最近のバイオリンはチューナーどおりに演奏されるようになり、これはどうしても線が鋭利な細いものになる。
音の幅をつける奏法の起点が細い線なら幅も狭くなる。
つまり表現している音の幅が窮屈になる。
これに強弱という浅深をかけて立体になる。
円柱、四角柱、三角錐、円錐などをなめらかにつなげたり、間をとったり3次元の世界で比較的わかりやすい。
ところが音楽は4次元を使うだけでなく、もう少し高度なようだ。
色彩がつくこともわかりやすい。
表面加工も含まれる。
ほぼ生き物と同じで、音は生きている。
森やジャングルで草木と動物に微生物までもがそれぞれ関係性のなかで共存共栄する様を、それぞれの魂に焦点を絞る。
それらの魂たちは、共鳴、対比、複和声、輪唱、掛け合い、会話、対話、浸食、融合しながら交響曲を奏でる。
そのうち鳥や一部の高音周波数を中心に抽出したパートを担当するのがバイオリンだということになる。
本来の音楽の音は魂の発露で、音の線の幅はそれなりにあった。
グリュミオーのたっぷりした朗々と鳴り渡る演奏は素晴らしい。
音程は精度が高く、しかも音の幅が広く深い。
少し二律背反でわかりにくいが聴けばわかる。
抑制したり上ずったり絶妙な表現の幅を遺してくれた名手たちは音楽性が豊かだった。
今の名手もその幅を持っているので、とても魅力的な人たちはいる。
しかし、時代は精密化一本でその幅をほとんど持たない人たちや楽団がどんどん増えているようだ。
音程や音は正確で美しいが、その音がどんな立体で何色をしていて、その立体の連続体がどこへ向かうのかがよくわからない演奏もかなりある。
分業的に単品の部品が精密なだけでは、音楽は創出できない。
森のなかで、生命体が相互の関係性をわからなければ即死するように、音表現はバランスや役割と方向性だ。
魂の調和、音共同体の充実こそバイオリンの音、擦弦楽器(Vn.Vla.Cello)の質感だ。
太陽とともに変化する色彩の美しさ。
気温湿度とともに空気の抜け方が変わり、急な変化も穏やかな変化も常に調和へと向かう。
まだ数百年の歴史しかない西洋音楽オーケストラではあるが、傾向が特徴的で変化が著しい。
おおざっぱな国別の印象をまとめてみたが、みなさんが感じるのはどんな天候のどんな景色だろうか?