個人個人の身を律するため、個人個人の資質を高めるため、社会人として、宗教の教えや修業や共同体内での協調性を重視するのは、いくらか世界共通の文化でもある。
しかしながら、それを政治にそのまま落とし込む愚、間違いをやると途上国レベルである。
プーチン皇帝のもとのウクライナ進攻だけではなく、およそ戦争の根拠は宗教共同体の名誉や利益のためだ。
日本が人権分野でまったく改善らしきすら認められないのは、神道を中心にした共同体の名誉と利益のため。
経済戦争も人道上問題があることは以前から指摘されている。
名誉の質が低い宗教や国家では、戦争も人権侵害も経済侵略も自己正当化する。
政治がカルト的宗教教育を代行して国民生活は悲惨なものになる。
日本政府が国民を疑い難民を疑い、人間がいくら死んでも無責任でいられるのは、人間の心を持たない神道筋だからである。
神道に媚びへつらう日蓮宗各派、その他伝統仏教や新興宗教まで、間違いを開き直る。困窮者に威張り散らす。支援しない。
非人道的である。
その自覚がない。
ノーマルな人間なら他人が苦しみ死亡の危険があれば支援するものだが、日本人は支援する政治に進化させる政治家や国民があまりにも少数派。
まったく人間として大人になっていない。
幼児が遊べたら幸せだというレベルを幸福だと思っている。
国民が幼児だから、政治も人間の言うことを聴かない。
わがままなだけで幸福なレベルの恥ずかしい部族社会だ。
人間になり、大人になるための教育は、学校や塾ではなされない。
人間とはなにか?
間違いや失敗の原因はすべて人間を理解していないことから。
生き物の生命と心を知らないから。
他人が死んでも無責任でお咎めなしでは信頼関係はできない。
他人が死んでも平然として悟りを開くことを、残虐性ある未開政治に転用するのは、原子力の兵器利用のようなもの。
殺人や自殺を増やしても平然として悟りを開く悟りとは一体なんなのか?
正しい悟りならおおまかに殺人や自殺を減らすし、人権侵害や戦争を回避する。
日本の政治を見ると、日本の宗教はことごとく間違いであることがよく解る。
世界では他殺に方向づける間違いがあり、日本では自殺に誘導する間違いを重点的に対策すべきだ。
宗教的ゆがみそのものだ。
僧侶たちも名誉と利益を追求することを想起しなければ、政治のゆがみがただされることはない。
名聞名利の大衆だけではここまで酷くならない。
名聞名利の僧侶(宗教家)たちこそ無秩序で非人道的世界を現出する悪魔の遣いである。
低感情、国民感情だけしか理解していない妖怪聖職者たちの真の姿に気が付かなければならない。
人間と悪魔妖怪の違いは、キリストも釈迦日蓮も予め言っていたが、人間を階級で見ないのが人間である。
グローバリズムは新自由主義的傾向が強く、資産と階級で人類を仕分ける。
グローバリズムで弱肉強食の原始社会に戻りつつある世界では、ロシア中国を攻撃するだけでは、犠牲が甚大すぎて自己正当化に無理がある。