日本人の多くが所属している寺院には宗派がある。この際中小の禅や真言などは別にして、大まかな違いを確認しておきたい。
浄土真宗がもともと仏教の最大宗派だった。しかしあまりに狂乱ぶりが激しいので、一度国から禁止令が出たほどだった。
いずれにしても、浄土真宗の極楽浄土について、つまり理想として、文献によると才能ある学者や芸術家、障害者や女性がいない世界を想定している。浄土真宗では二乗、女人、根欠がいない世界が理想なのである。才能をはなにかけた嫌な人がいない、うだうだ口うるさい女性がいない、障害者がいない世界はどんなに幸せだろうかという世界観だから、裏を返せば二乗・女人・根欠に対しては自殺を推奨する。日本で芸術家や障害者の自殺は珍しくない。
たいして日蓮宗の霊山浄土(りょうぜんじょうど)には、すべての人が差別なく喜びをもって存在しているのであるから、違いを認め合って尊重するということが仏教の正統法華経であるとする。自殺は禁忌であり、またその必要もない。霊山において才能ある人はなんのためにその才能を使うべきかよくわかっている。女性の利点と欠点も個の尊重のために活かされる。障害者だけでなく悪人までメンバーである。いったいそれで大丈夫なのか?よからぬことが起こるのではないか?という疑義も相互尊重の魂から相互に損失が出ない。悪人の定義は刑法犯とは少し違うから。
こうして大別してみると、きれいごとは浄土真宗が得意である。対してなんでも好き嫌いなく受容するという強さが必要なのが日蓮宗である。
ご家庭で考えるとなかなか全家庭が前科犯や障害者や高齢者の面倒を見てやれているかという問題がそのまま反映されてくる。地域においても少し共通してくる。
食糧に不安があった昔のやり方であれば、排除ときれいごとも重要な要素だったが、今の時代になると、現実問題日蓮系の共生の地域社会づくりという考え方がフィットする。高齢者も施設暮らしはゴメンだし、障害者が働きたいという時代である。日本国憲法や法律がすべての国民に対するものを想定しているが、けしからんことに、いまだに行政には差別感が根強く残遺しているのである。うちは神道だから、不衛生で面倒な高齢者は施設に入れるとか、うちは新興宗教だから障害者の面倒をみないとかいう法令違反がたくさん発生して拉致監禁を行政が黙認したりひどい場合は正式に容認したりしているのである。
不適切な入所や入院という人権問題について、中国だけの不衛生な話ではなく、日本でもたくさん考え違いをして行政内部にも宗教に固執している人たちがいることは特筆すべき事実である。
二重に法に反するのは、一番不適切なのは日蓮宗系の施設預けであろう。
親族として面倒をみないだけではなく、日蓮の教えに反するからである。
真にやむを得ない限りにおいてという慎重さが求められているが、医者はもうかりゃなんでもいいのである。商業的な医業だけでは、なんでも入院入所OKとするので、医療人権センターの予算も必要になってくる。医師が慎重に判断すればわざわざ必要のない隔離などしなくてよいのだが、親族の理想のために、家庭と地域の理想のために、人権問題が今日もまた起こっている。過去のハンセン病隔離政策の反省もなおざりのようであり、私個人としては日蓮系の前向きで慎重な忍耐強い精神性を尊重してほしいと願っている。特に日蓮宗系の人たちは日蓮の教えを忠実にまもって親族はきちんと面倒をみてあげてほしい。逆に言えば、浄土真宗の人は女性蔑視、障害者差別的な宗教として見られていることを忘れずに、意識的に平等感覚、人権感覚を教育していかねば現代の時代にそぐわないということだ。