FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

幼児教育にかける母親の思いとか 無理な結婚には賛成できない バッハのバイオリン協奏曲1番をやり直していて

f:id:FujiYama:20211029033231j:plain3歳の誕生日に地元の新聞社の紹介で母は著名な幼児教育の先生のもとへ私を連れて行った。

鈴木鎮一の有名なスズキメソードが一世を風靡したあとに、鈴木鎮一の弟子がやっている教室へ連れていくというオーソドックスな教室の選び方だが、多少個性的な先生でもあった。

ぼちぼちやれば覚えるものを、金切り声でわめきたててバイオリンを構えて30分起立できないわが子に絶望し、音程が微妙にずれると象牙の鍵盤を渾身の力で叩いて3歳児をバイオリンごと小突く滅茶苦茶な英才教育もどきである。

バイオリンの先端が少し下がっても、バイオリンのスクロールを握ってグイと顎の下に本体をねじ込んでくる。

まるで拷問である。

物心つくことと母の暴虐は同一であった。

おそろしいのは日常的に怒鳴られ続けると、感覚が麻痺して、常に家庭内でおびえて暮らすようになることである。

両親ともに虐待が日常なので家庭では私はパフォーマンスが発揮できず、勉強にも差しさわりがでていたから、その面でも子供を怒鳴ったり罵倒したりすることはできるだけ避けなければならない。

虐待する人たちは、自分たちが絶対の正義を信じているから、子供は出来の悪いクズであると決めてかかっており、その思い込みのすさまじさは30年単位でも治らないものである。

バッハの協奏曲第1番の3楽章を地元のお寺のホールで演奏したのは懐かしいが、ここ数年なにげになんだか自分が演奏したのと、ヒラリーハーンなどの著名な演奏家の演奏が全然違うなと感じながら、ようやく気が付いた。

私は母親がわめき続ける毎日のレッスンの邪気にやられて、はっきりしたボーイングができなかったのだ。

蚊の鳴くような繊細な表現で、しかし正確な音程で、先生方からはきちんと弾けている生徒だったが、問題は蚊の鳴くような繊細な表現は自分の表現ではなかったということである。

今はプロの大ベテランになっている先輩の濃厚でたっぷりした音色を目指していたから、そういう音になっているとばかり思っていたが、たったさっきあまりにひ弱な音だったことを明確に認識できた。何十年後の真実との邂逅とでも言おうか。

私が母の前でしっかりした音を出すことは許されていなかった。

発言も自由にできなかったし、進路希望も全否定の連続しかなかった。

母は私が10歳ごろにレッスンを放棄して、今度は監禁して勉学で早朝から夜間まで顔を見ると罵詈雑言を喚き散らしだした。平穏な自由時間は学校の登下校時と昼休みしかない。

これもすぐに虐待だとわかる形があったが、案の定放っておくと成績はうなぎのぼりで、ぼんくら私立中学校で10番以内に入るようになるが、そうなったのが母のいないオーケストラでのびのびと演奏する機会を得られたからであり、今度はオーケストラに母の癇癪が飛び火して、私の意欲は完全になくなり本当にフヌケのようになってしまった。

ハクチとか木偶の棒などと罵られていたが、これでも某大手予備校の東大京大コースにいたり、模試で全国版に掲載されたこともある。

バイオリンはメンコンやチゴイネルワイゼンの伴奏パートをやったりした後急激に上達してズンドコ弾くと専門家の道を提示されるが、これまた全否定。

ほかにもたくさんの事例はあるのだが、要するに両親は子供を潰したかっただけで、どこにもありもしない自己正当性を世間にアピールするために、わが子を闇に葬ったのである。まともな誰もが反対した婚姻の反動。賤しいものがけしかけた婚姻。

繊細な蚊の鳴くようなバイオリンが美しい音程ですばらしいという人がかつて相当いたのもすごいが、それより半端な中年になってもまだやめようとしない自分もすごい。

ヒラリーハーンほどアクセントや音色の強い奏者のタイプではないが、エーネスのような優等生タイプでもない。ツィンマーマンみたいなせっつかれるのも無理だ。

自分には自分にしか出せない音があり、それを素直に出せるようになるまでの道のりは、虐待の傷跡と正面から向き合う中で成し遂げられるひとつの事業である。

ノートルダム系大学と神学部のある大学出身の両親であり、母はキリストの尼さんになりたかったような人たちだから、キリスト教の両親を持っても、報道される神父さんだけではなく、虐待は当たり前に起こっている。

日本古来の虐待だとばかり思っていたが、そうでもないらしい。

今なら象牙の鍵盤のピアノは違法な製品だが、数十年昔にはまだそういう奇跡的な輸入ピアノが存在した。

私は母に育てられたのではなく、あのしっかりと芯のある重厚な音色のずっしりとした鍵盤のピアノに育てられたのだと思う。(ヤマハとカワイの鍵盤がスカスカに感じた)

いくら思い出してもスズキバイオリンや両親に育てられた記憶がない。

少しバイオリンがランクアップして、ガット弦と社会人オーケストラで音大生や留学生の伴奏をし、きちんとしたコンクールに入賞している同門たちの合奏で育っただけである。

仏教でも孔子でも親の恩を説くのだが、未だに両親が狂人にしか思えないのはなにかおかしいのだろうか?

つくづく子育てのための激しい表現はできるだけ差し控えるのが健全な親子関係のためではなかろうかと思う。

そうなってしまうと「お気の毒様」という言葉すら「ざまあみろ」に聞こえてくるものなのである。

今日、また、あー自分は両親の前で音を出せなかったのかと何度目かわからないが気が付く。

子供は母親と別の生き物であり、歩幅が同じなのは人生の一瞬のことである。

わめき続け暴虐の限りを尽くした両親の人生を気の毒に思うよりも、心の傷を放置して塩をすりこむだけだった人間たちに対する嫌悪感は非常に拭い去りがたいものである。

ようやく自分の音を出せるようになった今は完全な離別が絶対条件の至福でもある。

彼らはあまりの罪業の重さに本当に発狂した。

判断能力を失ってかくれキリシタン浄土真宗からカルト新興宗教に改宗してのめり込むのである。

その不幸に対してなすすべはなにもない。

誰かが罰を加える必要すらない。

ただ無間地獄の炎にむせぶしかないのである。

神仏に感謝する心は一流の音楽と愛情のあった祖父母から譲り受けた。

ある程度の地位や資産のある家のお嬢さんが気の迷いで人生を間違えて取り返しのつかない失敗をする不幸が、子供の立場からしても御愁傷様なのは他人の場合だけである。眞子さんが失敗に気が付くのはいつか知らないが失敗が確定しているのが見えない平凡な人間として忠言耳に逆らうそのものであり、子供は本当に気の毒としか言い様がない。

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