FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ブリューゲル 南ネーデルラントの諺から2つ オランダ語に親しむ Zij zou de duivel op het kussen binden. De pilaarbijter

Zij zou de duivel op het kussen binden.

悪魔をクッションの上で縛る女。

蘭ー英

Zij- She

zou- would

de- the

duivel- devil

op- on 

het- the 

kussen- cushion

binden- bind

(She would bind the devil on the cushion .)

この絵の左下部分に描かれている。実際の絵はもっとクリア。

おそらく男勝りな女という単純なものではなくて、悪女フリートか聖女マルガレタかというのは微妙らしい。かかあ天下なのか、悪魔が意地悪な亭主なのか、シンプルに16世紀南ネーデルラントの悪女フリート=意地悪な女房なのか、厳密には判然としない。

ちなみに聖女マルガレタは12世紀の聖者殉教者列伝「黄金伝説」ジェノヴァ第8代大司教ヤコブス・デ・ウォラギネに登場するそうだ。マルガレタはあるとき、悪魔の頭をつかんで、地面に投げ倒し、頭に右足をのせて、「高慢な悪魔よ、女の足に踏んづけられているがよい」と言ったという。

そのマルガレタの短縮形がフリートで、大衆レベルでは勇気ある聖女が否定的に捉えられなおしているのではないかという見方もできる。諺の起源が聖女マルガレタ伝説にあるとする専門家がいるのだから大衆による世俗化ではなかろうか。

De pilaarbijter

柱を咬む人間

pilaarは聖堂の角柱または円柱。

この諺は偽信徒、偽善者を意味し、別に盲信者や異常参詣者(狂信者)をいうこともある。

ブリューゲルの時代のヘントの年代記マルクス・ヴァン・ヴァルネヴェイクの『ネーデルラント、とくに一五六六年ー六八年のヘントの争乱時代』で使われている。

シント・ヤン聖堂でイエズス会の学識の豊富な神父が修道院長からの説教の謝礼を受け取らなかった。ヴァンデルハーヘン修道士も学識が高かった。その二人は乞食党Geus(貴族党)から敵視されていた。乞食党はヴァンデルハーヘン修道士が女好きで人妻・修道女・ペギン会修道女と関係をもち、酔っぱらい、大食漢、美食家、ライン・ワイン愛好家で、家から家へとご馳走の梯子をした、と噂をたてた。乞食党は神父を偽善者、すなわち「柱を咬む人間」と呼び、修道士が説教壇から多くの大胆な嘘をついたと言いふらした。乞食党は一五六六年にネーデルラント各地で聖像破壊運動を行った過激なカルヴァン主義者の代名詞だった。

一五九五年に上演された道徳劇「忠実」の登場人物は擬人像。

悪賢い小さな宝石、欺瞞の精神、世間、慰め、希望、快楽、性急、あらゆる職業、あらゆる身分階級、神、慈悲、正義、剛毅など。

四つの頬をもつ顔の人間は

柱を咬む者

連中はとかく世間を苦しめるものだ

偽善者たちと共に

御屋敷で歓迎されるから。

ところが

これまで決して間違いを犯していない私は

蔑み、嘲りの言葉を浴びせられ

郷土から追放され、閉め出される。

このようにして私は生涯を送らなければならないので

不穏が続くかぎり

「慰め」のところで行くとしよう

さもなくば心を裂かねばならないことになる。

十七世紀リーヴェヴラウ=コープマン編『ヘント国語辞典』では「聖堂で柱を咬む人間は、家では糞悪魔。ひんぱんに教会へ出かける人間は、家では我慢できない者」

イタリア「木喰い虫はキリスト磔刑像を喰い尽くす」という表現。

フランス「十字架像を喰う人間」un mangeur de crucifixは信心に凝り固まったえせ信者を指す。

16世紀前半までのもともとは修道士を風刺した作品がいくつもあり、それ以降は俗人を描いたものになる。