FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

漫画「月曜日のたわわ」は問題?

女性の権利を専門にしている人たちから、つまり女性から問題だとされているという。
そんな漫画があったとは知らなかったから、報道は漫画の宣伝に一役買ったことになる。
少し見てみると、ありきたりな男性の願望をくすぐって妄想を楽しんでもらおうという意図がわかりやすい。
この漫画で痴漢を助長することはない。
性的な漫画ではなく、女性の特徴的な体型を描写して、その特徴から生じる様々な心理変化や事件事故が起こるのをストーリー化する漫画だなと思った。
わたしが小学校のころに、発育のよい女子のたわわなバスト(Hカップくらい)を同級生の女子がみんなの前で揉みしだいてムフフと言い、揉まれる側の女子もニンマリしていることがしばしばあったのだが、誰一人問題にしていなかった。
2人ともまあまあ成績優秀で、揉むほうの女子は医者の娘で、ありきたりなムフフで、それ以上の間違いが起こらないという周囲の見方が確定していたからだと思う。
哺乳類がおっぱいを問題にすると、哺乳類として支障が出る。
おっぱいが大きいと漫画の素材や映画の女優に使えないことになる。
綾瀬はるかみたいな女優はいくらでもいる。
街も歩けない。
学校にも行けない。
会社にも行けない。
なにひとつ市民生活が成立しない。
もちろん犯罪は悪いし、意志の強要など権利侵害がないように、教育、宗教、地域防犯などは必要だが、この漫画はほぼどうでもよいお笑い系の表現に過ぎない。
人間は哺乳類であり、両性ともにおっぱいが必要不可欠で成育し、性的なアピールや営業的な利用をする女性がたくさんいるのは、両性ともにある程度おっぱいを好んでいることの証明だ。
性を売ることがほんとうに悪いのであれば、たいていの男性は働けない。
そもそも働くのは男性が男性らしさを求められている延長だからだ。
女性らしさや男性らしさを固定化せずに、個々の美質や美点を皆で活用しているのが、現実の社会だ。
昔から服装で大きなバストを隠す女性も一定数いるが、性的な視線を嫌う人たちもいれば、古風に男性に配慮している人たちもいて、必ずしも消極的な権利問題とは限らない。
問題視する人たちは、かえって世間の視線や受ける視線の意識を偏向させていく。
大きくてもよいのだという、むしろ積極的な権利擁護と個性容認のあたたかい視線で、女性たちを見守るゆとりが欲しい。
多くのニュースでバストを取り扱い、バスト描写を問題にすること自体が、女性の意識を歪めて、男性の性的な視線を増幅し、強調することになる。
悪循環なのである。
もう少し具体的な痴漢対策とか鍵閉めチェックとか、女性の人格や特質の理解を深めるような啓発をするほうが価値がある。
女性の本性は男性とは違う形で馬鹿らしいことに変わりはない。
電車やエレベーターで大きすぎて周囲に当たりまくって、ほにほにしながら生きている女性もたくさんいるが、誰一人迷惑とは思わない。
人間をよく研究して、宗教や道徳をきちんと学び、バスト描写ごときに揺るがない人格形成につとめたい。
古典はその知恵に溢れていて、女性差別の合理性とか合理的配慮を理解するための教科書がたくさんある。
勉強不足で問題に感じているだけなのではないかと思ったが、宗教(教科書)を間違えていることも充分に考えられる。