うことができるからだ。逆に言えば、創価は日本人をいじめ殺すのが本懐だということだ。無断コピーでは心にゆとりは生まれない。拝めば祟るでは他人の幸福なんか知ったことではない。
創価は一時期信者数が827万世帯一千万人と急増しているが、その時期までは日蓮正宗大石寺に参詣していることがポイントである。日顕上人の代に公然と日顕上人を批判しだして頭打ちになった時期からは大石寺参詣を禁じている。そしてさらに得票数900万台が600万台まで急減したころ、創価の勤行要典から大御本尊の文字が消えた。創価として正式に仏を本尊にしないことを決めたわけだ。
池田が日蓮というのはイカレた会員くらいしか騙されない。ありえない。
もし本人だと言うなら御本尊を書いてみろ。まともにf:id:FujiYama:20210410025237j:plain書けないじゃないか。公開してほしいものだ。
そして素晴らしいことにそのイカレ会員が激減している。
日蓮正宗創価学会の時代からインチキ宗教と言われているが、まさにインチキ。みる人はよくみているものだ。
衰退していく破門された宗教団体にはもはやなんの魅力もない。へんな宗教はやりたくないし、イカサマは絶対に許してはならない。
ここまで日本を衰退させたのは公明党のそそのかしあっての自民党政府の横暴によるのだが、池田はその責任をとるつもりなど毛頭ない。
そんなまっとうなことより自分が日蓮だという思い上がった思い込みに浸るためには、むしろ日本が滅亡してくれたほうが都合がよいのである。
一度ある創価学会の地方本部の本尊を拝んでみたら狂気の世界で慄然としたことがある。迷いのない狂気ほど恐ろしいものはない。
やはり本物の日蓮正宗の本尊は安心感があって全然別物、格別なゆとりを持っている。宇宙大の威厳と威徳を備えている。創価の題目は単なるヤクチュウで危険極まりない。
なにが危ないかと言えば、創価にはおかしいという自覚がまったく感じられないところである。とても多くの人たちが地獄になり、ごく一握りの人たちが利権に群がるおぞましいカルト創価はこの地球上のブラックホールになっている。庶民の生活をひたすら貧困層に落とすこと、国際グローバル勢力に賄賂を贈ることだけがその行動規範である。綺麗事を絵空事にして本性は地獄の黒魔道師なのである。
たくさんの人たちに見抜かれても平然として正義と開き直るあたり、ただの悪党である。騙される人たちがいつの時代にも一定数存在するが、本当にたちが悪いのは日蓮正宗をかたらうことである。自分たちはもともと日蓮正宗であるから信頼されるのだと。
破門とか信徒除名とかの意味が理解できていないし、逆恨みや開き直りにもほどがあろう。
あまりに悪質なので、私は顕正会公明党を見かけると基本的に無視する。