FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

コロナ陰謀論はありきたりなもの

キーワードは科学と陰謀論と自由意思だ。
科学的データは抽出、サンプルで全体を意味しないだけでなく期間もあやふやなものなので、一回目のワクチンから私は懐疑的に見て希望しなかった。f:id:FujiYama:20211013190449j:plain
科学は人間の恣意による現象の切り取りであって真実とはまったく別のものだ。
マスコミの偏向報道も同じことで、まず結論ありきで都合のよい情報を頒布するための技術であり道具である。
あたりまえだが、われわれはデータ・論文・報道・書籍等を正しく再構成再構築して普遍的データに置き換える作業をして意思決定することができる。落とし込み作業には個別の違いも含まれているから、正解を導き出すのはかなり難しい。総合的判断力がある市民はそれほど多くない。
そこまでやってからの自由意思は正しいものだし、そうでない過半数の判断は間違っているわけである。
考え方Aは陰謀論であるから考え方Bを国家社会として正当なものと定めるから絶対服従せよという自由の侵害こそ共産主義全体主義の危険であり暴力性である。
科学を正しく使う思考判断力がまずほとんどの人たちにはない。
陰謀とは主観だからという偏見によって危険なツールを好き好んで使いたい人もいる。
バンジージャンプや遠泳が好きな人は事故死してもよろしい。
自由意思の尊重というのは、結果責任を周囲が負わず、人の死を受け入れるための知恵である。
よくわからない初心者向け商法があふれかえっているのだから、消費させるためなら、ウソや錯覚をうまく使う人たちに罪悪感はない。
科学を偽装して社会正義を騙ってぼろ儲けしようという商法も後を絶たない。
戦争、薬物、スポーツ、音楽、ワクチンなど大量の死者を直接或いは間接に生み出す悪魔的行為はすべて自由意思の尊重によって成り立っている。
自由はすばらしい。
陰謀論というより仕組まれた罠にわざわざハマる自由を尊重すると儲かるのだ。
副反応に突然死覚悟なんてまともではない。
落とし穴回避のためには落とし穴を認識しなければならず、自由は用心深さとともに平和をもたらすという古典宗教レベルの知恵がむしろ健康と生存のためには有効である。
イージス艦や統合システムの戦闘部隊を完成させていく完全無欠の最強というのは、昔の優雅な戦艦の実力を常に凌駕するとは限らない。
時と場合と地域と主体によって、その選択は自由にまかせるべきである。
1人でも多くの人が幸福になるために国際協調と個人の自由を堅持しなければならない。
法華守護の諸天善神(仏教における神の魂)は人類に普遍的に息づいている。
余計な規制はできるだけするべきではない。
政府そのものが陰謀や罠の仕掛けをわざわざ作り続け科学者に作らせ続けているだけで、いつの時代になってもあまりそれが変わらないことを認めると、コロナ陰謀論はその無数の邪悪な政策とまったく同じ愚策に対する正しい批判である一面は否定できない。
別の言い方をすれば政治という赤の他人に完全を求めること自体が間違っている。
古今東西、政治は人間虐殺のための公的な制度であることをまず知らなければならない。
能天気なアホは、国を信じて国のために必死で働いて大量の人間を不幸に仕向けて死んでいくものである。
歴史に名を遺すということと新聞報道で悪名をさらすということの差異は、とりたててなにもない。
無名にこそ価値は存すると言えるが、はたしてそれを理解できる人が一定割合数いるから面白いものである。