FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

下手は懸命に練習し、上手は簡単な努力をするのがバイオリン

練習して頑張って上手になろうなんて、アホの極み。
練習すればするほど下手になる。
何十年やっても変わらない。
変わらないから、さらに練習してイヤ気がさすこともある。
教本をやればよいのか、音階をやればよいのか、曲をたくさんやればよいのか、ゆっくり練習すればよいのか、あの人の話を聴けばよいのか、あの本を読めばよいのか、あらゆる努力、資金経費、熱中する時間と労力は、完全にムダに終わる。
練習が好きな人がいるらしくて、まあ変わっているなと思う。
練習とはいえ、弦は痛むし、弓の毛は減るし、指板も減り、ネックは下がる。
好きな曲をさらうのは楽しいが、練習だから間違えて当たり前らしく、間違えて楽しい???
ちょっとそれはおかしいと思う。
音取りや運指運弓を目で確認したらすらすら弾けるようになるのが練習の本来の意味合いで、何度も間違えて練習とは言わない。
どれだけ一回で弾けるようになるか、その直線最短コースをマスターするためにしか、練習なんてしないのが、ノーマルだ。
二回同じ間違いをする人は演奏家になれないとまだ三歳だったわたしに母は言ったが、それはほんとうだ。
昔、バイオリン教室でみんなノーミスが常識だった。キラキラ星でもまったくノーミスだし、悪魔のトリルでもなんでもそれは同じ。
ノーミスだから発表会で弾くのである。
近年、同じ教室でみなさんがかなりミスするようになっていたのでショックを受けた。
どうやらミスに慣れてしまっている。
そしてきちんと弾けていた数名は基礎をやっていた。
彼ら彼女たちは良い音大に行った。
その他は音高音大で苦労しただろう。
何しろ一からやり直しだから。
音高音大で諦める人もいるのは基礎がないから。
七歳あたりから老人まで、みなさんが基礎をやるようになると、誰も下手な練習をしなくてよくなる。
弾きたい曲は聴いて楽譜を見ると、30分か1時間後には、ピアノと合わせられる。
バイオリンは基礎をやれば、楽しく弾けるようになる。
どうせ時間をかけるなら、基礎をマスターすることを第一にして欲しい。
先生を選ばなければ、一生を棒に振る。
百万遍練習しても、絶対に下手なままだ。
ビミョーなズレのある半端者がその気持ち悪さマックスなので、うまいつもりの方は最も深く考える必要があると思う。
バイオリンを手にしたすべての人が幸福になるように、心底願っている。
もう一度書いておくが、七歳あたりから老人まで、みなさんが基礎をやるようになると、誰も下手な練習をしなくてよくなる。
拙ブログ記事は参考に、先生を選ぶ時に判別式として活用していただきたい。

新しい世界の姿

ロシアはウクライナで暴れている。
損失も経済制裁も承知のうえ。
なぜそんな批難されるようなことをわざわざやるのか?
答えはナチスドイツへの戦勝をモチーフにした反米勢力の糾合だ。
かつての冷戦時代まではいかなくとも、反米国が近年ずいぶん増えている。
中東も中国もハンガリーも、アメリカと友好的にしても損ばかりだと気が付いた。
自由と民主主義は、アメリカ型政治では実現しないことに気が付いた。
ナチスドイツが絶対悪であることと、アメリカ帝国主義の諸問題群は確かにイコールではない。
しかしながら、巧妙にナチスドイツの虐殺を水面下に葬る手法が高度に発達していることも確かである。
たとえば黒人奴隷制度は廃止された。しかし日本人の奴隷化、植民地化が実現し、貿易相手の中国で人権侵害が多発する。
ナチスドイツが精神障害者を医療行為として殺害したのと、アメリカの精神医療で薬物が原因で毎年万単位の精神障害者が死亡しているのと、収容殺害か各家庭で殺害するかの違いである。
貧困層が大量に滞留する地域の治安悪化、医療体制の貧弱さなどアメリカ帝国主義の現実は旧ソ連とそれほど変わらない。
支配層が裕福なだけで、国民生活はまともではない。
軍事的にはまだアメリカ側が圧倒的に優勢だが、まともにやりあうと中国ロシアインドなど大国の巨大な軍備は実際上手に負えない。
もしアメリカが真に自由と民主主義の人間の尊厳を認める政治外交と経済活動をしていれば、そもそもNATO拡大はやらない。
ただの帝国主義の復活のやり方を中国とロシアインドは警戒してきたからこそ、今のウクライナ戦役をきっかけに結束したのだ。
そしてこの流れは、歴史的に大きな流れとして認めざるを得ない。
実はアメリカとNATOは少数派であり、世界のバランスではなんとか過半数にできるかどうかという実に絶対的なものではない。
やがてロシアインド中国をコアにした中立的な国際連合体が形成され、対話と共生の外交グループが構築されるだろう。国連は実際中国寄りだ。
アメリカの自由と人権の看板が、実際上はユダヤ系傘下に上納金を強要することで、まったく実現しないことを正確に視ている人たちからすると、どちらが正しいかではなく、いかによりよい人権状況を作るために対話するかという路線になる。
アメリカもロシアも不完全でメチャクチャな足下から崩壊するのが軍事力行使の原因であり、戦争を批難する前に、アメリカとロシアの問題を建設的に議論するべきなのである。
ウクライナのネオナチがロシア人を大量虐殺をしたことが戦役の原因であると同時に、各国のリーダーたちが自国の人権状況を改善できなかった事実と向き合うべきなのだ。
自国も統治できないのに、ロシアが悪いとかアメリカが悪いとか、そういう無駄な批判合戦はそろそろ人類史に遺さないようにしなければ、とても恥ずかしいと思う。
各国の宗教を改宗して、日蓮正宗に入信して、自国の人権状況を一件でも改善する努力に傾注していただきたい。
ユダヤキリストは愚かである。
なんでも相手のせいにしているが、損するのは当事者だけではない。
キリスト様が天で嘆いているだろう。
ゼレンスキーやバイデンは馬鹿な弟子たちだと。
第二次大戦の枢軸は大国ではなかったから、連合軍は楽に勝った。
第三次大戦は大国間で核戦争以外には終結しない泥沼戦争となる。
ウクライナをきっかけにした秩序バランスの変化によって、人類は大損する。
なにより貧困層や貧国の悲劇が拡大している。
あらゆる犯罪や虐待など人権侵害のきっかけになる世界的混迷こそすでに始まっている世界大戦なのだ。
沈みゆくアメリカ帝国主義の復活の野望こそがウクライナ戦役の原因である。
線香花火は燃え尽きる最期に光を強く放つ。
アメリカは存続するが、西側の自由と人権状況すら消滅するのではないかと危惧していたとおり、ウクライナにまともな生活はなくなった。
細々とした自由のささやかな幸福が守られるように、日蓮正宗で祈るばかりである。

自分が仏に成ったと感じること


日蓮は死んで成仏することと同じくらい生き仏になることを重視した。
釈迦は30歳で仏に成ったと言うが、法華経で実は過去世から修行してきたことを明かす。
立派な人格者として完成するための修行とどこまでも仏の魂を維持するための修行を並立同時進行させるものでなければ、われわれには役に立たない。
日蓮正宗で唱題を中心に教えを学んでいると、ある時、日蓮の言葉がそのまま自分の魂と一致していることに感動する。
現代人は、優秀であればあるほど傲慢になり、自分が神になったと思って私利私欲に走る。他人の不幸は当事者の問題だとする。
日蓮はどれだけ凄くても、法華経(南無妙法蓮華経)がまず先にあってのことと謙虚だ。
そして世の不幸の原因が法華経無視、誹謗から生じるという根本の問題を指摘した。
日蓮法華経を中心にした見方は、便利で自由な現代には価値のない無意味で非科学的な視線ではない。
唱題しながら御書を学んで、日蓮正宗寺院で御僧侶の姿を拝していくなかで、自分が日蓮の分身仏であることもわかる。
不思議な感覚がして、現代人がいかに不幸で危うい繁栄を追い求めているかよく見える。
わざわざ他人や知人に宗教を勧める宗教は日本では日蓮正宗系とキリスト教系しかない。
地域の幸福を願って確かな悠久の魂を獲得していくこと能う宗教は日蓮正宗しかないのだが、その場しのぎやとりあえずの方策としての宗教や科学に飛び付く人たちがほとんどだ。
唱題と御書と御僧侶のおかげで、この乱世に自分を確かに明らかに生きることができる。
自分は本来、仏だったのだとわかる。
生まれる前から仏だったし、永遠に仏である。
一般人からすると、さっぱりわからないのだろうが、本職の僧侶の中の専門知識まで学んで、経験していく中で確認している。
どの宗派がどの段階まで日蓮の教義を理解しているのかも歴然としており、日蓮正宗は世界のあらゆる宗教を俯瞰している。
そもそも何が幸福なのかわかっていない人類が溢れかえっている。
気の毒なことだが、救いのない現実の中で多くのエリートすら絶望している。
目先をこなすだけの動物的な一生とは次元が違う仏に成ることをまず第一に人生設計すると、あらゆる生命は躍動することができる。
能力とか生まれとか才能とか地位とかは、幸福の要素ではない。
魂がどのような魂なのか?
魂こそ幸福の決め手であり、日蓮と一致している人たちは、個性豊かにそれぞれ人生を謳歌している。
どうでもよい幸福に一生を棒に振る所詮生き物で終わるのは、感心しない。
当然、死後は地獄であることも予定している。
自分の命、魂が永遠の中のものであり、死後も続くものだということすらわからない人間があまりに多いが、法華経の内容も知らないし、釈迦の師匠も知らないし、無限の宇宙全体に溢れるエネルギーの種別もわからない凡人たちには、無理もないことである。
永遠の魂を体感し、仏と一致することができる日蓮正宗には価値がある。
自分が1番のアホな現代人たちは、深く考えるべきだと思う。

漫画「月曜日のたわわ」は問題?

女性の権利を専門にしている人たちから、つまり女性から問題だとされているという。
そんな漫画があったとは知らなかったから、報道は漫画の宣伝に一役買ったことになる。
少し見てみると、ありきたりな男性の願望をくすぐって妄想を楽しんでもらおうという意図がわかりやすい。
この漫画で痴漢を助長することはない。
性的な漫画ではなく、女性の特徴的な体型を描写して、その特徴から生じる様々な心理変化や事件事故が起こるのをストーリー化する漫画だなと思った。
わたしが小学校のころに、発育のよい女子のたわわなバスト(Hカップくらい)を同級生の女子がみんなの前で揉みしだいてムフフと言い、揉まれる側の女子もニンマリしていることがしばしばあったのだが、誰一人問題にしていなかった。
2人ともまあまあ成績優秀で、揉むほうの女子は医者の娘で、ありきたりなムフフで、それ以上の間違いが起こらないという周囲の見方が確定していたからだと思う。
哺乳類がおっぱいを問題にすると、哺乳類として支障が出る。
おっぱいが大きいと漫画の素材や映画の女優に使えないことになる。
綾瀬はるかみたいな女優はいくらでもいる。
街も歩けない。
学校にも行けない。
会社にも行けない。
なにひとつ市民生活が成立しない。
もちろん犯罪は悪いし、意志の強要など権利侵害がないように、教育、宗教、地域防犯などは必要だが、この漫画はほぼどうでもよいお笑い系の表現に過ぎない。
人間は哺乳類であり、両性ともにおっぱいが必要不可欠で成育し、性的なアピールや営業的な利用をする女性がたくさんいるのは、両性ともにある程度おっぱいを好んでいることの証明だ。
性を売ることがほんとうに悪いのであれば、たいていの男性は働けない。
そもそも働くのは男性が男性らしさを求められている延長だからだ。
女性らしさや男性らしさを固定化せずに、個々の美質や美点を皆で活用しているのが、現実の社会だ。
昔から服装で大きなバストを隠す女性も一定数いるが、性的な視線を嫌う人たちもいれば、古風に男性に配慮している人たちもいて、必ずしも消極的な権利問題とは限らない。
問題視する人たちは、かえって世間の視線や受ける視線の意識を偏向させていく。
大きくてもよいのだという、むしろ積極的な権利擁護と個性容認のあたたかい視線で、女性たちを見守るゆとりが欲しい。
多くのニュースでバストを取り扱い、バスト描写を問題にすること自体が、女性の意識を歪めて、男性の性的な視線を増幅し、強調することになる。
悪循環なのである。
もう少し具体的な痴漢対策とか鍵閉めチェックとか、女性の人格や特質の理解を深めるような啓発をするほうが価値がある。
女性の本性は男性とは違う形で馬鹿らしいことに変わりはない。
電車やエレベーターで大きすぎて周囲に当たりまくって、ほにほにしながら生きている女性もたくさんいるが、誰一人迷惑とは思わない。
人間をよく研究して、宗教や道徳をきちんと学び、バスト描写ごときに揺るがない人格形成につとめたい。
古典はその知恵に溢れていて、女性差別の合理性とか合理的配慮を理解するための教科書がたくさんある。
勉強不足で問題に感じているだけなのではないかと思ったが、宗教(教科書)を間違えていることも充分に考えられる。

米露は余裕でウクライナだけ大損

マリウポリに住みたい人がいる。
連日、ウクライナに武器支援の話ばかり。悪いロシアをやっつけようキャンペーン。
経済制裁も多少きいてきて、いよいよロシア軍を退散させるようなイメージ戦略。
ウクライナ自由主義は絶対に正しくて勝利すると懸命に宣伝している。

しかし実際上ロシア軍を追い払うまでにはまだまだ相当の時間と犠牲者が必要である。
もうすでにウクライナの犠牲者や損害は甚大で取り返しがつかない深い傷痕を残した。
さらなる死者を増やそうという意図はまともではない。
ウクライナ側は犠牲を隠している。
武器さえあればという言葉が顕しているのは、ウクライナ人がいくら死んでも構わないという傲慢さである。

キャンペーンと真逆に、フランスの極右が台頭し、反ユダヤ主義の国々は新たな世界秩序を構築しつつある。
第一党とか最大派が過半数の優越性をもって世界を統治しているのであれば、誰もがユダヤ教徒キリスト教徒になるはずだが、事実は異なる。
第一党でも最大の宗教でも世界全体から見ると少数派に過ぎない。
米露中印欧のすべてと交易学術交流がうまくいくことはない。
大国それぞれの思惑とのすりあわせになる。

中小国が核兵器なしで繁栄する道は、対話と平和しかないということが、事実のうえで明らかになった。
国土が荒廃し、国民が死傷して、いかに戦闘に勝利しても、もはや手遅れである。
ヒロイズムやありもしない自由と民主主義の夢想に酔いしれて、我が国の国土を破滅させてはならない。
エネルギー食糧インフラをまず確保してから、人口を安定的に増加させ、それに応じた兵力装備を維持するべきだ。
ユダヤアメリカの植民地支配の犠牲として、エネルギー食糧人口問題が深刻化し、日本の地力は絶対的に衰えた。
アメリカ本国すらまともに維持するのは困難になっており、とりつくしたあとの荒野が広がる悲惨な自由主義陣営の真実を見なければならない。
政治が国土の基礎構造を方向づけ、その上で国民が国家社会に貢献していることを今一度考えるべきだ。
戦争は基礎を破壊するが、戦闘以前に自由の暴走による基礎の破壊がなされている。
化学肥料で土を駄目にして、毎年肥料を買わせる商法だけではない。
国民を自由で駄目にして、毎日TVCMで商品を買わせる商法も同じ。
人間の基礎を破壊する危険な宗教戦争

ユダヤキリスト対反ユダヤ
この構図はユダヤが世界帝国の野望を果たそうとして作られるシナリオが元凶である。
平和と繁栄のためにではなく、一握りが世界を支配するためだということを、どれくらいの人類が理解しているのか疑問だ。
戦争と殺戮を好む野蛮な人類の愚かしさを超克できるかどうか?
共存共栄か悪役を設定するか?
どの地域でもそうであるように、地球でも共存共栄の哲学を理解している人たちがいないわけではない。
世界のマーケットリーダー、軍事経済リーダーシップたるユダヤアメリカ帝国が意図的に敵陣営を形成させている。

中小国の生き残る道は?
戦災ウクライナだけは御免こうむりたい。
まともな生活ができる対話と共存共栄の哲学で国を繁栄させるリーダーシップが求められている。
生命と財産が基礎部分の前提がなければ、政治は信頼されない。
日本人がみなさん死んでも構わないという発言の高市氏が、ノーマルであるとは到底思えない。

神道と民主主義は水と油のわかりやすい事例報道

東京 千代田区
「憤りしかない。民主主義がない」 神田警察通りのイチョウ並木伐採 抗議の中、千代田区が工事着手
2022年4月26日 06時00分

 都心の学生街のシンボルとして住民から保全を求める声が上がっていた神田警察通り(東京都千代田区)のイチョウ並木について、道路を管理する区が25日、伐採工事に着手した。住民からは区の強硬な姿勢に批判の声が上がっている。(井上靖史)


 同日午後7時半ごろ、並木の周辺に工事用囲いを設置する作業が始まった。「伐採反対」「樋口(高顕)区長、無視しないで!」。抗議のため集まった約30人の住民らはプラカードを掲げて工事中止を訴えた。
 対象地は一ツ橋―神田警察署前交差点間の230メートル。4車線ある区道1.4キロの車線を減らし、歩行者や自転車用の道路を整備する計画の2期工事で、沿道のイチョウ32本のうち30本を伐採、2本を移植する。跡地には新たに39本のヨウコウザクラを植える。工費は3億7000万円。
 イチョウの樹齢は、地元の高齢者の記憶から少なくとも半世紀以上とみられる。(※本ブログ筆者注、銀杏の寿命は800年のものもある)学士会館共立女子学園など教育関係施設が集まる文教地区の歴史景観が消えることを惜しむ住民たちは「神田警察通りの街路樹を守る会」を結成し、計画の見直しを求めていた。
 区は伐採方針について、町会長や観光協会などでつくる「沿道整備推進協議会」に説明し、合意を得ていると主張する。だが、初めての住民説明会の開催は、業者と工事契約を結んだ後の昨年12月。多くの住民にとって伐採は「寝耳に水」だった。
 2018年に完了した1期工事(220メートル)はイチョウを残したまま整備したが、2期について区側は伐採しないと歩道の十分な幅が確保できないと説明。工法の工夫で対応できるとする反対住民は21日、伐採の手続きが不適切だとして関連予算を執行しないよう求める住民監査請求をした。監査結果を待たずに伐採が強行され、守る会の滝本幾子発起人代表(72)は「憤りしかない。民主主義がない」と話した。
22日に伐採を伴う工事の安全祈願式があった。
イチョウ伐採計画に住民が反対する中、伐採を伴う道路工事の安全を祈願する神事が現地であった。

本ブログ筆者注
反対意見に対する神事を公務として公費でまかなっている。
神事とは、民主主義の全否定そのものである。
千代田区だけの話ではなく、日本国そのものの重大な起点である神道こそ日本人を弾圧しているオカルトである。
たかが街路樹ではなく、政治決定のプロセスを踏みにじる暴挙だ。
この類いの政治の暴走を多く見て、神道創価学会だけは信仰しないことを深く決意している。

バイオリン講師が生徒を育てることができることは少ない

カールフレッシュは演奏家としても優秀だったそうで、多忙な中で名著バイオリン演奏の技法を書いた。
天からの使命を感じたのだろう。
世界中の文化遺産となった。
その師匠レオポルドアウアーは毎日4時間個人練習をしていたそうだ。
教育指導する以前に、まず自分のメンテナンスに大きなエネルギーと時間が必要なので、他の専門職同様、バイオリン講師という仕事はハードだ。
公園で息抜きもしなければならない。

経済的に困窮している生徒には教材をコピーしてあげると支障ない。
暇な人は問題ないが、演奏会の案内が教室によって限定されるので生徒は注意が必要。
生徒は段階に応じて毎日30分から3時間程度の準備が必要。
基礎から丁寧になんべんも同じことを教えて、できるまで辛抱強くお付き合いする。
スズキの指導者ならタカタカタッタの弓をおぼえるまで最長6ヶ月程度は覚悟しているそうだ。
わたしの先生で芸大院卒の先生はシュラデークひとつに連続ではないものの2年以上お付き合いくださっている。
別の先生はクロイツエル一冊に恐らく2年余りはお付き合いいただくだろう。
進行速度は皆さん年齢や状況で違うのだが、これを継続的にやれる先生も生徒も少ない。
どんな街に住みたいかと言えば、バイオリンを続けられる今の街に住みたい。

先生が指導する内容は言葉を通した音響で、お手本や仲間の音響からおぼえる。
誰でもできることだが、言葉にとらわれ、言葉に迷い、言葉のとおりにやって、間違える人がほとんど。
要領がよくて呑み込みが確実な生徒は少ない。
これはまず先生が指導の順番をきちんとやれば解決するし、呑み込みや進行速度は飛躍的に上がる。

生徒が1日に3時間とれない場合、指導内容の優先順位はさらに重要で、微塵の誤差は生徒を殺す。
そもそも3、4時間も毎日弾く必要がある楽器だということを知らない生徒は時間とお金の浪費が先に決まっている。
3時間のラインを死守する(月や年に何日休んでも構わないが)人たちだけが教えがいがあるということになる。
だから、先生たちはほとんど順番どおりに教えている体裁だけで、いいかげんにメチャクチャな指導になる。
生徒はそのうち面白くなくなる。

日蓮正宗の信心でも同じである。
完全かそれ以外。
やるのかやらないのか。
100か零の2つしかない。
完璧主義というのとは違う。
医者が処置や処方を少しミスすると、患者は死んでしまうことがある。
そして完全さの内容は複雑多岐に航る。
単科診療だけでは健康にならない。
四則演算でミスする人に曲は弾けない。
基礎問題で満点とれたら専門家と中級課程に進むが、30点から98点で次の課題に進む先生が多い。
育てる意志はない。
生徒は半端な下請音楽家か下手になるために人生を浪費するしかない。
基礎教材に取り組むだけで満足する人もいる。なにを練習しているのかわかっていない人もいる。
先生がなにを指導しているのかわからない人がほとんど。
できるまで辛抱強くお付き合いしない先生となにを練習しているのかわからない生徒。
指導するほうは生徒の責任にするし、生徒は教え方が悪いと言う。
99点でよいのは、100点を明確に意識できていればである。98点は不合格。
不合格でも相当数が音大には合格する。
こうなると意味不明だという人がほとんど。
そもそもバイオリンをまともに弾ける人たちは、医者レベルの知能や教養が必要。
ひとつ違えば医者になる能力と感性。
逆に言えばバイオリンをきちんと学べば医者レベルの能力が開発されることが多い。
ウォーキングを楽しむようにバイオリンを楽しみたいのなら、ビオラやチェロのほうがよい。
対人関係が一番難しい楽器で、プロですら歪んでいるが、まともに弾くためには、そうならざるを得ないのが日本人だ。
まっとうではない音楽家がざらなのも、レベルが低い人間がカネで完璧をやろうとするから。
神経質で過敏症で潔癖性の世間知らずな人たちが、生徒のアラばかり目についたら、育てるよりしごくから、日本人にはバイオリンが不向きなのは当たり前。
高額報酬か縁故でお付き合いするケースのほうが多い。その場合はなんとか着実に育つ。
これを読んでバイオリンは難しいと思ったら馬頭琴などのアジアの弦楽器なら大丈夫だと進路変更するのもひとつだ。
アジアの60点基準のぼけた墨絵音楽なら日本人にも習得できる。
なかなか日蓮正宗はできないというのと、バイオリンは難しいというのは、ほぼ完璧に同じなのだが、それぞれを完全に理解している人があまりに稀少なので、科学的な分析のほうが一般人には理解しやすい。
かなりマニアックなブログである。

格式や権威あるコンクールで優勝し全国レベルで入賞しても、バイオリンが嫌になる人たちも多く、基礎がおぼろげで弾けなくなるひとも多く、育てたという内容がバイオリンだけ完璧でもダメだから、アウアー先生がいかに素晴らしい人格者だったのかがよくわかる。
音楽は人間であり、芸術の重要な一翼であり、人類史そのものである。
バイオリンに憧れて手にしようとする人たちは、普遍的価値のわからない音楽家がありふれていることをまず警戒するべきだ。
現代の音楽家は九分九厘どこにでもいる技能をお金にし、名声で売ろうとする専門職の人たちにすぎない。イベントエンターテイナー。
音楽が楽しいのは、そういう前提やこの記事の内容を了解しているコミュの空気が楽しいのである。
鱗粉や香気に寄せられて餌食になるだけの害虫になってはならない。
尊敬や信頼は西洋の文化総体に対するものであり、普遍的音楽文化に対するものであり、演奏家はその一員としての助役であって社会全体の奉仕者でなければならない。
ニセモノの真似事ばかりで、生徒を育成しない業界に公的支援はまばらであり、日本人演奏家たちと政治家たちが、きちんとした哲学性普遍性ある音楽活動に転換していくことがない限り、音大をでてもなおバイオリンは損する楽器である。
肝要な確実な育成と成長があれば、世界の天人や菩薩たちからの徳分と人類的幸福が約束されている。
詐欺みたいな資本主義の悪弊業界だけは虫酸が走る。
誰でもできることだが、特別な才能だと言うためにあらゆる論理的偽装と責任転嫁がなされ、高価で贅沢なものにカテゴライズされているだけのものは、そもそも教育や育成という概念や哲学をまったく理解していない日本文化なのである。
白人を担がなければならないのは、日蓮正宗を闇に葬って下位の後回しにする日本人の宿命であり、日本の国教会を日蓮正宗にする奇蹟でも起こらない限りは、日本人は力んで我々は幸福だと喧伝する必要がある気の毒なユダヤの僕にすぎない。
虐殺を巧妙に善意だと偽装している世界システムと生徒が育たない日本の音楽業界。
ユダヤに媚びへつらって上納金ができれば幸福な人権を認めてやるという世界秩序で、数十億人が苦しみ悶えているが、そもそも自分が苦しいことを知覚認識できない人類にしていく洗脳行程は非常に順調である。
ヒトラーは昔のユダヤ人ではない。
ナチスは昔のドイツ統治思想ではない。
今の世界秩序そのものだ。
人間を人間ではないただの生物にすれば、戦争も虐殺も正当化できるのだ。
だからその思考から生徒を育てようと思う教師がいないのは道理なのだ。
わたしは自己努力が前提だから、先生に指導していただける人間の幸福な人生を歩むことができる。
人間とはなにか理解できる日蓮とキリストの話がよくわかる。
わたしは日本人ほどバカではない。
ヴィルトゥオーソがいなくなり、芸術に対する圧迫は強くなった。
人間を抑圧することが、人間を動物化し、人間の思考を偏向させ、文化歴史遺産を消滅無効化する。
人類が不感症になって不幸になっていく中で、日蓮正宗の唱題と欧米のクラシック音楽はとても重要だが、酔いが醒めるのを怖れている人類は無駄に努力して無駄に死んでいくしかない。
そういう日本人演奏家の最高峰がヨーロッパでは平均点の評価ばかりなのは至極当然である。
とても残念で不幸だが日本人は大したことない。
そもそも不幸を自覚する能力すらない。
かわいそうな動物たち。