FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

カルトはいらない

我田引水や自画自賛と間違えられるかもしれないのですが、日蓮正宗は健全な宗教です。
カルトはもうそれしか見えないように仕組んでいるので、逆にわかりやすいものです。
たとえば創価学会のために生きなさいとか、この宗教をやればすべてが解決するとか、ありえないことをそそのかして、その宗教だけにのめり込むようにしています。飴と鞭でうまく宗教組織に取り込むのです。そういう非科学的な妄想の世界に夢中にさせれば坊主丸儲けになって宗教法人はウハウハです。
冷静になって考えると馬鹿みたいなことを信じてお布施や寄付などに邁進するのです。
キャンペーンのように坊さんはゼニ儲けだけやっているというイメージがありますが、これは正確ではないことに気がつきました。実例として、浄土真宗なら生活保護受給者から一回あたり5万円の布施をとって平然としていましたが、日蓮正宗では上限が5万円になっています。
これが意味するのは、貧乏な人もどうぞ遠慮なく御寺へお越しくださいという分け隔てのない寺院運営の基本的姿勢です。仏さまに対する供養は千円札一枚からで結構です。浄土真宗では葬儀や戒名に数百万円でも当たり前にとりますが、日蓮正宗ではどんなにお金を出したくても5万円までしか受け取ってくれないのです。非常に平等にできています。
さらに朝晩の勤行という厄介な儀式がありますが、義務かと思ったらそうでもなく、柔軟に励むだけでよいものです。きちんとやろうと思ったらその時すればよいもので、なにも出来なければ信徒資格がないわけではありません。この当たり前の感覚で自主性を尊重しながら奨励するという基本的スタンスがなにより健全だと思いました。
宗教といえば、なにかとノルマとお金だけで、非合理的、非科学的なカルトのイメージが我々一般的には固着してしまっていますが、それは日蓮正宗には当てはまりません。誤解のないように敢えて記事にしておこうと思いました。
なにか暇でお金がある人たちがするものだというふうに考えている人があまりにも多いので、誤解されている理由を考えていました。悪い宗教しかないからそういう誤解が生まれているということですね。
そもそも御利益があるように見せかけたり思い込ませてお布施をせびろうというトンデモナイ宗教屋くんだりばかりでは誤解とも言い切れませんね。
日蓮正宗ですら正しい本尊への唱題の良さが分からなければ、霊山浄土の良さが分からなければ、平たく言えば仏さまというのが分からなければ、そこらのカルトとどこがどう違うのかわからないかもしれません。
なにかとあわただしくせかせかとした日常のなかで、宇宙を深呼吸するような法悦を体験することは、浅い仏教やカルトでは絶対に不可能です。
ほんとうに正しい仏教ならば貧乏な人も病気の人も集える負荷の軽い楽しい道場としての寺であるはずなのです。
そういう生きていても不慮に死んだとしても楽しいというくらいの負荷の軽い充実した修行の場を提供できなければウソ、インチキだと思います。
仏教の正統は日蓮正宗で、他は亜流です。