FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

単純比較 願い事は 神社仏閣教会? 賽銭ドロがなぜ繰り返されるのか?

ふつう大学や資格や結婚や就職がうまくいくように、なにか神様に。

そうするとうまくいく気がしたり本当にうまくいったり、それで神様を信じている人も多い。

冷静に考えると自分の知恵や努力でうまくいくだけだ。

特に日本人は、社会的支援なしに親の支援だけで成長して世帯分離するから、神様というより生まれつきの幸運頼みに近い。

そこで視点を変えてみるべきだと気が付く。

本当にピンチな時に、どこの誰が助けるか?どこのどの神様が救うか?死なずに済むか?

時折、ニュースで観た人も多いはず。

賽銭ドロ。

日本の神様は賽銭ドロを告訴して逮捕させるのを教えとしている。

お賽銭の還元、還流、返還とは考えない。

考えるとキリスト教イスラム教の寺院ではそんなニュースはまったくない。

誰しも努力し試行錯誤した結果困窮者になってしまったことに変わりない。

いくつかのある都心のターミナル駅では、キリスト教イスラム教の信徒さんたちが困窮者らしき人たちに弁当やお札を手渡して支援しているそうだ。

むしろ教会で食事を振る舞い古着を与えたりする。

神社だけが異常に無慈悲である。

かつそれはそのまま自己責任論が刑事司法費用の無駄遣いを生んでいることになる。

神道が政府をコントロールしているから、給付や支援を正式に認めずに例外扱いしているのだろう。

イエス・キリストマホメットヤマトタケルノミコトと並んだ時には、誰が最も野蛮で愚かであろうか?

信教の自由は、国民全員に認めなければならない。

全員を無理矢理神道に従わせる強制参拝の姿勢は、かつての大日本帝国時代と同じだ。

神道の内輪揉めのニュースと公的資源の浪費は、日本人として恥ずかしい。

公的に全国の支援団体を頼るように公共広告、政府広報がさらに必要だ。

情報操作による行動制限はカルト宗教の手口である。

わずかな金額の犯罪実行に追い込む宗教が神道系だ。

政府は本来特定の宗教のために施策はできない筈。

みんなで犯罪予防対策と困窮者支援ができるように計らえる神様たちの連帯こそ人類の一員だ。

賽銭ドロニュース今日は岡山西警察署から、我が国のヤマトさんは情けなくもまた沈没である。

最近は若者たちも特攻隊よろしくひどい犠牲者ばかりであるが、やっぱり若者たちを救わずに死に追いやるのが神道政府なようである。

報復攻撃のために「死刑にしろ」とかまだ現代に言う未開人もいるものである。

みんなが最低限学び続けながら生きられる地域になるように手を合わせるならば、鳥居を避けることがまず第一の基礎条件だと思うが、よりよい国にしていこうという人たちなら一定の理解はできるのではないかと考える。

自己保身を優先して支援の美名の下に悪事を働くものたちには、わからない話である。