不如治大悪御書 文永期 平成新編日蓮大聖人御書(日蓮正宗総本山大石寺発行)808ページ
人肉を食はざる投身無用なり。今其の中を取りて之を勘(かんが)へるに、法華経の実相は一同に之を存すと雖(いえど)も、其の行儀は時に随って不定なるべし。故に流通の諸品、品々(しなじな)なり。仏菩薩の意楽(いぎょう)随時の故か。設(たと)ひ悪に非ずと雖も小善を以て大善を防(ふせ)ぐは五逆罪に過ぐるなり。今の智者万善を勧めしむるよりは一大悪を治するには如(し)かず。例せば外道の九十五種の如し。其の所詮(しょせん)を取るに常楽我浄の四字なり。名は仏法の根本を得たるも其の義は即ち邪なり。仏世に出でて先づ此の悪を治す。正法を説かんが為に苦・無常等の四法を構(かま)えて彼の邪見を治す。今の世間は弥陀の名号の権法を以て円機を抑(おさ)へ、円経に進まざらしむ。名号の権悪を治せんが為には妙法蓮華経の秘術を用ふ。在世・滅後異なりと雖も正法を弘むるの心是(これ)一なり。時に当たりて秘術を得たるか。
仏教用語説明
流通の諸品、品品なり 経典を三分したうちのひとつが流通(るつう)
五逆罪 父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身より血を出し、和合僧を破るの五罪
外道の九五種 釈迦当時のある地方の宗派が95あった
常楽我浄 仏界に備わる優れた4つの性質をいう。常-生命の永遠 楽-真実の安楽
我-自在の境地 浄-煩悩により汚れず清浄であること
苦無常等の四法 「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」 「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」 「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」 「涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり")」
権法 権悪 五重の相対による分類の権実相対で実教に劣るとされる権教の法やその悪
おおまかな素人の読み方ではあるが、唱法華題目抄という別の御書に「悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救う秘術」というのがあって、これは有名な御書だからずっと知っていた。冒頭写した御書は日蓮正宗は掲載しているが、新興宗教では闇に葬ってきている。御真蹟所在は堺の日蓮宗の妙国寺となっているから、まさに本物の御書である。
鎌倉時代までの時代とその後しばらくの間、そして最近では第二次世界大戦期において、飢饉や食糧難という時代が実際にあったことと、貧困層から順番に餓死するのはいつの時代も変わらないし、生活のあてがなくなって身投げする者が出るのも同じである。
この御書の趣旨は、食糧難や飢餓貧困があっても日蓮正宗をやれば自殺等の悲劇を回避することが実際にできるものを低い教えによって貧困層を自殺に追い込むなどの悲劇が繰り返されている因果関係の指摘にあると思われるところ、戦時中の話として戦地で人肉を食べた逸話をどこかで読んだことを思い出した。
政府や幕府のお触れとしてはお粗末だ。立正安国論は現代においても有効性がまったく変わらない。
それと同時に、今の自分たちの身に当てはめて考えても同じことだと気が付く。
法華経は虐げられたり半人前とされる人たち全員を救う秘術。経済苦が多いなかで、いかに救うことができるか?冒頭の衝撃的書き出しのセンテンスからは、法華経の実相の範囲をやむをえずせばめて、種の保存とか信仰を守るために仕方がないから罪人と女子供や障害者を食べてしまってもよいのかと思うが、同時に彼らを法華経は救うとしている。
殺してからお経をあげてあげれば成仏するから問題ないという意味になる場合とそうはならないように彼らにお経を唱えさせて生かす知恵が法華経だという場合が考えられる。その救う範囲を時代によって変更することが十方の(全人類や他の惑星における)仏菩薩の意に叶うという意味であろうか。いやそんなわけないない、というナイスボケ。今では世界の人権団体に叩かれないレベルの権利擁護が必須である。
これだけ庶民が生活苦にあえいでいると、たしかに障害者や子供だけでなく、前科があるとか女性であることが理由で、さらに生活費を削られていき、結果的に彼らは寿命が縮まってしまっている。一方で贅沢三昧や企業内部留保や株価の高止まりというのは、まさに直接人肉に手を付けている有様そのものだと言えるのではないだろうか?
食料が本当に不足しているわけではないから、富を蓄えたり贅沢をするためには、親類や他人が短命になることを科学的に知りながら放置しているわけである。
完全なる確信犯。
戦地で人肉に手を付けた兵隊と米軍に投降した兵隊と自爆投身した兵隊、それから病死した兵隊がいたようだ。これを分けたものはなにか?
それがまさに日蓮正宗の信心をやっていたら、よりましな選択になったという話。
先祖代々の宗教なんて律儀に守っていたら、間違いなく祖父は自爆投身系であったが、戦地で極限の飢えと死の影を目の当たりにして、彼は侮辱を覚悟で資産とかわいい家族の祖国を目指して投降するのである。結果的に法華経の信心を選んでいるのだが、まさかそんなこととは思わなかっただろう。
飢餓がほんとうにつらかったようで、小学校4年くらいの男の子だった孫の私からの人肉についての質問には絶句して黙り込んだ。
洒落にならない。
現代の若年層に対する給与水準とか、子供が食べている給食や鬼滅の刃カードのおまけのソーセージなどの品質を見ると、ほぼ戦時中の水準に近づいてきているのがわかる。NHKの特番でやっていたが、障害者は時給が150円だそうだ。ウーバーも報酬を下げたと報道が。
きちんとした仕事を減らして、給与も減らして、いわゆる口減らしという言葉そのままの状況である。食料がないのではなく、政府与党の方針として、日本国民の人口を削減している経過をわれわれは確認している。統計がごまかせないのが、人口、寿命、おおまかな死因などたくさんあるから、政府与党が採用している宗教がそうさせていることは間違いない。
努力しないから、特定の宗教をやらないから死亡して当然であるという論理。
経団連はウハウハ。
その対境にある仏教と日蓮の知恵と実践方法がいかに優れたものか如実にわかる。
日興上人が神社の参拝を明確に禁止したのは、神社が民の餓死を予定しているからである。弱者がたんぱく源の食料としても食われ冷遇されることを前提にしてなんら問題がないという感性は、その境涯、魂のレベルが現代社会にあっても異常に低いことを示している。
ぼろもうけには丁寧で慈悲のある釈迦が邪魔なので、闇に葬る流れ上日蓮の教えもないことにして、江戸期やナチスのように大量虐殺すると問題にされて厄介だから、口減らしなら個人の自己責任ということでなんとか誤魔化せるという皮算用が見え見えな情報公開時代になったが、ひろく富裕層やエリートに恥の概念が発達するようにご祈念したい。
同時に浅ましくも勤勉な世界の民が法華経に目覚めるように願っている。むずかしい親族や未来ある若者を企業や医療福祉に売却しなくてよくなる。
日本人もアジア人も欧米人もない。
日本では神道や創価学会という宗教道徳というご立派な私利私欲が政治を誤らせてまともな仏教(日蓮正宗)を政治的にも闇に葬り、犠牲者がとんでもない数いるのである。大御本尊がないと、みなさん仕方がないとか悲惨だとか悪いやつがいるとかぼやくしかなく、個別に無力である。
本当の世界平和(地球の繁栄)とはなんなのか、仏にしか実現する方途はわからなかったのである。仏の偉大さがしみじみとよくわかる世相とお題目の力の実感をえて、所感を多少書かせていただいた。