FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

合意や国際世論足並みに無理がある 法正義をふりかざすと・・・

一応、国際世論として国連でロシアが悪いとされてきて、数年前のウクライナ領からロシア軍を排除することを正当公正な停戦条件の第一にするのは理解できなくもない。

しかし、近接近隣の国々ですらウクライナのために全面的協力ができるわけではなく、NATO各国は国力兵器ノウハウの小出しであり、それ以外の世界中の国々となるとそもそもロシアとの利害関係国も多いから国連ですら全会一致になるものはほぼありえない。

もともとこのウクライナ戦争がウクライナとロシアの問題であって、一方的にロシアに責を帰することに無理があるのだ。

軍が侵攻した部分だけを切り取って追求すれば確かにロシアが悪い。

しかしウクライナとロシアはそもそも真剣に協議交渉を貫くべきであり、そのためのNATO各国の協力体制が敷かれていたわけで、それを戦争するぞと早々に決めて政府と国全体で動いたウクライナの責任もまた重大である。

日本人はアメリカとの関係と軍事的対峙があるから、中国ロシアだけが世界の敵だと言わざるを得ない所で見てしまうから、その戦争の原因が両者に厳然と存することを見ようとはしない。

中立的ではなく、停戦への助力を拒否して、専守防衛というのは成立しない。

日本政府、防衛省専守防衛はウソである。

日本人とはいえ、自由な市民なので、本来は中立的にロシアともウクライナともうまくやっていければよいが、兎にも角にも敵と交渉や協議ができなくなるのは上首尾ではない。

戦争になってしまえば、それで勝ちとする政治的思惑で政府が動くと、もはや外交などありえない。

国力と専守防衛体制を充実させるならばまだ理解の余地があるが、国力はガタガタになってもとにかく戦争したいだけの日本の未来は暗黒と悲劇で覆われるだろう。

ひたすらウクライナ人に犠牲を生み続ける戦争を支持しきれないヨーロッパ人たちも電気ガス代や食料品等の物価高騰に苦しんでおり、ウクライナ人死傷者だけでなく、もはや世界中に嫌戦ムードを通り越した反戦国すらある。

国際社会正義は勿論大切だが、戦争そのものを手段として採用しているのはウロ両国である。

そこに介入するのであれば、兵器や死傷者の問題だけでなくて両国関係の建設的協議交渉のためにこそ介入しなければならない。

軍事兵器支援によって、非人道的兵器支援によって、ますます戦術核使用や継戦泥沼化へ傾斜し、停戦後の再戦争を予定する虚しい一時的和平合意へ突っ走る米ロ、東西戦争の姿を見ていると、日本人としてではなく人間として非戦の決意を改めて確認する。

どの国々でも軍隊に命令すれば戦闘は可能だが、取り返しがつかない非人道的行為を前提にした最終手段だということを軽々に忘却するべきではない。

戦争を第一にするのではなく、国力や繁栄を最優先に人間の尊厳を守る政治的能力が求められる。

勇敢に戦闘する自分たちに自己陶酔する人類の悪癖を克服するべきだ。

殺戮に快楽と功績を見出す人類の野蛮性とは決別しなければならない。

ヨーロッパの足並みや協力体制の遅れと見る見方そのものが間違った見方であって、成熟した社会正義に立脚するならば、殺戮と勝利は平和を予定しないことに思いを巡らすことも相当重要なさじ加減であると思われるが、そこは人間としてどう考えるか?ではなかろうか。

歴史的負の連鎖を収束させる国際社会正義へとアップデートしていってほしい。