日本人は、とにかく精密に音程をとることを優先するため、ドイツ的な学習方法も採用しつつ、言ってしまえば音程過敏症である。
かくいう私も最近はかなり意識しすぎて過緊張気味、問題が出てきた。
しかし、もともとは音程の問題を過敏症の日本人からはしばしば指摘されてきた自由人だ。
とても不快な病的攻撃を受けた。
アルトゥールグリュミオーの録音を久しぶりに聴いていて、やはりなるほどと再認識する。
グリュミオーは音程の微妙なズレとは異なるフレーズや曲ごとの表現手法として平均律ピッタリからは意図的に外しているとしか言いようがない。
音楽表現にメロディハーモニーリズムの三大要素があり、特にソリストが多く担当するメロディ表現手法の1つだ。
光の色彩を微妙に変化させるだけの優れた感性こそが名手ソリストの条件だ。
日本人は白色蛍光灯と暖色蛍光灯の2種類か時には1種類しか理解できないことがほとんどだから、名手の音程が狂っているとか音程がズレていると感じるのだ。
むしろ現代の現役日本人は世界の商業音楽家に多く見られるように音楽的音程による表現から外れている。
真の伝統的クラシック音楽からズレている。
名手たちの音程表現力の素晴らしさは、正確な許容範囲内のオーケストラ伴奏音程と見事なハーモニーを奏でている。
日本人には、ユダヤ的に厳密な音程を優先する基準とユダヤ的な濁った音を嫌う感性があるために、名手たちの素晴らしさを消す努力ばかりすることになり、おりこうさんなアベレージのマルチタレントのそれほど魅力のないオーケストラプレーヤーしか育たないのだろう。
やはり教育段階で日本人はほぼみんな死んでいる。
それこそ幼児期からヨーロッパ移住を推奨され、留学必須と言われるゆえんである。
日本でまだ面白味のあるソリストは木嶋さん石上さんが思い浮かぶのだが、彼らの才能がきちんと聴衆に伝わっていることを願う。
ちょっと音程がズレているなんて、情けない貧しい感性なのだと気が付いて欲しい日本人がプロ・アマ問わずわんさかいる。
ドイツ人ソリストも音程は完璧だが、そのぶん表現力が劣るのは謳うフレーズや楽曲である。
総合的音楽表現力を弁えるならば、正確な音程は有害ですらある。
針の穴より細い穴に糸を通すべき箇所を判っていれば、それで充分なことを識るべきだ。
ソリストの音程にきちんと沿う伴奏、プロデューサーや監督の表現要求を理解した演奏でなければ無価値に等しい。
一言で言って、ほとんどの日本人演奏家には音楽なんてまるでわからない。
人類の価値観がわからない。