FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

価値観の衝突が戦争に 国民はなぜ戦争を支持するのか

なぜ勝てない戦争をはじめるのか?

昔の日本もそうだった。

ユーチューブ動画でたくさんのインタビュー動画があり、モスクワ市民の声を紹介しているので、気が付く人達もいるはずだ。

一般の報道では、ウクライナNATOは自由と民主主義の繁栄で、豊富な武器弾薬を供給されて勝利は当然だと言う。

経済と資金がまず第一で、日本のコメンテーターたちも異口同音に、資金がすべてで、あらゆる勝利は資金で勝ち取られるとまで言う。

それは1つの偏った考えだが、多くの日本人も似たりよったりだ。

モスクワ人達は、ロシアの豊かな資源と誇りからくる幸福感を語る。

ロシア正教も中国の伝統文化も人間形成や練磨、自然環境を活かす知恵を優先するため、軍事力の規模は大きいが予算はそれほどかけていない。

自分たちにおカネがないと嘆いている人が誰もいないし、誇り高い幸福感、つまりおカネに媚びない。

幸福感がおカネとイコールになっている欧米日本の感覚とは違うのかなと感じる。

それはインドに少し近い。

おカネにガツガツするのは、最貧困層と同質で不幸で見苦しく、ましてやNATO拡大を狙って人の物まで獲ろうというのは、どうなのだろう?

ロシア政府にも領土的野心が歴史上ノーマルにあるが、一般のロシア人たちには下品な営利的野心はほとんど認められない。

清貧を愛しているキリスト教の伝統が生きているところもあり、抑圧されて貧困で苦しむ市民もいる。

でもそれは、現代日本でもまだ同じ清貧は生きているし、政治参加出来ずに貧困に苦しむ日本人はたくさんいる。

感じ取っている人もいるだろうが、ほんとうはロシア人と日本人はよく似ている。

ただ政治的にアメリカ寄りの政府や政権が国を牛耳って、すべてはおカネとマスコミやメディアで大衆洗脳を成功させて、日本人の伝統文化を破壊しているから、清貧や勤勉さや誇りという人間性を蹂躪侮蔑しているだけのことだ。

アジア文化でもあるが、グローバリズムで日本文化は矮小化され特殊化された希少絶滅危惧種にされている。

日本文化や日本人の利益、社会正義(≠社会主義)に基づく公益国益を主張するとたちまちに危険な民族主義のレッテルを貼られて集中砲火を浴びる。

インディアンを皆殺しにする勢いで、日本に息づくアジア文化はカルト政権から否定される。

それとまったく同じように、ロシア文化を滅亡させようとしているのが、ゼレンスキー政権とその支援国である。

世界中で地域性豊かなオーケストラが変容して一律の同じような世界標準オーケストラになってきたこの数十年、地域性や民族性や特有の文化色は徹底して叩かれてきた。

その中心役はイスラエルユダヤだろうし、金銭収益や軍事力むきだしで世界を支配するために何でもやってきている。

ある部分ユダヤとどこかで折り合いをつけなければ戦争になる国際関係上の仕組みだ。

ロシア政府はその程度は理解しているが、ゼレンスキーのたちの悪さは、ロシア語が母国語のユダヤ人だというところだ。

ロシア人を滅亡させることを第一にして、ウクライナ人の味方ぶって戦争一択の政治をする。

ウクライナを中立から戦争へと導いたが、それはおカネがすべてと国民教育するのに成功したからだ。

地域性を保存すれば、収益率はそれほど上がらないが誰も困っていない。

しかしわざわざ地域性を破壊すると同時に人間性、宗教性、文化性、民族性、歴史性までもを破壊してしまい、グローバル企業収益が増えるかわりに、市民の不幸や私利私欲の弊害が増える。

ウクライナ領内のロシア人との共生文化を破壊してロシア人に自治体が不当採決を出すたけでなく殺害してまで、ウクライナを欧米化する根拠が完全に正当であるとはいえない。

誇り高いロシア人は、華僑やユダヤ財閥に媚びへつらうことはせずに、明確にロシアを守るために必要なことは何でもやると決めている。

グローバル企業はすでに叩き出して自国企業に置き換えた。

道理で経済も衰退するはずが繁栄路線で落ち着いた。

健気な愛国心が報われているのは不幸中の幸いである。

一方で自由と民主主義という甘い誘惑でウクライナ人をおだてあげて戦争をさせ、ロシア軍は残虐だと言う。

戦争が残虐なのであって、ロシアが残虐なのではない。

グローバリズムで派手に気取る末路はどの国でも悲惨で哀れなものである。

ウクライナの多くの町は廃墟になってきた。

日本人労働者の賃金や年金は低下している。

欧州ですら電気代水道代が数倍になった。

価値観がグローバリズムという美名の卑しい商売人根性にすぎないことに一番気が付いているのは、伝統的アジア人だ。

それはインドロシア中国日本の至るところにある古典的常識の範疇で理解されている。

日本人の自滅は日本神道とカルト創価ポピュリズムによる民主主義名目の多数派工作でなされている。

古代近世から政治家が金儲け、商売というものの分をわきまえてこそ、地域の人間的幸福は実現されてきた。

商売が一番ではないという基本がもはや分からなくなった日本人たちを扇動すると、今の主要政党になる。

民が餓死する条件を追求するのがコマーシャリズムだ。

身ぐるみもはぎ取って、人の健康を害し、親族間を非人道的関係性に陥らせ、武器をとって敵と戦えと政権とテレビで呼び掛ける。

ロシアや中国の非人道的犯罪の疑いについては、氾濫しているから触れない。

真偽の程すら定かでない。

そう見ればそう見えるものだ。

一定程度の改善余地はあるという中立的な視点こそ重要だ。

敵と戦う前に、日本も含めた自国の非人道的犯罪を一定程度改善する努力を法的・経済的・人的に推進させる民意の表明と反映が必要だ。

人間の価値観はおカネでは計れない。

われわれが計っている価値は動物的物理的な価値観に過ぎない。

軍事優越性は無論のこと、経済優越性もまた非人道的価値観を晒す下品で野卑な愚かしさであることを銘記したい。

大枠では、中国と日米の軍事衝突は充分にあり得る。

中国政府と軍の戦闘意欲は充分あり、政権はナショナリズム推進、中国周辺海域の地の利は中国軍の軍事劣等性を補って余りある。

中国にも知恵のある誇り高い人間は大勢いる。

対話は相互に認め合う心から始まるが、世界の王、世界の覇者をやろうとしている二巨頭に対話の兆しが見えない。