FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

現代の日本人庶民にはバイオリンが向いていない理由 精霊が息を吹き返しつつあるバイオリン 人類固有の霊的対話

f:id:FujiYama:20211118210108j:plain精霊の存在を信じない人は、まずバロック音楽に興味を示さないと思います。クラシック音楽も正統なものならまだちゃんと精霊が息づいていますが、本当の原曲の当時のままの精霊かどうかは、実はみなさんわからずに意識もあまりないまま演奏して鑑賞されています。
キリスト教徒の演奏にはある特有の霊感があり、かつそれは多彩な個性を持っています。おそらくミサとか宗派とか流派とかによる違いはあるものの、どこか共通している霊感です。
これを神道の邦人や日蓮宗系の邦人が留学して教会文化に飛び込んで学ぼうとするのですが、なかなか難しいことになる。借りてきた猫ではいけないと頑張るも紺屋の白袴
最近気が付いたのは、日本人の演奏に感じる違和感の正体です。
その意味ではスズキメソードは子供をキリスト文化に馴染ませる工夫をしているので、音色や雰囲気に違和感が生じにくい優れた面がありました。今はもう手本の奏者が変わり、生徒さんの演奏に精霊たちの姿は確認しづらくなりました。鈴木本人の演奏動画を見ると、日本の山々の霊感そのもので、違和感の塊です。
さて、音や演奏に感じる精霊は、いくつかの条件のもとで呼吸を始め、やがて生き生きと飛び回ります。
日本人が言ういわゆるうまいとかへたとかいう違いではありません。
音程を正確にとろうとした瞬間、一定の音を出そうとする刹那、他のパートと合わせようとするとき、フワッと精霊たちは顔をのぞかせます。
そしてその気持ちが続くと、精霊たちは満々とゆったり薫りだします。
音程が微妙になると精霊たちはそっぽを向いて隠れてしまい、リズムが違うと精霊は消滅してしまいます。
速く派手な曲を弾いても、精霊のお気に召さない演奏がたくさんあり、究極はストラディバリウスでもさっぱり精霊がイヤな顔をしている演奏もあります。
なかなかに精霊と交わり、楽しむのは難しくて、これは才能が要ります。
一生懸命とか集中してとか言うのは簡単ですがしゃかりきになっては精霊が逃げてしまいます。
心の耳を澄ませて音を聴きながら精霊たちと毎日お話をして、お互いによく知り合うことが必要です。
私はついぞ精霊たちがどこかへ去って久しい広漠と艱難の時を過ごし、それはなんとも言えない時期でしたが、世界の精霊、神々の精霊、魔や悪魔の霊気などを荒々知るための時期を経ることになりました。f:id:FujiYama:20211119050810j:plain
そうして三つ子の魂百まで、最近嬉しいことにふたたびバイオリンの音から精霊たちが顔をのぞかせ始めました。幼いころ教会の讃美歌の空気の中で会ったあの精霊たちと、ふたたび会話し始めました。
バイオリンは単なる道具ではなく、音楽は単なる音の組み合わせでもなく、作曲家たちはたいてい無宗教ではなく、自然環境と教会文化と精霊の交わりの中で、その素晴らしい音楽を生み出してきました。
東洋にはまだまだ野良犬根性がはびこり、精霊が見えない演奏家たちも、いまだに黄河文明をやろうとしているので、本物の音楽が育ちづらいのです。
せっかく莫大な投資をしてきても、神道では精霊の尻尾を触るだけに終わっています。
世界の超一流はみんな精霊たちを溢れかえるほど景気よく撒き散らして聴衆を満たします。
ちょうど欧米のコロナ給付金のようにみなさんが潤って満たされるのが本物の音楽です。
残念なことにプロですら優秀に音を出すこと(規定を満たすこと)は、精霊を得ることにはならず、悪魔の尻尾を掴むことになっています。
荒廃した日本の国土(農業)と経済(人材)を見るとき、精霊たちがこの国では青息吐息であることを認めざるを得ません。
政策や外交をみてみても、日本のエリートになにかを期待することもできません。
おおいなる精霊、万物の根源たる日蓮の魂とともに力強く日本人の心と精気を養っていくよりほか、この国に希望はないのです。
悪鬼たる閻魔法王と悪霊が精霊を鞭打つこの国はいったいどうかしていると思います。
私は欧米の信者でも東洋の信者でもありません。
人間が霊魂を満たして精霊たちと会話しながらの世界構築ができるようにと願っているだけです。
敗戦国では戦勝国に報復はできず、財物、物理的な幸福すら色褪せています。
精霊の存在に気が付いたならば、呪いの魂を捨てて、無限で最高の精霊日蓮(日蓮正宗)をかえりみることがわれわれの魂の解放のために、どうしても必要です。
闇に閉ざされた東洋の島国でも、日蓮と精霊たちと人生を歩むこと、人生を歩むことは不可能ではないと感じています。
精霊さん、お久しぶりですね。
お懐かしくまたお会いできてとても嬉しい。
この間、純正三度音程でしばらく微妙にずれていた長三度がぴったりあった時に、あなたがそこで息をしているのに気が付きましたよ。
それに先立つこと数年前、妙法蓮華経の経文を丁寧に読んでいるときに、ふわりと浮き立った精霊さんはまた清々しくて、思わず掃除を始めてしまったのでした。