FujiYama’s blog

バイオリン弾きの日常的な生活の風景、感想などのブログです 政経もけっこうあります

ことわざを国際比較できるか?


私の浅学ではとてもとても及びもつかないけれども、10代のころから英語のことわざも面白いなとは感じていた。最近はオランダ語のことわざが面白い。

日本のことわざと似たようなセンテンスか意味合いかなと思ったら、ぜんぜん違う意味だったというのもよくある。

中国の故事由来の話でもそういう経験はあった。

なにを言わんとするのかを掴むのは、状況によってまったく違って、宗教的な心情によっても解釈や感性が異なるので、なかなか正解はない。

日本語しかない国の試験問題はたいてい答えが一つでそれ以外はダメとされるが、人間というのは、もっと複眼的、複合的、外野的、指導的などの見方と回答ができる豊かな生き物である。

そのことを小さなころから感じてきたから、今は多種多様な人間の自由な空気を呼吸しはじめた喜びを感じている。

逆に言えば日本人の文化の画一的な価値観ですべてをこなそうとすると、まともな人間は窒息死する。

クラシックバイオリンの名手たちの豊かで多彩な個性になぞらえるべき自由な解釈と表現の感性。

有名なブリューゲルのことわざ。ブリューゲルという画家がことわざの状況を絵の中に描きこんだもの。そもそもヨーロッパには諺を描いた版画がたくさんある。

例1.

鍋の中に犬を発見。De hond in de pot vinden.

食事に帰るのが遅すぎる者は、シチュー鍋に首を突っ込んでいる犬を発見する。

Die te laat aan't eetmaal komt, vindt de hond in de hutspot.

この家では犬が鍋の中にいる。

Hier is den hont in den pot.

表現が多少違うが同じ意味のようだ。転じて招かれた客の到着が遅い場合にも使われることがある。

英語で「犬を家に入れたら真っ直ぐに食料戸棚へ走る」If you let the dog in , it will run straight to the cupboard.は似ているが違う意味になる。

 

例2.

二つの口で話す。Hij spreekt uit twee monden.

新約聖書テモテへの手紙に奉仕者の資格が説かれている。知識階級で公職にある人には二重人格で不誠実な人が多い。複数のことわざ版画にも筆記用具を携帯している人が描かれている。教養がなかったり悪人であったりしても正直な人間のほうが勝っていて幸福になることを示唆している。

東洋ではやはり両舌、二枚舌として仏教で厳しく非難されるが、その場合まずは聖職者の醜態を追求するうえで用いられる。聖職者を決して信じてはならないという意味。10悪のひとつ。偽善者が人の仲を裂く言葉。

 

例3.

親指の上で世界を回す。Hij laat de wereld op zijn duim draaien.

あるひとの親指の上で回す。

英語では、世界を一本の糸であやつる。He has the world on a string.

ドイツでは「世界を自分の親指の上で踊らせる」。自分が世界の中心にいると考え、すべてを重大に考えず、心配事は他人に任せる、尊大で楽天家の人間の比ゆ的ことわざ。

ヨブ記「この地は神に逆らう者の手にゆだねられている」から権力者への警鐘とも解釈できるし、人間が傲慢におちいらないようにとも考えられる。

対比として「うまく世渡りしたいのなら、身をかがめねばならない」Men moet zich krommen, wil men door de wereld kommen.というへつらいを義務付けることわざが印象的である。不誠実で二枚舌、二重人格に気をつけよ、そうなるなということわざと対照的だから。巧言令色曲学阿世阿諛(ゆ)追従などは真理に背く意味合いを含むから。

例4.

車輪に棒を突っ込む Een stok (of een spaak輻) in het wiel steken.

計画や仕事が予期しない障害によって阻止されたり意図的に妨害されること。より具体的な用法としては、人の話を邪魔する、割り込む行為。

日本なら「話に水を差す」「お茶を濁す」。

フランス語では「車輪に棒を突っ込む」mettre des batons dans les roues.

ドイツ語では「ひとの輻(や)の間に棒を落とす」「ひとの道路に石を置く」Steine in den Weg legen.

英語では「ひとの荷車に輻(や)を入れる」To set aspoke in one's cart.などと言うそうだ。

類例には、Het loopt spaak. 失敗だ、終わりだ。ものごとがうまくいかない。という意味のことわざがある。進行が停止するのは同じだ。うろ覚えの関西弁の「しまえた」が近いのか?

例5.

お粥(パプ)をひっくり返せば、そのすべてを拾いきれない。

Die zijn pap gestort heeft ,kan niet alles weder oprapen.

アントウエルペンにも同じことわざで「お粥がひっくり返った、嘆いても遅すぎる」De  pap is gestort, 't is te laat geklaagd.があるそうだ。

「覆水盆に返らず」は中国からで一度離婚した夫婦が元通りにならないことを言う。

嘆いても遅すぎることを表現する。

フランスでは「こぼれた葡萄酒はすくい取れない」

パプはフランドルの農村の主食。フランスでは葡萄酒が一番大事。東洋では夫婦が一番大切ということか?

わずか5つの例だが、文化的にキリスト教文化は多言語で共通しやすいことがわかる。同じ意味なようで東洋はニュアンスが違うものばかり。

ことわざは無数にあるから、少しずつ学んでいきたい。