FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

仕事依存性の恐ろしさ

なにか自分の人権とか自由とか存在とか、なにもかも仕事してるから許されるという感覚がありふれている。
未開の中国とか日本とか部族社会とか、おきてやコミュニティのしきたりとか、その流れが残っていて、すべてが悪いわけではない。
社会貢献することは健全なる行為である。
その美徳や常識を実際にやっていられることはとても幸せなことだが、それは健康体であってすら出来ない時期や不運がある。
しかし仕事依存性の人たちは、失職した原因になった誰かに攻撃したり、無関係な人たちに攻撃したりという場合と自殺変死の場合のいずれかへ向かう。
秋葉原でトラックを突入させた事件、宅配便仕分けの元同僚刺殺事件、電車内死傷事件、報道されていない無数の殺人や自殺は、そもそも仕事に依存した結果だ。
仕事ができているから自分は生きているし、うまくいっているという錯覚、誤解、考え違いがある。
社会システムと人間関係を仕事だけに偏らせることの危険性をまずみなさんが認識、自覚することが大切だ。
なにかにつけ、どういう内容の困り事をどこのだれに、またはどの窓口に相談するとよいのか、予めリサーチしておくこと。
危険性の高い宗教関係者や政治団体を避けながら、いかにアルデンテな感覚を維持しながら生きていくのか?
これはとても大切な生きるためのスキルだと思う。
仕事がうまくいっていると、ついつい油断する。
バラ色の人生のような気分障害の一種であり、一瞬で奈落の底に落ちることになる。
セーフティネットで親族が助けてくれそうな人たちですら、実際には助からない。
選挙に行かない人たちの何割かもやはりそんな仕事依存性である。
政治が社会システムと人間関係を変化させ、その結果、給与を抑えられ、労働条件を決められて、クビになる。
拝金主義の人たちもよく似ていて、うまくいっているという錯覚にはまりやすい。

日蓮大聖人の教えには「八風」について『四条金吾殿御返事(八風抄)』に、
 「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり。をを心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給ふなり」
(御書1117)とある。
『八風』は[四順]と[四違]に分けられます。
[四順]
⑴利い(うるおい):目先の利益
⑵誉れ(ほまれ):名誉を受ける
⑶称え(たたえ):称賛される
⑷楽しみ(たのしみ):さまざまな楽しみ
[四違]
⑸衰え(おとろえ):衰えや損失
⑹毀れ(やぶれ):不名誉を受ける
⑺譏り(そしり):中傷される
⑻苦しみ(くるしみ):さまざまな苦しみ
面白いのは、よいこと嬉しいことで人間が失敗していること、悪いことツラいことで人間が成長できることを示しているところだ。
左右されがちな人間の習性から逆算して日蓮正宗の唱題をしていくと、何があろうが動じない人間形成がなされる。
今の時代の一喜一憂はそのまま死ぬか生きるかという厳しい状況が増えている。
ゆとりを許さない政治、教育予算まで削る政治家、高齢者を敬わない医療福祉に理性で対処する人たちもいる。
孤立しないゆとりある人間関係と社会システムだけを抽出していく努力こそ日本人が大切にすべき頑張りである。
仕事はよいことだとは限らない。
生きていけない仕事が増えている。
無理して他人を攻撃することを仕事だと勘違いしている人も多い。
お金や仕事はいざとなると役に立たないものがほとんどだ。
ユダヤの知恵が面白いのは、どこの国に行っても生きていける技術を教育することである。
日本人は礼儀を教えてきたが、近年の富裕層や経営者たちには、一般大衆に対する礼儀がなくなった。
まさに末法になってから、皇室も政治も民を虐殺することに対して罪悪感がなくなった。
もちろん民間委託や闇でのことである。
近年なら統計を誤魔化すという手法であり、マスコミを統制するナチズムやユダヤキリスト教主義による強制や洗脳である。
それらはすべて仕事、なのである。