FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

擦弦楽器(バイオリン🎻ビオラチェロ)が人類の未来をミスリードしないために ガット弦のすすめ

f:id:FujiYama:20211010164915j:plain弦楽器に張る弦は三種類の素材によって分類されることはよく知られている。年代順にガット、スチール、ナイロンと登場している。
バイオリンのガット弦は、ピラストロ社とトロ社製品が現在入手可能。ピラストロは四種類あるが、実用性ではオリーブとオイドクサの二種類とバロック用のコルダ一種類しかない。トロもバロック用。二種類でも充分な音質で、弦最高峰の称号が200年以上変わらないのだから大した品質だ。
素材の天然は合成素材や安いニスとは別物で、タッチと弾き手のフィーリングが極めて良好になるから、弾き手と別の音を出すのではなく、弾き手が呼吸したり歌ったりするように弾ける。音、音色がまさに天然。倍音、雰囲気を自然に呼吸できるのが醍醐味。こちらの体温を吸収してからピッチが安定するという一体感。楽器と体の接点のいかに重要か。
経験はないのだが、モルヒネと合成ドラッグの違いのように天然は身体に優しい。コカインやヘロインとは違って副作用が少ない。
ほかに例えると、初対面の他人行儀と母子の授乳の違い。知らない人や通行人をやり過ごすのに都合のよいLEDライトや信号の良さは半面人身事故が当たり前である。ガットの空気感は、愛情と平穏と希望に満ちた邸宅内の庭に花たちが季節と共に咲きかおるような温かみのある感性にあふれる音だ。
ナイロン弦が発明されてから名人たちがオイドクサやプレーンガットを捨てて、世界中で全人類的規模で、音程の精度と脳の快感快楽を追求するようになっていく。
生物化学兵器と核時代の戦慄。
同じストラディバリウスやガルネリなのに変な緊張感、ギスギス感が生じ、ましてや市中の音楽家の楽器なんて、ただ刺激的でありさえすればよい。自己顕示と宣伝アピールが一体化している商業音楽と職業音楽家たちに相性が良かったのだ。
音程の安定性は、魔力だった。演奏家が気を遣わないで演奏するのが正義になり、演奏家の技術は音楽家のすさんだ心を隠すために力を発揮するようになる。
価格コスパでは、たとえばドミナントが有名なナイロンだが、毎日3時間も弾けば普通2ヶ月しかもたない。オブリガードに至ってはたいして弾かなくても三週間しかもたず、そんな感じでたいていガット弦のほうがはるかに長持ちする。10年ほどオイドクサを使ってみて、A線は確かに切れやすくほつれやすいので使い物にならないと思う。A線に限っては、お金、資産の問題で、常に三本ずつ購入する必要がある。そこはA線だけナイロン弦を使うという妥協と知恵もアリ。最近軌道修正した。わずかに不満はあるが背に腹である。気が変わってまたADG全線ガットにする可能性もなくはないが。
プロの実用性として石上真由子、マークカプラン、 チョンキョンファ、フランクペーターツィンマーマン,ヴィクトリアムローバなど現役で活躍中。古くは誰しもガットだったし、今よりはるかに温湿度管理が難しかった時代にも立派に使われてきた事実を考えて、われわれは堕落しすぎた現代人という自覚を持ってもよいはずだ。
洗濯板にこだわる必要はないが、肉声による声掛けにはこだわるべきだ。
コンピューターの声掛けがいかに寒々しいか。いかに人間に似せてもそれは人間ではない。
私がオイドクサやオリーブを実際に使っていても、音程は非常に安定している。使い始めだけ時間と手間をかけてやる。サブ楽器があれば使い始めのガットをピンと張って小まめにペグで張りながら置いておくと馴染みがはやい。特に空調で温湿度を固定して弾くとまず狂わない。
自分のことをおおまかに四期に分けて振り返るが、幼少期(量産品)はスチール弦で集中して練習し、合奏期(工房製)はオイドクサで調和ある美音に酔いしれ、技術習得期はナイロンで絶対の感覚を身に付け、完成に向かいながらの満喫期(マスターバイオリン)はオリーブで幸福街道驀進というそんな人生の分け方だった。これは参考程度にだが。
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さて提言に移りたい。
人類益、人類の精神的安定と日常の音楽を考えると、プロこそガットを使うべきだと主張したい。
現代人がシンセサイザーアコースティックピアノを混同して受容している危険性は看過できない。
天然純粋ココアパウダーと駄菓子屋の香料のチョコ菓子は、根本的に別物なのに、どっちでもいいと言われた場合、一体どうして楽しくお茶できるだろう。
凶悪犯罪者やホロコースト論者の精神倒錯、錯誤、失見当識、狂気とは、そういういい加減さ、こだわりのなさから来るのではないか?衝動的、情動的殺人のほうが圧倒的に多いし、生命の尊厳は一群には認めなくてもよいからこそホロコーストできる。
現代人の盲点であるが、これはまったくお金の問題ではない。
ナイロン弦演奏は現代人の感性を蝕んで、きちんとした議論ができる思慮分別のある大人が減り、エリートすら貧乏人や障がい者ホロコーストしたいという誘惑と闘いも葛藤もしない時代になったのである。いともたやすくバイトにも期間契約にも致傷致死を想定した対処ばかりやっている。
同じ人間の一人一人の生命を軽く考えて、こだわらずに処理することだけに集中させる教育を推進すれば、みんなが安物のキワモノの使い捨て生物個体に成り下がり、共産主義嫌悪もあって平等に自殺する権利を獲得して自由を獲得したつもり進化したつもりになっていく。故メニューイン卿は数十年前にアメリカ文化社会を自殺社会と言い当てていた。アメリカの統計に自殺するつもりのない突然死というカテゴリーがあって苦笑したことがある。社会としてそのつもりがなくとも自殺になるように仕組んでいるのは歴然とした事実なのに、古今東西だれも改善しようとした形跡がない(日本共産党やれいわ新選組は部分的改善に貢献するに過ぎない)。かの歴史学者アーノルドトインビーが人類史で政治だけはまったく進化しないと断言したとおりである。人間が進化しない前提で動いて損得を合理性だというのだから政治はただの馬鹿と同じ基準である。
しかしながら弦楽器はたんなる美しい音の音楽を奏でているのではない。
本来的な個人の尊重、個人への手間、個人の幸福を基盤に社会の調和を形成する思想的骨子でありムードメーカーである。
ナイロン弦が蔓延する時代になって、なぜだか個人は軽視され、教育研修すらコスト呼ばわりされ、人間は企業の繁栄のための道具になったのである。
デジタル音源とナイロン弦は相性がよい。
商業音楽とナイロン弦も相性がよい。
想像だが合成ドラッグと合成繊維弦(ナイロン弦)は相性がよい。
デジタル化推進と自殺変死貧困の拡大は軌を一にしているように見える。
しかも日本人の給与水準は下がり続けている。
日本人音楽家だけでもないが、クラシック音楽の方向性をよく見定めなければ、なんとなく聴いて楽しんでいると、大変な間違いが世界で起きていて、これからの人類に責任もとれないようなことになりそうだ。
社会主義国だったロシアも富裕層と貧富の差が大きい。バイオリンといえは、モスクワ音楽院という時代があったのだ。
それからアインシュタインがバイオリンを趣味にしながら原子爆弾の実用化に貢献したことが想起される。
産業革命とロマン派時代から人類の弱肉強食と富豪のための音楽に性格が変貌しつつあることは間違いない。
人類は進化や繁栄の幻想に生きるあわれな小動物であってはならない。
ソビエト時代の貧困層はバイオリン王のオイストラフに幻覚を見せられ悲惨な生活を強いられている。貧困層夢遊病者にして低賃金労働させるための音楽。ロシア正教を信じた報いだけではない、そこから派生した大衆の悲惨な生活を思う。
政治思想と宗教思想と音楽の因果関係、影響因子などを徹底して研究しなければならない。
音楽による幻想が優位になり、現実の幸福追求の条件が日々財閥に吸収され続けている。
基本的には宗教ぎらいだが、古典の宗教はまれに近代化以前の人間と自然の調和を保った不思議な力を持っている。呪いや祈祷の類を信じろとは言わないが、古典宗教と古典文化と古典音楽がなければ、現代の音楽はありえない存在であり、この記事も書きえないものだ。
政治経済文化研究所まではやらなくともよいがもしあなたが人間ならば、真実を探求する権利があり、ゆとりがあればそれはむしろ義務だと思うのだが。。。

なにかと人と競いあって勝とうとするヒト生物であると同時に、どこをどう競うかを選べる生き物で良かったと真理に感謝している日々である。
収穫と幸福を喜びのベースにして犠牲は最小限であった時代の音楽と音質を希求するのが、人間本来の健康な感性である。
収奪と人件費削減と殺戮能力の競い合いの音楽と音質は忌避して当然である。
戦地で演奏した名人たちは、どこまでもガット弦を使い続けてその演奏家人生を終え、80年代にヴィルトゥオーゾの血統はもう地球上から絶えてしまったと見る見方もあるし、ガット弦でよいバイオリンを楽しむ人たちの中には、今も脈々とクラシック音楽の感性が息づいていると見ることもできるだろう。
もう今はガットは少数派なので、演奏会で聴くのに演奏家限定で探すのは一苦労するから、自分でガット弦を楽しむのが一番確実で毎日堪能できてよい。
人間に血液が流れ体温がある限り、バイオリンはガット弦をおすすめする。
まずは生演奏でその違いを目の当たりにしていただきたいし、その違いを知っていながら採用しないのは、音楽家ならクラシックを捨てることと、人間を辞めるようなものだと危機感を持ってほしいなと思う。
合成ドラッグや覚せい剤をやめるために音程の正確な音楽を使う人がもしいたら、依存性器質や依存症の改善対策医療のほうを優先するようにおすすめする。それもいやなら日蓮正宗の唱題をすすめるが、非合法なものをやめたいという気持ちを大切にしながら、別の合成ドラッグにはまるだけという地獄めぐりはおすすめしない。
著名な世界的指揮者が人間の精神の健康のために音楽が必要であるというのと、ガット弦でなければ健康ではないというのは矛盾するようではあるが、どの程度のいかなる健康を主眼とし目標とするのかによって、その基準は異なる。
音楽や作曲技術なんてものが、なんのことはない、人をいかに錯覚させてその気にさせるかという技術でもあり、真実不健康な妄想狂や依存症を誘発することも相当数あることは間違いなく、買い物でも意思決定を錯誤させる音楽が蔓延し、視力や判断力を損傷するゲームに没頭させる音楽がオーケストラなどで有名なヒットになり、一元的な健康という言葉にもまた魔力が潜んでいることを留意しながら、エリート人間の持つ欺瞞や虚偽を見抜く必要がある。
幸福世帯率、幸福カップル率、幸福人口率、幸福関係率、幸福時間率、幸福地域率などの新たな指標で、ひろく人類が進化するように願いながら、音楽がそのために純粋に活用される歴史の1ページが書けるような人間性のある音楽家に出会いたいと思う。

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名弓一本13万円?