バイオリンといえば楽器の心配ばかりするが、ほんとうは音程の心配が1番。
ピアノやチューナーで合わせたつもりは、大変な間違いになる。
クラシックバイオリンだけが純正律なのだから、ピアノでも平均律でも問題ないという講師も多い。
それはそれでプロが弾いているから、という意味合いは、そういう仕事の依頼があれば、それも出来なければ困ることもある。
しかし、残念なことに、バイオリンは純正律楽器なので、平均律にぴったり合わせる仕事や習慣がついた人達は、一様に純正律の発音が取りづらくなる。
下手くそと紙一重のクラシック奏者になることもある。
純正律基準から平均律寄りまではなんとかなるが、平均律基準から純正律はかなり難しい。
両方できるという技能に意味があるのは、何でもかんでも仕事を受けなければならない事情からである。
しかも、両方の弊害は本分のクラシックに悪影響すら起こる。
合奏、アンサンブルが大切だという意味は純正律が最優先だということで、平均律で合わせたって汚いだけである。
だからまず、最初に純正律音階を和音を含めて楽典で理解することから、はじめるべきだ。
耳だけで完璧に聴き取れる人達、その聴いた音程のまま弾ける人達は、なんら問題なく弾けるのかと言えば、やはりプロもお手本も違う基準だ。
アメリカとヨーロッパの基準の違いは、別モノと心得るが最善の策。
現代と中世もまた別モノ。
電子音楽に毒されたものでも構わない人達は、下手くそになることが確定しているから、そこは最初に弁えておくことをお勧めする。
ピタゴラスと平均律は近いから、あまり問題にならないが、純正律をベースにしなければ正しいバイオリンや音楽にはならないことが圧倒的に多い。
そこを教えない講師は、バイオリンを教えるつもりなんてサラサラない。
生徒さんは餌食、カモにされていることを知るべきかも知れない。
時間と労力と経費の無駄だ。
バイオリンを構えるだけで満足するなんて、到底信じられないコスプレ趣味だ。
幼児教室の先生は中3のときにようやく純正律調弦に修正してくれた。
オーケストラも純正律で、上達のコツは、わたしの場合ほとんどそれだけのことだった。
14セント16セントの違いは、素人には気にならないか、曖昧にボケて聞こえるか。
現代では、感覚的にもアメリカCIAの機嫌取りにも、純正律を気持ち悪いという奏者もいるが、世界の音楽史の常識として、現代でも通、本流は純正律でしかない。
日本の音楽家が日本のレベルを下げたりニセモノを教えたりすることがしばしばあるから、習う側の意識がとても重要だ。
不親切不案内な講師が巷に溢れ返っている。