先日バイオリンについて少し触れたが、アジアのことわざに「弘法筆を選ばず」という。
プロはどんな楽器でも弾けるのだとよくいう。(なぜか曲の出だし部分か短い曲しかほとんど弾かない)
無名バイオリンで国際音コンに入賞した人がいる。
そう言って道具を選ばずにまず練習をしっかりすることを教える。
最近みつけたブログにも似たようなご意見があり、
楽器が悪いから上手く弾けないというのは何の言い訳にもなりません。(中略) 良い楽器、自分に合った楽器に巡り合えることが良いに越したことはありませんが、演奏する側が楽器に拘るのはほどほどにした方がいいのかもしれません。
と仰っている方はプロであるからそれなりに説得力もある。
しかしプロがそこまでうまくいった理由はまさに使える楽器だったからそこまでいった部分が大きくあり、楽器に拘るのはほどほどにというご意見には総体観或は全体観から異議がある。ほんとうに悪い使えない楽器で練習したりレッスンを受けたりしたことがない人だからそう言えるのであって、ほんとうにダメな楽器を使って人生におけるバイオリン演奏の楽しみを棒に振った人たちの実例を無視しているのはよくあるエリートと富裕層の思い上がりである。
facebookで最近見たヒラリーハーンのインタビューではワークという単語で表現している。ストラドもビヨーム(ヒラリー使用楽器)も新作もすべてのバイオリンはワークする。私はこれが適切な表現だと思う。
教育者の大義名分と光の陰で病状が進行する事実。なんだか楽しくないとやめていく人たち。頑張ったぶんだけおかしくなる生徒さん。その悲しい事例をたくさん見てきて思うのは、すべての楽器は人間の心に作用する、ワークするので、どんな楽器でもみなさんがハッピーになることはないということを知ってほしいということだ。
悪い作用がある楽器がどれほど恐ろしいものか、折に触れて書いてきたが、端的に言って心が暗くなったり音程を聞き取りにくかったり、そば鳴りと言って耳元だけ響くために奏法が偏ったり、それは音楽でもないしバイオリンでもないというものが確かに数多く存在している。チェロ弾きがチェロを床に投げ出したとかバイオリンを布団の上に投げつけたとか、もはや狂気の世界がそこかしこ世界中にあるのだ。
みんなが平等に努力したら貧乏人から順番に疲労して発病して倒れていくという現実の無数の事例を客観的に見つめなければならないと思う。
本人の問題かどうか楽器の問題を棚に上げて、すべて自己責任でよいのかどうか?
どの道、どの分野でも武器対等を整備してはじめて公正な競争が成立する。そこではじめて自由とか平等とかいうものが実現される。
われわれはまず武器対等が成立しない分野に参入しないことが重要な選択になる。
さらに政治的、社会制度的な未発達と未整備について意見を持つか、あきらめて他人の不幸を見殺しにするかの選択を迫られる。
米ソ冷戦時代の話で、国が公式に採用したライフルが命中率が著しく低い銃だったことがあった。落合信彦氏の著作にかなり詳しく書いてあったが、多くのロシア人とその同盟国の民兵たちが犬死したのは、道具が悪かったからだった。
米ソのいずれにしても武器対等がルールであることを知らないままで死んでいった人たちは可哀想だが、ソ連とソ連企業に対して誰も何も言えなかった時代のことだし、ベトナム人など途上国政府が武器をよく知らなかったこともある。
今また日中友好条約なるものが残遺しており、中国には何も言えない時代が到来して、その陰で不良品が大量に発生し、製品保証の虚偽表示が横行し、そのために損害をこうむっている世界中の罪のない市民がいて、中国製バイオリンや中華スマホに大損させられる人たちがいる。
バイオリンはどこの国でも粗悪品は粗悪品で同じなのだが、疲れやすいあるいは健康を害するようなレベルのものは本来的には大問題にしなければならない。今更ながら改めて、商業主義が過剰になって無責任に売りっぱなしに近い大量生産と大量消費には注意しなければならない。
一生の時間とお金と労力をかけるわけだから、この世から粗悪品がなくなればよいと思うし、そんなことができる方法は日蓮正宗を世界各地で自由に選べる社会政治状況にならなければ不可能だから期待できず、よくよく粗悪品には注意したい。
悪い楽器で演奏できるのはどんなに頑張っても数年間で、その間に奏者は調子を崩して必ず弾けなくなる。
それを言い訳だということの恐ろしさは、自分さえうまくいっていれば、他人がどうなろうが知らないという完全な利己主義の恐ろしさである。
日本人の場合、東大京大と芸大桐朋だけが努力した人間で、それ以外は言い訳をしている不完全な兵隊だという考え方あるいは感覚神経のことである。
一般社会では全国民が完全さを求められ、武器が悪いのに戦地へ派遣され、訓練もそこそこに戦闘に従事させられているのは、エリートと富裕層の思い上がりによる世界の人間の消耗であり人生の浪費を正当なゲームだという思想による。
楽器や指導者や学校や企業などとの相性と武器対等をよくよく考えて、みなさんが幸せな一生を送るようにと願っています。
適正な楽器にめぐりあって良心的な指導者のもとのびのびと成長したうえで、みなさんが楽器に徹底的にこだわって幸福な演奏家になりますように。