FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

師弟は選べるのか?弟子は何を選べるのか?

モスクワの高名なレオポルドアウアー先生に師事できた生徒たちは本当に幸福なバイオリニストになって実にうらやましいものだ。若くして優れた教師に巡り会う幸せこそ、人生の幸せだと思う。
今で言えばザハールブロン先生につけたら幸せなのかもしれない。合理的に愛情を持った指導ができる先生は一人ではないと思うが、ロシア式に心惹かれないバイオリンファンは少ない。
しかし生徒間で争いが起こることまでは考えなかったのだろうか?誰が本弟子なのか考えることの無意味さは音楽好きなら誰でもわかる。単なる個性の違い、好みの違いじゃないかと。

さて、所かわって東洋の日蓮には六人の弟子がいて、六人に対して一応あとを託す。しかし本弟子は一人だったというからややこしい。
日興という本弟子だけが教えを正しく理解していたからなのだそうだ。
六人とも仏教の専門家だからそれなりに知識も理解もあったのだが、残念なことに五人のものはきちんとした理解ではなかった。
本弟子が決められて面白いはずのない五人は日蓮の墓参りすらしなかったし教えも守らなかった。
面白いのはお題目はみんな同じ字面でどの流派も似たように唱えている。よく聴いてみると読み方とアクセントが微妙に違うのだが。日興門流のお題目が実に美しい。

今日は日蓮正宗菩提寺の御大会(おたいえ)だった。日蓮入滅の儀式である。
教えの詳しいところはここでは触れないが、果たして個性で済ませて良いものかどうかである。
音楽というのは個性を尊重するから、まさに違いを楽しめばよい。
しかし宗教は考え方の違い、教えにたいする正確さだから絶対ゆずらないぞと構えからスゴいことになる。論争から抗争か戦争に発展しかねない恐ろしさ。
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クラシック経験のある先生たちもしかしゆずらないぞという気構えはご立派であまり宗教とかわらないのかなとも感じる。
アウアー先生もきっと弟子たちの成長を喜んでいただけではない音楽には厳格なかただったのではないかと思う。良い師匠にめぐりあって有頂天になるのは仕方ないだろうが、その心痛というものも弟子なら想いを馳せるべきかもしれない。