管弦楽の三度音程を純正律でやろうというのは常識なのだが、そうではなく、長三度と短三度の幅を取り直す必要が出てきた。
なんと驚くことに約15セントずつ逆にとっていたことが判明した。
その瞬間断崖絶壁から真っ逆さまに急降下して谷底にぶち当たった衝撃はすさまじい。
その心身症的なぎっくり腰というわけではないが、寝込んでいた。
ようやく4日目の今日、その修正に取り掛かった。
チューナーのくさびの印の左右を間違えると大変だ。
和音の幅は漢字のとおり、短三度は半音が三つ分の幅、長三度は半音が四つ分の幅ある。
これを均等割りにするとピアノの鍵盤でとる和音になって管弦楽の和音にはならない。
楽典的には理解できるが、実際に指を置く位置を微妙にずらす方向を逆にして1年以上経過していたので、一大事だと気が付いた。
自分の耳だけをあてにすれば、そんなことはありえない。
理屈で考える大切さはあるものの、そのために錯誤した場合真逆のことをやってしまい、その修正の指摘機会があったにもかかわらず、何故か指摘されないまま先週の水曜日に改めて指摘を受けることとなった。
理屈で正しいのなら、この和音は美しいはずであるという逆の認知でいくと、しばしば間違いが起こることを知らねばならない。
理論、理屈、頭で理解したつもりはよくない。
チューナーで音程を修正するのも同じことで、理屈そのものを間違える形。
ピアノ伴奏でAmajor音階のモーツアルト協奏曲5番を弾く場合、ド♯の音は15セントほど低くとる。
チューナーを見なければ、完璧に正しく下(左)のくさびの音程をとっている。
発表会での音程のミス連発の原因だったのだが、これを馬鹿丁寧にチューナーの中央に修正したことからすべての狂いが生じていたのだと理解した。
ピアノ伴奏ならそれでもよさそうだが、実際は真ん中とくさびの中間くらいをとるべきで、真ん中ピッタリはない。
もはやモーツアルトの魂に傷が入りそうなほどのズレか。
いずれにしても音階をすべて洗いなおす必要がある。
純正律で長音階の第三音を低くとり第五音は2セント高くとるという基本、長短三度の幅を修正するという作業、それらを耳と指の感覚で掴んで覚えていくことが最重要だ。
今日正しい三度音程を確認して、これは認知のゆがみは修正回復する余地が十分あると感じたのでホッとした。当たり前だが正しいほうがより美しくしっくりくるからだ。
純正律音階などもともと無意識でできていたし、純正律でメロディーを弾くことに違和感がない私は、結局バイオリン(管弦楽)が命の生き物だと心から喜んでいる。
何も考えずに名手たちの演奏を聞いたままに弾くという基本スタイルは変えてはならないと思った。
もちろん楽典上理解して時折チューナーで確認する作業を怠らないような大人の学習者(奏者はみんなだが)としてのイロハも身につけていくこととなる。
それにしても、もっと早く気が付けばそのぶん修正の労力は軽くて済んだのだから、これからもひたすら先生に確認しながら覚えようと思う。
信号発光が誤作動していて事故るのは信号管理者のせい、信号を守っていて事故るのは半分以上相手のせい、信号の色を見間違えて事故るのは視覚の問題、信号の色があいまいな場合は信号のせい、しかし赤と青の意味を逆に覚えたら安全に通行できない。
かつ一般的信号と点滅信号の指示が違うように管弦楽ではハイブリッドに対応できなければならない。
もともと普通に通行して免許を持っていた私としては、一瞬なにがなんだか理解できない衝撃だった。
現代の音楽に慣れ染まった人達には、にわかには感覚的に理解できない音感と技術で、音大卒の専門家ですら曖昧で、本当はもう人類は滅亡の危機にあるのだが。。。
室内楽、弦楽合奏の素晴らしさを理解する人達が全国にもっともっと増えるとよいなと願う。
不純な騒音まがいではないホンモノの音楽、ホンモノの管弦楽こそ人類の宝だ。