FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

純正律音程がよく分からない 基礎ができていない どうすれば?せっかくのバイオリンでモヤモヤしないように

参考になるのは、スズキ・メソード。

きらきら星から多くの曲を選曲している内容は、実にバロックと古典あたりが圧倒的に多く主流。

それからお手本の演奏の問題があって、ピアノ伴奏なら平均律寄りになるし、合奏なのに平均律寄りのものもある。

だからいっそのこと、純正律で弾いたほうが早いのだが、現代の演奏はほとんど平均律平均律寄りという難しい状況。

これは、目標により、指導者により、まったく異なるということでもある。

最終目標は、3パターン弾けるようになることだが、それぞれの演奏会企画に合わせて弾き分けるというとスーパー超絶スゴイのかと思いきや、実はそれほどでもない。

で、つまり1つにまず絞ってマスターすることが必要なのだ。

私の場合は昔のスズキ・メソードだから、まず豊田先生の音程を寸分違わず真似た。

その豊田先生の演奏には、純正律寄りもあれば平均律もあったと思う。

作曲家ごと伴奏ごとに違うのがあたりまえ。

でも、ひとつのオーソドックスなパターンとして丸まんま覚えることが第1なのだ。

面白いのは、その後、その先生のグリュミオーの録音ばかり聴いて、ハイフェッツの影響とミックスすることになったことだが、ここで上級の話にはあまり触れない。

ちなみにグリュミオーフランコベルギー派の代表的バイオリニストで、現代的な評価は微妙だが、確たる世界のクラシックバイオリンとして認知されている。他の派でも伝統的なのは同じで、どの派かということより、いずれかの派を深く掘り下げることのほうがより重要で上達する。

最初から音大卒程度の日本人をお手本にしたり派を無視してお手本をクルクル目移りしたりしていると、厳密な音程はわからないままになることが多い。

平均律しか弾けない人々は、ほんとうはバイオリニスト失格だが、純正律しか弾けない人々は一応バイオリニスト。(純正律だけの人々は希少種なのでそれほど参考にならない)

そこは、バイオリンが5度の楽器で、我々は一応指が5本なので、そうならざるをえない。

別の記事で、なぜ純正律がバイオリンと切っても切れないか指の都合も書いたことがあるから、それも参考になると思う。

私のユーチューブ古川司でアップしているクロイツェルの演奏がたとえば12番はイ短調なので、純正律寄りにするつもりはないのに、どうしてもドだけが10セント以上上がる。

これはなぜかといえば、もう左手の形が純正律寄りに出来上っている証拠で、完全なる無意識的なもの。

先日までみてもらっていた先生も、やっぱり私ほどではないが無意識的に純正律寄りになるそうだ。

以上要約すると、選曲とバロック古典を丁寧に精緻に取り組むと、どうしても純正律寄りの左手の形を覚えるから、そこからやってみること。

言い換えると、音程は完全にピッタリだけで弾く必要がある。

右手の課題は私もまだあって、これがバイオリンの1番の楽しみなのは昔知ってしまっていて、いかに思い出すか、いかに広い空間で弾くか、というところなので、あまり心配はないが、右手は基本練習のやりがいがわからない段階ならば、フルストロークの思い切りよいソリストの演奏を生で何度も楽しむことが最速の上達の道だ。

自動車のトルクやパワーとか電気の契約ワット数とか、マックスがとてつもなく重要で、微弱電流を究める上達の仕方と同じくらい大切なアプローチだ。

その違いを見聞きした上で、やる気にならないのであれば、それはあまりバイオリンが好きではないのかも知れない。

サーキットでとんでもない極限走行を見てから、自分の車と運転を究めるというパターンが確実に上達するパターンだろう。

バイオリンは生きものだ。

こちらに応える。

こちらの入力がまずいと出る音もまずい。

だから日本人の感覚では、職人気質がよい。

一般的日本人にはわからない。

楽器も人も尊敬を持って向き合う。

ほんとうの基本はむしろそっちのほうなのだが、日本人にはまったくわからない。

だからこそ専門の日本人バイオリニストは九割九分ヘタなのだ。

とてつもない浪費である。

願わくばスズキ・メソードが正しい方向へ活かされるように。

弱いものいじめや個人攻撃の日本文化に堕した音楽はニセモノである。