バイオリンの先生は生徒を育てようと考える?
いや手懐けようと考える先生も多い。
親がバイオリンや音楽の知識や経験をどのくらい持っているかによる成長と、先生が知識と経験をうまく誘導する成長の掛け合わせによって、生徒はそのぶんだけ成長し、逆に言えばそのぶんしか成長しない。
生徒さんの親御さんたちは、そこのところをよく見ていなければ、子供をかつがれて貢がされるだけに終わる。
専門家たちの話をベースに記事を書いていて、これはほんとうのことを書いている。
自分の時代はまだ先生の独壇場で、世界の超一流に学べという鈴木鎮一の教えが前面にあったから、皆さんはそこそこの見識を持っていたようだ。
しかし、残念にも最近は先生の息子さんの売り出しに偏向して、我が息子は世界一ではないのにまるで世界一のように宣伝して教育コースを完結させるようになり、多くの生徒さんたちは袋小路に迷いこむしかなくなった。
目標と先生が平凡なら、生徒さんもおよそそこで終わる。
井の中の蛙が増えてきたように思う。
実力がある生徒さんたちは、ヨーロッパへ行くに決まっている。
かわいそうな日本人バイオリニストは大勢いるが、そもそものお手本が違う。
結局鈴木鎮一本人はそれほどの演奏技能はなかったが、生徒を育てようとする愛情と行動力は素晴らしかった。
グリュミオーにきちんとつけた方がわたしの幼少期のお手本で、不思議な縁でグリュミオーのCDを手に取ったのも、その音に感動したのも、自然だった。
わたしがバイオリニストになるための必要条件の一部は確実に今の生徒さんたちよりあった。
アーティキュレーションのレベル、音楽性、基礎的なボーイング、白人との親和性なども問題なかった。
今は昔の先生と今の先生の指示どおり易しい曲や基礎ばかりやり直したり新たに取り組んだりしているが、素質はあったので面白い。
あらゆる教育環境があって周囲が応援しているのに、国際音コンにやっと入ったくらいの平凡な日本人バイオリニストたちは、それなりに辛いだろうが、それがまさに実力でしかない。
コンクールより人間性の問題のほうが重要なところを理解できない人たちもまた実力は伸びない。
日本人バイオリニストはホロコースト文化を容認していることが多く、ミュージシャンレベルで頭打ちが確定している。エレキギターとかと大差ない。
世界でありふれた平凡なバイオリニストが人道主義者を標榜する悪質な部類が多いのは、まことにもって遺憾の極みである。
平凡なバイオリニストたちは、悲惨である。
世界の超一流だけを見て師弟関係を結べないのであれば、音楽家などやらなくてもよい怪しい人種である。
数年前の世界的著名音楽家マスタークラスレッスンで明らかに不勉強な生徒さんやソリストコースで無理をしている学生さんの演奏は聴いていられないひどいものばかりだった。
かえって趣味のバイオリンは世界を基準にすることができる幸福な人生である。
日本の学生やプロよりよほど幸福なのだ。
育てることと育つことはまったく別。
上が何メートルか何キロか、その天井を大人たちが設定して飼い殺しにしている先生ばかりでは、よい音楽家すら育たない。
日本人に西洋音楽はかなり難しい。